由比敬介のブログ
北海道
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北海道

 北海道がなぜか好きだな。
 考えてみると、最後に北海道を訪れてから10年以上が過ぎた。その前は、1年おきくらいに、1週間から2週間かけて行っていた。車を運転しないので、もっぱら電車とバスに頼る旅行だ。人と一緒に行く時は飛行機も使うが、一人で行く時には夜行列車を使う。
 始めていった時には、八甲田という急行の自由席に乗り、青森から連絡船を使った。実を言うとそれ以前から東北が好きで、北海道はなかなか行こうとしなかったのだが、ふと何を考えたか北海道を目指した。
 最初の連絡船は酔った。元々乗り物は弱いのだ。十和田湖の湖畔を3分の1くらいしか乗らないバスで酔う男だ。修学旅行の時はフェリーだったが、接岸の瞬間だけで酔った。そんな私なので、連絡船は酔いそうな予感があって、ずっと寝ていようと思ったが、早朝発の船だ。風景はきれいだし、晩秋の津軽海峡は気分も爽快なはずだ。そういうちょっとした欲目が最終的には酔いに結びついたのかも知れない。
 乗り物酔いをしない人には決して解らない感覚だろう。
 函館からは、ほとんどの場合、特急を使って札幌に入った。連絡船が無くなっても、概ねこのルートだ。変わったのは連絡船の代わりに海の底を通るようになったぐらいだ。
 函館から乗る特急の中で駅弁を必ず食べる。これはいつでも私の楽しみだ。今でも覚えているのは、「身欠き鰊弁当」だ。甘辛く煮た鰊と、大きな数の子が乗っていた。
 なぜ札幌まで一気に行くかというと、私の場合は道北や道東が主な目的地だからだ。道南が嫌いなのではなく、遠くから行って、最後にきっと時間があるので、道南を回ろうと考えてのことだ。実は、私は実に細かいルートを行く前に決めていく。時刻表首っ引きで、どこに泊まるかも綿密に決めてから旅に出る。が、だいたい初日からその予定は崩れる。ならなぜ予定を、と思うかも知れないが、予定を立てるのが楽しいのだ。それに、崩れるとは行っても、予定で立てた要所には、順序が違っても、ほとんど行っているのだから、予定を立てる意味は十分にある。

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 温泉が好きなのも北海道が好きな理由の一つだろう。もちろん、北海道へ行かなくても温泉はあるが、あの気候や風土の中で浸かる湯は、また格別なものがある。しかも、穴場のようなところも多く、観光客を避けてのんびりはいることもできる。まあ、自分も観光客な訳だが。
 道内でも、よく夜行を利用した。一泊分浮くし、距離も移動できる。また独特の雰囲気もある。特に稚内へ向かう夜行は、朝方薄明からの左右の窓の景色が非常に美しい。特に秋を過ぎ、葉が落ちた後の荒涼とした樺系の白木の風景は日本ではないみたいだ。窓の左側に利尻富士が見えてくる頃には車内と外の気温差が窓を曇らせ、何ともいい雰囲気を醸し出すのだ。
 当然、稚内の街は田舎だ。1回目か2回目に訪れた時は雪が降っていた。街は真っ白だった。外国人二人から声をかけられ、キリスト教の勧誘を受けた。東京では考えられないが少し話し込んだ。こんなこともいい思い出だ。
 一番最初に北海道の目的地として訪れたのが、その稚内市の北端、ノシャップ岬だった。北海道の北端である宗谷岬は、稚内から車でしばらく行かないと行けない。実は最初に行った時には、まだ稚内から宗谷を通ってオホーツク海側を猿払、浜頓別まで行き、そこから内陸に入って音威子府(おといねっぷと読むのだぞ)へ行く電車が走っていた。
 ノシャップ岬には水族館があり、駅からバスを使うと10分程度で着く。そのバス停から岬まで歩く途中でラーメンを食べた。こうやって記事を書いていると、不思議とそのときのことが思い出されてくるものだ。
 そういえば稚内は数年前に市場が大きな火事に遭ったことがあった。今はどうしているのだろう。
 話はポンポン飛ぶようだが、1993年6月25日から、私は北海道を訪れていた。夏の北海道はそのときが初めてだった。利尻、礼文と短く回って、夏だったので富良野なども訪れ、約2週間で帰ってきた。夏休みと、リフレッシュ休暇というのを利用した豪勢な旅だった(内容はともかく)。
 12日から会社だったので10日には東京に戻ってきていたが、実はこの12日というのは奥尻島などに大きな被害をもたらした北海道南西沖地震が起こった日なのだ。奥尻島では震度6で大勢の人が津波に呑まれて無くなった。この地震は東京でも揺れを感じた。
 稚内の火事からふと思い出した。もちろん、私が行っていた地域は大きな被害もなかったのだが、つい数日前まで歩いていた北海道で、と思うと、何か不思議な思いがしたものだ。
 北海道の話はしばらくしたらまたいずれ。

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