大学生の国語力の低下

 文部科学省メディア教育開発センターが、大学生の国語力を調査して、1割前後が中学生レベルだという結果を発表した。
 
 例に挙がっていたのは「憂える」が読めず、意味が分からないというものだった。まあ、しゃれとしては良くできた例ではある。それにしても、この言葉を「喜ぶ」という意味だと答えた学生が一番多いというのは、この言葉を使ったことがなかったり、字の形が似ていたり、優しいという字に似ていたりと、何となく理由が想像できそうなところが面白い。
 もちろん本を読まない人が増えていることや、パソコンの普及も影響しているだろう。パソコンのない世代でも、読めても書けないという状況はどんどん進行しているが、その世代は少なくとも昔は書いていた。いや、書かざるを得なかったと言うべきかも知れない。
 欧米と違ってタイプライターなどというものは一般的にならなかったし、なりようもなかった。ワープロが出るまでは手書きだったのだ。今時の学生は卒論を手書きする人は少ないだろうが、私は手書きだった。それだけでも、同じ行為をしていても国語力が低下してくるのはやむを得ない。
 ましてや、マンガがこれだけ隆盛を極めれば、自ずと国語力の低下に繋がるのも容易く想像がつく。マンガがいけないとか言うつもりは毛頭無いし、マンガだって文字は付いている。ただ、多くの部分で絵が文字の代わりをしているわけで、自ずと小説などに比べれば読み易く、同時に読み飛ばしやすい。
 他にも様々な要因は考えられるだろうが、例えば、こうやって文字は使われなくなっていく、表現は古語になっていくという見方も一面できると思う。
 憂えるという言葉が、心配するという言葉で代用できるのなら、いずれ使われなくなるかも知れない。そもそも学校で習った古語という言葉は、ものによっては、100年かそこら前に使われていた言葉も含んでいる。
 森鴎外や夏目漱石だって、七面倒くさい文章だ。こうやって時代は変わっていく。
 ただ、表現手段が、どの程度の範囲で有効かと言うことになると、現代は非常に広い。情報ツールが格段に進歩し、言語や様々な表現手段(コンピュータの言語なども含め)が非常に多様化しつつも、系統立てて利用できるようになっている。
 昔のように、一部に使われる頻度が減ったというだけで、単純に言葉が消えていくわけではない。辞書もある。しかも多様な辞書がある。
 いずれにせよ、若い人は昔よりも活字に触れる機会が減り、日常的に使わない言葉を覚えようとはしなくなっているのだろう。
 関連した記事の中に、国語の授業がつまらないというのがあった。私は、つまらないから授業なんだろうという、穿った見方をしていたが、確かに国語の教科書はつまらなかった。今と30年前が同じ教科書ではないと思うが、所詮、選んでる人の感性がそれほど時代とともに変わっているとは思えないので、それほど面白いものになっているとは思えない。もちろん、面白いと感じる感じ方は人それぞれなので、楽しめる人は十分に楽しめるだろう。
 だがそれでも、「この“それ”は何を指しているのでしょう」みたいな問題が出ていると、たとえそれが読解力の判断基準になろうとも、つまらないのは当然だ。
 私は、こんなものはたくさん読めば身に付くと信じているので、ことさら興味のない文章を題材に、授業を行うより、好きな作品をずっと読む時間を授業に作ってやれば、自然に国語力は付いてくるように思える。
 それが西村京太郎や、内田康夫でも、せかちゅうでも構わないと思う。むしろ、有島一郎を無理矢理読まされるよりはずっと面白いし、読む力も、書く力も付くはずだ。
 好きな本を買ってこさせて、自由に読ませ、解らない字があったら辞書で調べさせる。そんなんじゃ国語力って付かないのかな?
 面白い本が出てくれば、自然に他のジャンルも読むようになると思うのだが。国語の授業中に、アイドル本を読んでいたって、週刊誌だって、その文章がどうしようもないのなら別だが(例えばどう読んでも意味不明だとか、あまりにユニークすぎて日本語らしからぬとか)、普通の本であれば、そこそこいいと思うが。
 この文章は素晴らしいとか、たくさん文章を読んでいる人の視点でいくら力説したところで、子供に通じるのはわずかだ。
 国語力の低下は憂うべきことだが、その前に、国語力っていったい何だ?と言うことを教科書に対して問うてみたいな。

2 コメント

  1. 某国立中堅大学で化学を教えております。授業が理解できない、課題の設問に答えられない、学生が確実に半分ほどに増えてきました。実は化学ができないのではなく、国語(言葉)ができないだと確信しました。反応式を示し、どうしてそうなるのか説明せよ。と宿題を出題すると、説明せよの部分を無視した解答が40%くらい出てきます。自分の力で説明を書くことができないのです。理科系は、すこしの違いが大きく違うことを説明せねばならない場面が多いので、実は国語力がとても大切なのです。病的なまでに、説明することを避けようとします。そして、感覚的に無駄な実験を繰り返し、進歩のない結果でとどまっている卒論生が急増しています。日本の将来は大変危険です。

    1. なるほど、大変なのですね。
      若い人でも会話はできると思うので、問題はそれを文章にすることと、論理的にまとめ上げること、構成力、その辺りにありそうですね。
      10年以上前に書いたブログですが、ということは今はもっと加速していると言うことなのかも知れません。
      やはり私はマンガ社会に問題があると思います。ぼくもマンガは読みますし、そもそも「横山光輝の世界」なんてサイトをやっておりますので、マンガには肯定的です。しかし、マンガにはほとんど地の文がありませんし、構成は絵の運びに依存する部分が大きく、文章力という意味では、ほとんど身につかないと思っています。吹き出しの会話では、難しい表現などは時折覚えても、全体的に文章をまとめ上げる力を伸ばす役には立たないと思っているからです。小説などの文章もマンガも、どちらもそれぞれの良さがあります。しかし人間は簡易なものに流れる傾向があります。久々に自分のブログを読んでみて、小中学校時代に、以下に文章を読むことが楽しいことなのかを学べるようにならないと難しいのかも知れないなと思いました。もちろん、大人になってからでも遅くはないと思いはしますけど。

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