先日、Intermezzoというダーバンのブランドのマフラーを頂いた。多謝。
さてこのIntermezzo、普通に読めばインテルメッツォだが、ダーバンはインターメッツォなのだ。これがイタリア語なら、多分インテルメッツォが 正しいが、言語というのは意外にこれをインターメッツォと読んでいる国なり地方なりがあるのかも知れない。単純に間違いと決めつけるわけにはいかない。
例えばAeroという接頭辞は、「エアロ」だが、Aeroflotは「アエロフロート」だ。でも、Aerosmithはアエロスミスではない。エアロス ミスだ。元々このAeroはAir(空気)のことだから、「えあーろ」とうことだと思うが、アエロフロートはロシアの航空会社だからなのか、それにしたっ てAeroの部分は飛行機を表す英語だから、どうもよく分からない。
さて、同様に、Intermezzoも、インテルメッツォとAtokで打って変換すると、Intermezzoと表示されるのだが、インターメッツォと打っても、実は同じ単語が出る。
そもそもこの言葉は、「間奏曲」を表すイタリア語のはずなので、本来は「インテルメッツォ」のはずだ。音楽用語は、イタリア語やドイツ語がほとんどなので、これはインテルメッツォであると疑っていなかったのだが、これは微妙な聞き取りの違いとしては、表記が大幅に違う。
実は辞書によると「インテルメッゾ」と書いてあるものもある。いっそのこと、「インターメッゾ」とでも書いてくれれば、明らかに英語読みの誤表記では、 と思えるのだが、そもそもイタリア語の素養どころか、英語の素養もあまり無いので、どうもただ釈然としない気持ちだけがしこっている。
閑話休題。
間奏曲と言えば、忘れられないのがカラヤン指揮によるレコードだ。この「うちでのこづち」で、マスネの「シンデレラ」というオペラについて書いた時にちょっと触れた。
この中でカラヤンは、必ずしも全て著名ではないけれど、間奏曲が単体で聴いて楽しめるものを10曲前後収録していた。CDになって曲数が増えていたが、ものによって何でこれを追加?みたいなヴァージョンもあった。
カラヤンは死後、「アダージョ」というアルバムをグラモフォンが発売してベストセラーになった。私自身は聴いていないが、「アルビノー二のアダージョ」とか、言ってみれば静かなクラシックの寄せ集め。そしてこの原点が多分、この間奏曲集だ。
「椿姫の第三幕の間奏曲」「カヴァレリアルスティカーナの間奏曲」「道化師の間奏曲」「友人フリッツの間奏曲」「マスネのタイスの瞑想曲」「修道女アンジェリカの間奏曲」くらいまでは覚えているが、後何が入っていたか思い出せない。
これらはどれも静かで美しい、言い方を変えると、いい睡眠薬の音楽だ。
基本的にはそれに続く楽章のテーマになるようなメロディーが使われている。
インテルメッツォとはそもそも、オペラ・セリア(シリアスなオペラって事だ)の幕間に関係ない喜劇を入れるという、それだけ考えると意味が分からない仕組みの、その喜劇のことだ。ペルゴレージの「奥様女中」が有名だ。・・・あのCDはどこへ行ったの・・・
それが、幕と幕を繋ぐ間や、場と場を繋ぐ間、あるいは、オペラとは関係なくても、何かの間に挿入される曲などが、いつの間にか間奏曲になった。日本語で 間奏曲と書けば、非常に意味はよく分かる。mezzoとは、メゾフォルテとかメゾソプラノでも解るように、中くらいとか、真ん中のという意味のようだ。 interも多分英語的にはそんな感じだ(インテル入ってるっていうのもきっとそんなところだろう。英語ではIntel Insideだが、これをインテル入ってるに言い換えた人は頭がいい。・・・余談だ)。だから、インテルメッツォは、中の音楽というような意味なのだろ う。
さてこのカラヤンのアルバムを聴いてみると、たとえオペラが総合芸術であっても、十分抜粋で楽しめるというのが私の意見だった。例えば、レコード やCD でオペラを聴く場合、1枚とか1面だけとかいう聴き方を普通にできるから。歌唱もイタリア語だったり、たまにドイツ語やフランス語、ロシア語だったりする わけだが、そもそも何を歌っているか解らないので、筋は追わない。
ところが、なかなかオペラを見にいく機会がなかったのだが(オーケストラコンサートばかりで)、ここ数年、たまにオペラを見るようになると、ああ、CD では見えていなかったものが(言葉の意味としては当然だが)あったのだ!という思いに、これまでオペラを見なかったことを後悔した。
オペラ公演の唯一の欠点は、休憩時間が長いことだが、これは歌手のことを考えればやむを得ない。これのせいで、2時間のオペラは3時間以上になるし、た いがい6時は過ぎて始まるので、9時過ぎまで食事はできない。これは日本の劇場では当然だ。海外のホールを知らないが、さすがに映画館のように座席で何か を食べられるとは思えない。せいぜい、幕間のサンドイッチとコーヒー程度だ。
しかし最近は、字幕もしっかり出るから、内容も追いやすいし、極めて快適だ。
もちろん、それでカラヤンの間奏曲集の価値が下がったわけではないが、オペラは再発見だったのだ。
さてそのカラヤンの間奏曲集で思うのは、60年代から80年代にかけて、カラヤンが帝王として君臨していたクラシック界だが(CDの収録の長さにまで影 響を及ぼすのだからたいしたものだ)、カラヤンという指揮者は、実にこういう種類の、いわばエンターテインメントとしてのクラシックの扱いが上手いと思 う。多分、R.シュトラウスも走だったのではないかな?と思わせるほど、カラヤンのR.シュトラウス作品もいい。美しく聴かせるすべをわきまえている。ベ ルリン・フィルというのもミソかも知れない。
とにかく間奏曲、Intermezzo、侮るなかれ、ということで。
東京文化会館にヤナーチェックのオペラ「イェヌーファ」を観に行ってきた。余り有名なオペラでもないし、それほど期待しないで見に行った。チケッ トを購入したのが遅く、インターネットでの購入だったが、余りいい席が取れなかった。しかし、実際は空席が結構あり、S席でも観られたな。
内容は、イェヌーファという村一番の美人が、遊び人の男と恋仲なのだが、もう一人実直な青年が彼女に恋をしている。恋仲の男とイェヌーファは婚前 に致してしまっていて、実はお腹に子供がいる。母親は、そんな男との結婚は認められないと言って男にも怒る。もう一人の男は、あいつはおまえの顔が好きな だけだと言いながら、逆上してイェヌーファの顔に切りつけてしまう。
母親はイェヌーファがウィーンに行ったと言って部屋に閉じこめ、彼女はそこで子供を産む。子供がいるので仕方なしに、母親は遊び人にイェヌーファと結婚 してくれと懇願するが、男は自分がののしられたことを根に持ち、しかも顔に傷ついたイェヌーファには興味が無くなっており、実は既に村長の娘と婚約をして いた。
実直な男は、自分の行為を詫び、その後もイェヌーファを慕っている。
母親は、イェヌーファがその実直な男と結婚して幸せになって欲しいと思うが、そのためには子供がきっと邪魔だと、、イェヌーファに薬を飲ませて、眠っている間に、子供を氷の張った川に捨ててしまう。
母親は自分が犯した罪の重さにさいなまれ続けるが、やがて、イェヌーファはその実直な男と結婚することになり、その婚礼の当日。
客には村長夫妻と、その娘、そしてフィアンセである遊び人がいる。
そんな折、外で氷の中から子供の死体が見つかる。イェヌーファは自分の子であることを証言し、群衆が子殺しの母親に石を投げようとした時、母親が自ら名 乗って罪を告白する。イェヌーファは、母が自分の将来を思った故の殺人であったことを理解し、母を赦す。そんなことがありながらも、これからも君を守って いくという実直な男の愛を受け入れて物語はハッピーエンドに。
そういう内容で、まあストーリーにはつっこみどころがいろいろあるが、大抵のオペラはそうなのでここでも些末は気にかけない。
ヤナーチェックのオペラは「利口な目狐の物語」のCDを持っているが、まともに聴いたことがなかった。ELP(エマーソン・レイク&パーマーだ、もちろ ん。・・・パウエルじゃない)のナイフエッジという曲でもそのモチーフが使われた、シンフォニエッタと、タラス・ブーリバ、クロイツェルソナタという名の 弦楽四重奏曲などが有名だが、印象としては結構粗野な音楽という気がしていた。
今日聴いたオペラは、所々ドヴォルザーク風のメロディー有り、ワーグナー風ありだが、かなりオリジナリティーに富み、しかもなかなかいい曲だ。管楽器はやはり粗野なイメージを払拭しきれないが、むしろ今日のオペラには合っているような感じだ。
第1幕はちょっと冗長で、音楽そのものはかなり面白いのだが、場面が退屈だった。
ところが、2幕からは急に緊張感が増し、4人しか登場しない2幕は、ほとんど母親の独壇場といった感じで、時間を感じさせない素晴らしい物だった。続く 3幕も、子供の死体が上がった辺りからは、怒濤のように終幕へ向かい、かなりクオリティーの高い作品であるように思える。
罪を負った母親が群衆と部屋を出て行き、舞台にイェヌーファとラツァ(実直な男)の二人だけにするシーンでの音楽は、ワーグナーチックだった。しかもそ れで終わってしまうくらい盛り上げてくれる。いかにもそれで子殺しにピリオドを打ったような印象があり、死んでしまった子供がいかにも可哀想な扱いだとい う思いは残るが、その後、二人が愛を確かめる場面の音楽は美しく、しかも前途の多難さを表現の中に残す、終わり方だった。
演出もなかなかよく、非常に舞台装置を旨くシンボリックに使っていた。
「道化師」や「カヴァレリア」のような、いわばヴェリズモに属するオペラだと思うが、より泥臭く、生々しい。しかし、ヴェリズモをヴェリズモらしく見せるためには人殺しが必要だというのは、どうもミステリーとかぶるところがある。
悲劇を悲劇らしく、しかも身近なものとして描くのがヴェリズモなのだろうか?単なるリアリズムではなく、悲劇でなければならないような・・・
今日の演奏では、母親役の渡辺美佐子さんが、鬼気迫る厳格でありながら、誰よりも娘を愛する母親役を最も好演していたように思う。イェヌーファ役の津山さんも良かったが、渡辺さんは圧倒していた。
指揮は阪哲朗さんだが、若干荒さはあったように思うが、ヤナーチェックにはそれくらいの方がいいのかも知れない。
カーテンコールで後ろに直立不動で並んでいた二期会の合唱団の面々は、第1幕の若者の羽目を外したハチャメチャシーンでも、素晴らしい動きをして、イェ ヌーファが遊び人、シュテバとエッチしてしまう部分を非常にシンボリックに表現する演出を成功させていた。舞台狭しとあの大人数か駆け回り、絡み合う姿は 圧巻だった。
人はあまりはいっていなかったし、1幕で帰った人もいたようだが、作品的には1幕と残り2幕のデキに差があり、まとまっていない気もするが、後半だけでも十分に観る価値はあるし、また演奏もそう言って過言ではない。
見せ場が、イェヌーファと母親に極端に偏っているので、他の配役には気の毒な作品のようにも思える。・・・ラツァはそうでもないかな。
いずれにしても、思った以上にいい演目、そしていい演奏で満足して帰ってきた。・・・DVDでも買うかな。出てれば。
オペラというのは音楽が付いた劇だ。ワーグナーやR.シュトラウスの曲に使われる「楽劇」という呼称も、所詮は音楽劇だし、アリアやレチタティー ボが無くなったとしても、歌で構成される劇には違いがない。明確な序曲がなくても前奏曲や間奏曲は現実にあるし、それが使われる目的が多少違ったところ で、聴く側にはそれほど問題はない。
むしろミュージカルは、歌曲とポップスぐらいの差があるので、同じ音楽劇だとしても、大分違って感じる。
クラシックの歌手は、昔学校で習った記憶では、ソプラノ、アルト、テノール、バスだが、クラシックを自分で聴くようになり、それがマーラーを入り 口としたおかげで声楽に比較的簡単に馴染むことができた時には、バリトンとメゾソプラノが増えた。今までアルトだと思っていたのに、コントラルトなんて言 う呼び方が増えたり、まあ、これでは小中学生時代に声楽を好きになるのなんて到底難しいと思わざるを得ない。
オペラの多くは原語で演奏されるので、イタリア語か、ドイツ語かフランス語って言うのが相場だ。多少は英語や日本語もあるだろうが、概ねその3カ国語 だ。しかも圧倒的にイタリア語が多い。理由はオペラ作曲家の多くがイタリア人の上、モーツァルトまでほとんどがイタリア語と来れば、仕方あるまい。
オペラ作曲家としてやはり小学生くらいから知っていた作曲家といえば、モーツァルト、ヴェルディ、プッチーニ、ワグナーといったところだろうか。
私がオペラを聴けなかった理由の一つは、全体が音楽付きなので、当然面白くもないメロディーが中にはあるはずで、そのためではないかな、と思っていた。後は、子供の頃から3分前後の歌謡曲などになれてる耳は、1時間2時間という長丁場を耐えられないとか。
実際には、オペラはやはりオペラなので、舞台を見ることで最大限の効果を発揮するわけで、レコードやCDではどうしても片手落ちになる。
最初に好きになったオペラはレオンカヴァレロの「道化師」だった。川越の図書館で借りたのを覚えている。「衣装を着けろ」は今でも最も好きな曲の一つだ。しかもデル・モナコのやつが。
それとワグナーは「ニーベルングの指輪」の題材とその長さ故に最初から興味を持ち、当時3万円したショルティ版のレコードを購入した。CDでも買い直しているのでやはり好きなのだと思う。一番好きなのは「ラインの黄金」の最後の場面「虹の架け橋」といわれる部分だ。
オペラを見ようと思うと、どうしても普通のコンサートよりも高い。舞台なのでいい席で見たいし、2万円近くかかることになる。オーケストラコン サートとは大分違う。しかも著名な歌手や指揮者となると、ぽんと跳ね上がる。なんだかお金持ちの道楽趣味のようなイメージが払拭できないのは、こういうと ころにも問題がありそうだ。
オペラ座や、ウィーンの国立歌劇場や、いずれにしても正装をしていかないと(少なくともジーンズにシャツでは)入れないようなのがオペラだと思っていたし、たかだか音楽を聴くのにそんなことに気を遣うとしたら本末転倒だという気が、実はいまだにしている。
よくクラシックは、音も立てられないから堅苦しいというポップスファンの意見を聞くことがある。概ねマイクを通して、会場の音を圧倒するようなポップスやロックのコンサートは、スタンディングが基本みたいなところがあって、静かに聴ける雰囲気はないことが多い。
私はロックコンサートでも、周りのファンの喧噪なんて聴きたくはないので、静かに座って聴きたい人だ。それがハードロックでも。だって自宅で聴く時に騒 いで聴くやつなんていないだろう?あれはコンサートを聞きに行っているんではなく、騒ぎに行っているだけだ。常々そう思っている。立って観られたら前が見 えないとも。
そんな私にとっては、コンサートはむしろクラシックの方が好適で、なかんずくオペラは豪華な気分が味わえる。しかも気楽な格好で気楽に聴けたら、 これに勝る娯楽はない。もちろん、オーケストラコンサートも好きだし、リラックスするので必ず1回は寝る。寝られるコンサートは最も素晴らしいコンサート でもある。
そんなことを考えながら、実はパソコンでオペラも聴いている毎日。まあそれはそれで楽しいのだが、やはり年とともに、音楽の聴き方も変わったのかな?ふとそう思う今日この頃ではある。
ミュージカルというのは舞台や映画で歌を中心として物語が構成されているような作品群のことだが、アメリカで生まれたこの芸術は、私の認識では、 リートとポピュラーミュージックの関係をオペラに置き換えたものかな、というような気がしている。もっと単純に言えば、発声の違いかな。
この発声の違いをもっと砕くと、素人でも歌いやすいといえばいいかも知れない。当然他にも違いはあるが、「ポーギーとベス」のように、オペラでもあり ミュージカルでも通用するような曲もあるので、境界線は非常に曖昧だという気がする。宝塚歌劇団は「歌劇団」だが、演じるのは恐らくミュージカルで、女声 でも地声で歌っている。オペラの女性歌手の多くは、いわゆる地声では歌っていないので、その点は大きな違いだろう。メゾソプラノだって宝塚の男役のような 声は出さない。
私はオペラの中で何が一番好きだという程聴いたことがないので、何だろうな?と思うが、これまでの人生の中で最も多く聴いているのは多分ワーグナーの 「ラインの黄金」だろう。何度かリングを聴き通すぞという気持ちでトライして途中で挫折するから、一番多く聴くことになる。後は、レオンカヴァッロの「道 化師」マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」、マスネ「シンデレラ」、ビゼー「カルメン」、等は複数回聴いている。あ、「バラの騎士」もかな。 モーツァルトやヴェルディ、プッチーニがないのがすごいな。部分的にはいろいろ聴いているが、通して聴いたことがない。尤も、交響曲であろうと、組曲であ ろうと、部分的に聴いて満足するのは私の特技なので、オペラも同じことだ。ストーリーを追うような聴き方が苦手なのだ。時間がかかるし。・・・・「椿姫」 は何回か聴いたかな。ヴェルディ、あったな。
ミュージカルは、ハリウッドの往年の映画の中で何回も観ている物もあるが、一番好きなのは「ジーザス・クライスト・スーパースター」だ。舞台では見たこ とが無く、映画とレコードだけだが。大好きだ。実は私はミュージカルの舞台というのを観たことがない。「レ・ミゼラブル」など観たいと思うが、何しろ小説 の中でも私にとってはとりわけ愛着のある作品で、しかも希代のエンターテインメント小説という見方をしているので、どう考えても不満がぼろぼろ出てきそう だ。むしろそういう思い入れのない作品を観た方がいいかもしれない。
さて、「ポーギーとベス」ではなくとも、オペラとミュージカルは、似たような世界だと思う。ゼッフィレッリなど、オペラを映画化している人もいる が、オペラと映画の境界線以上にオペラとミュージカルの境界線は大してないように思える。ミュージカルでオペラを取り上げないのはそこにはテクニック的な 問題があることは想像が付くが、なぜクラシック業界はミュージカル作品を上演しないのだろう?
かつてロックとオペラの融合なんていうのがあった。確かザ・フーの「トミー」などはロック・オペラなんて言われていはしなかったか?エルトン・ジョンの 「ピンボールの魔術師」なんてただのポップスだが、いい曲だ。映画としても結構面白かった。もちろん、ミュージカルはクラシックよりもポップスよりなの で、ミュージカルをロックにする方が簡単ではある。「ジーザス・クライスト・スーパースター」なんて、まさにロック・ミュージカルだし。
だが、同じ曲をクラシックの発声を勉強した人たちが、そのテクニックで演奏したらどうなるのだろうか?と思う。私は観たことがないが、「ファントム・オブ・ジ・オペラ」なんて、タイトルがまさに「オペラ」だ。
「マイ・フェア・レディ」や、「雨に唄えば」なんて、楽しいオペラ作品になりそうな気がするが。
恐らく、私が初めてきちんと聴いたオペラ(この場合は正確には楽劇かも知れないが)が、「ラインの黄金」だ。これは、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」の序夜と呼ばれるものだ、
ニーベルングの指輪は、「ラインの黄金」を始めとして「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の4作の楽劇からなる壮大な音楽劇だ。それぞれの作品が、通常のオペラ作品や、それ以上の長さを持ち、全てを演奏するには15時間前後かかる。
映画「地獄の黙示録」で有名になったワルキューレの騎行は、この「ワルキューレ」の第3幕への前奏曲だ。
私が最初にこのレコードを手にしたのは、大学生の時、3万円のショルティとウィーン・フィルによる、今となっては歴史的な名盤でのことだ。確か、ライト モティーフ集というのが付いて、全部で19枚組くらいだったと記憶している。1枚当たり1500円だったので、大学生でも買えたのだろう。
これにははまった。
CDでも買い直しているので、確かに好きなのだが、今歌っている歌手を見ると、ニルソン、ヴィントガッセン、ホッター、フラグスタート・・・なんだかすごい。ルチア・ポップがむちゃくちゃ若い。録音は1958年から65年だ。・・・おいおい生まれる前かい。
ライブではなくスタジオ録音で、決して音も悪くない。
ワーグナーの作品の多くは楽劇と歌劇で、交響作品や歌曲は数少ない。オペラではなくムジークドラマと呼ばれるが、ワーグナー自身はそう言ってはい なかったようだ。と言って、オペラとも呼んでいなかったらしい。Gesamtkunstwerkという風に言っていたという。まあ、総合芸術って言うこと のようだ。
オペラ自体が、ある意味総合芸術としての側面を持っているのでどう違うのかという話になると、アリアがないとか、音楽が止まらないとか、つまりは渾然一 体となった全体的作品というようなことではないだろうか。ライトモティーフ(示導動機)というのもあるが、ワーグナーほど凝っていなくても、多くのオペラ や、交響曲でも似たようなことをやっている作曲家はたくさんいるので、これはどうなのだろう?
いずれにしても、最初の聴くオペラとしては重いし長い。モーツァルトの音楽などとは正反対な気がする。荘厳と言うより重厚で、「ラインの黄金」の 冒頭から、何か壮大なドラマが始まるぜい!とでも言わんかのような音作りだ。私はこの、ライン川の流れの中から、ラインの乙女たちが出てくるところは、非 常に好きだ。
私はLDとDVDで、レヴァインとメトの盤を持っているが、いわゆるこういうオーソドックスな演出が一番好きだ。神様が背広着ていたり、ジークフリート の胸に大きな「S」マークが付いていたりする演出は、たくさん観ている人には新規でいいのかも知れないが、神話世界は神話世界らしい演出で観たい。
しかし、聴けば聴くほどのこの曲はかっこいいし、ジークフリートを歌う歌手が「ヘルデンテノール」と呼ばれるのもよく分かる気がする。もちろんジークフリートが英雄だからだが、英雄はワーグナーのオペラの専売特許ではあるまい。
しかし、ジークフリートのような純粋無垢な「英雄」というのはなかなか希有なキャラクターでもあるような気がする。
「ラインの黄金」は、借金をして城を建てたヴォータンが、ラインの黄金を盗んで指輪を作ったアルベリヒから指輪を盗んで、城を建てた代金に巨人に渡すとい うお話しだが、この指輪は「指輪物語」ではないが、世界征服のできる指輪でありながら、アルベリヒの呪いで、最終的には神々を没落に導く指輪だ。
「ラインの黄金」の最後で、指輪で代金を払い、人質になっていた義理の妹を救い出して、悠然とワルハラに入場するときの音楽「虹の架け橋」から、ラインの 乙女たちが黄金を盗まれたのを嘆き悲しむ歌の部分が一番好きだ。他をすっ飛ばしてもここだけを聴く価値がある。しかも歌付きで。ここはオーケストラ編曲で は味わいがない。
「ワルキューレ」以降はまたいずれ。
新宿の新国立劇場でやっているベートーヴェンの「フィデリオ」を観てきた。
指揮はミヒャエル・ボーダーに東フィル、タイトルロールにガブリエーレ・フォンタナ、夫のフロレスタンにトーマス・モーザー、監獄所長ピツアロにペテリ ス・エグリーティス、監獄の番人ロッコにハンス・チャマー、その娘マルツェリーネに水嶋育、大臣ドン・フェルナンドに河野克典他、という配役だった。
そもそもベートーヴェンのオペラというだけで珍しいが、なかなか演奏される機会は少ない。ところが昨年サイモン・ラトルが来日して上演しているし、実は意外によくやるのか?と思わせたり。
実は私は新国立劇場デビューで、初めてにしては当日券で端っこの端っこで観たのだが、やはりオペラはかぶりつきがいい。歌手の表情まで肉眼で見える位置 で見るのが面白い。さすが奥の上の方ではいいものもよく見えないかも知れないと思った。最初から観るつもりであれば、CDも持っているので、久々なので予 め聴いておけば良かったと思ったが、なんのなんの、ベートーヴェン節炸裂なのでそれほど気にする必要もなかった。
そもそもこのオペラは男装したレオノーレがフィデリオと名乗っているから「フィデリオ」なのだが、ベートーヴェンにはこのオペラように書かれた「レオ ノーレ序曲」が別に存在する。しかも複数あったりするわけだ。なんだかややこしい。冒頭から交響曲のような序曲で始まる辺りがモーツァルトなどとは根本的 に違うが、だが、その重々しさが全体を支配しているので違和感はない。
歌手はトーマス・モーザーしか知らないが、フロレスタンは第2幕にしか出てこないので、ちょっと事情もあり、あまりまともに聴いていなかった。モーザー は手元にはマーラーの「大地の歌」を、カツァリスのピアノ伴奏で歌ったCDが1枚あるが、探せば他にもあるかも知れない。大御所だ。もっとちゃんと聴けば 良かった。
第1幕ではマルツェリーネが最初に歌うアリアがなかなか良かった。水嶋さんは遠くて顔は判らなかったが、出だしからふくらみのある声で堪能できた。前半 は門番のヤキーノがテノールだが、中心になるロッコとピツァロがどちらもバスなので、このことも暗さを助長している。まあ、暗いオペラなのでそれでもいい のかも知れないが、なんだかメリハリが・・・
最後しか出てこないがフェルナンド役の河野さんも力強くて良かった。
尤も、オペラ全体はどうも今ひとつの感がぬぐえない。ベートーヴェンがこれ1曲しか書かなかった理由が分かるような気もする。オケがうるさい。昔 大学の先輩が、ベートーヴェンは耳が聞こえなくなったので大音響の曲を書いたということを言っていたが、若干頷けてしまった(くれぐれも、差別的な意味は ない)。金管がかなり炸裂していた。
多くのオペラが、終わりどころというのがあまり上手くないという風に思っているが、この曲もそうだ。曲の長さのバランスなのか、何度もここで終わりかと 思った。CDではそんな記憶はなかったのだが、もう大分前だからな、聴いたの。マーラーの交響曲第3番が、いいかげんにしろよ!と言いたくなるような終わ りなのだが、ストーリーが絡むと、非常に難しい。私など、レオノーレが夫を助けた時点で全曲を終わらせてもいいような気がするが、まあ、ベートーヴェンの 時代はそういう時代ではなかったのだろう。
まあただ、生でオペラにしてもオーケストラにしても聴くのは、CDやDVDと違って独特の雰囲気があり、概ね楽しめる。もうちょっと価格が安けれ ばいいなあ、といつも思うのだが、演奏者のことを考えるとやむを得ないな。特に日本では、安くしたから観客が動員できるとは思えないし。それにしても新国 立劇場は雨にも濡れないで行けるというのは、日本のこういう劇場の中では一番いいな。
先日、知り合いの出ているオペラを観に行った。
演目はプッチーニの「ラ・ボエーム」。若い人たちがやるには最適の演目の一つだ。・・・登場人物がほとんど若者だという理由ばかりではなく、非常に魅力的なメロディーに溢れているし、長すぎず聴きやすい。
二期会という日本のオペラ界では中心的な団体で学ぶ人たちによる演奏だったので、期待しつつ、それでもエレクトーン伴奏だと聞いていたので、ピアノより はいいのだろうけど、やはりオケではないから、オペラとしてはちょっと寂しいかな、等という思いを持ちながら、会場に向かった。
場所は滝野川会館という北区の区の施設だ。500人くらいは入るホールだった。
開演後まず驚いたのは、エレクトーンという楽器の凄さだ。十分にオケの代わりが務まるほどの音がするのだ。もちろん本物ではないから、細かいこと を言えば違うのだろうし、時折電子楽器の音は確かにするのだが、弦も管も打楽器だって、その楽器の音でするし、たった2台のエレクトーンが、2管か3管か 知らないが、フルオーケストラの音を鳴らすのだ。それだけでも予想を覆された。
キャストは
ミミ:高橋史惠 ロドルフォ:西村悟 ムゼッタ:吉田聡美 マルチェッロ:内田雅人 (初日)
ミミ:江熊千恵 ロドルフォ:加藤康之 ムゼッタ:中川美和 マルチェッロ:榛葉樹人 (二日目)
ショナール:千葉裕一 コッリーネ:金子宏 他
という布陣で、指揮と演出は 細岡雅哉 ということだった。
ボエームというオペラは、非常に甘いメロディーに溢れているし、中心となるのはミミとロドルフォの悲しい恋の物語と、他の登場人物との友情が19世紀頃のパリを舞台に描かれている。
オペラの常で、ストーリーはたわいないし、かなりドラマツルギーに支配されたこてこての作品である。尤も、これはいい意味でであって、非常に直接的な「ドラマ」だ。全体がどうあれ、最後のミミが死ぬシーンが素晴らしいと、それだけで感動できる。
プッチーニが書いたメロディーは、その死の場面のオケとロドルフォの絞り出すような「ミミー」という歌に向かって、全てが収斂していくのだ。そのためのオペラと行って過言ではない。
4楽章のこのオペラは、構成的には交響曲的で、序奏とソナタの第1楽章、続いてスケルツォ楽章が来て、その後に緩徐楽章、最後にフィナーレという風に、非常に聴きやすい。
ロドルフォとミミの恋愛という大きなテーマに、スケルツォで色を添えるムゼッタと、そのムゼッタが完全に浮いてしまわないように、常に脇を固めるマルチェッロという構成が、尚更交響曲っぽい。
書く楽章に聞き所があり、一つはロドルフォとミミのそれぞれのアリアと二重唱、ムゼッタのワルツとも言われる2幕のムゼッタの破天荒なシーン、そしてラストシーンと、飽きさせない。
私はそれほど会場でオペラを観た経験があるわけでもないし、これまではどちらかというとオーケストラ曲を中心に聴いてきた。もちろんその中には、最初か ら聴いているマーラーがあったおかげで、声楽に対するアレルギーみたいなものはなかったし(いや、マーラーを聴くまでは確かにあったが)、自分なりのクラ シック音楽に対する対し方がある。
今、「大いなる聴衆」というミステリを読んでいるのだが、これについては後日書くことにするが、この中には、私などがクラシックを嫌いになりそう なご託が、さんざん、特にクラシックサイドの演奏家等の口を借りて沢山出てくるのだが、私は非常に単純に、その演奏会に満足できたかどうかが指標になると 思っている。
「聴く耳」というのは、不幸にして聴覚を失っている人たち以外は、誰でも持っている。つまりは、クラシックなど嫌いだという人にとたちは、聴く耳を持たないのではなく、どのような曲も彼らの耳を満足させ得ないのだと解釈すべきだ、と思っている。
そういう意味では、コンサートに臨む場合、そこに好きな歌手や知り合いが出ているか、日頃から好きな曲かどうかということも、影響するのだ。
そうはいっても、長く聴いていると、当然好みはあるし、この曲はこう演奏するのがいい等という、聴く側の自己主張も出てきたりする。また、一般的に言って、名演といわれているものは、より多くの聴衆を魅了するし、満足させる。
そういう意味では、オペラシティや文化会館、サントリーホールなどで掛かる作品は、オペラであれ、何であれ、それなりのレベルと満足を聴衆に約束すべき義務を背負っている。
もちろんだからと言って、今回のペラがそういう義務を背負っていないと言うつもりは毛頭無い。むしろ、これからプロの舞台を目指していく若手の演奏会だ けあって、1回1回の演奏は、いつでも真剣であると思う。上演までは、数々の苦労を乗り越え、胃の痛む思いもしたことだろうと思う。
しかし上演からはそのような苦労はみじんも感じられなかったし、皆のびのびやっていた。
演出もしっかりしていて、きっとオーソドックスなのだと思うが、非常に感動的に、メリハリの利いた演奏を聴かせてくれた。彼らはやはり皆プロなのだな、と思わせてくれた。
La gemma della musicaと名乗る4人の女性陣は、皆それぞれ、自分の個性で役を演じ、高橋さんは、ちょっと孤高な感じさえするミミを、きれいな歌声で歌い、吉田さん は、ちょっと上品なムゼッタを演じ、江熊さんは、どちらかというと癒し系のミミ、そして中川さんは吉田さんとは対照的な、派手で強気な、そのくせ根は優し いムゼッタを演じていた。
個人的には二日目の方がコントラストがはっきりしていたので、オペラの流れから言えば、いいのかも知れないと思う。
しかし彼ら自身が言うように、la gemmaという言葉が意味する「発芽」とか「宝石」という意味があるのであれば、まさにこれからが彼らの活躍する場なのだと思う。これからの4人と、そ の他の、既に活躍しているキャスト達、そして合唱の人たちもこれからの活躍に期待したい。
恐らく、荒削りなところもたくさんあったに違いないが、少なくともここに、コンサートを楽しみ、満足していた聴衆がいることを知らせたい意味もあって、書かせてもらった。
新聞に新国立劇場で上演予定のベルクのオペラ「ルル」が、全3幕完成版から、全2幕版に変更になったという記事が載っていた。全3幕を披露するには歌手の水準が低いという理由からだそうだ。私は今までこういう例は聞いたことがない(あるとは思うが)。
「ルル」の前に、そもそもベルクという作曲家は、シェーンベルク、ウェーベルンと共に新ウィーン楽派の一人で、12音技法を駆使した音楽を作った。 12音技法とは、ドからシまでの12音を一つの音列として、これの組合せによる変装で音楽を作るものだが、いろいろ決まりがあるらしい。考えてみれば、ド レミファソラシドという学校で習う音階は、ドからシまでの7音で構成されている。音階というのは当然違う周波数の音なのだろうが、5つの全音と2つの半音 という組合せが、どうして調和が取れて聞こえるのだろう?中途半端な感じだ。
半音ずつ上がっていく12音を同じように扱って音楽を作ろうという、純粋に論理的な試みは、面白いと思う。しかしその結果、調性はなくなり、ピアノの黒鍵と白鍵を順番に叩いた時の不気味な音列ができあがる。
そんな仕組みで音楽を造りあげていたベルクという人は、そんなルールの下で、実にロマンティックな音楽を書く人で、ヴァイオリン協奏曲などは名曲だと思う。
そんなベルクには「ヴォツェック」と「ルル」というオペラがある。当然、12音技法で書かれている。メロディーがないというと語弊があるが、いわゆる馴染んだイメージでの調性を持ったメロディーはない。当然歌手の技量は尋常でないものを要求されるだろう。
実は私は、一昨年の11月に日生劇場の開場40周年記念で行われた二期会と東フィルによる日本での「ルル」3幕版初演を観た。ルルに天羽明惠、シェーン博士と切り裂きジャックに大島幾雄、ゲイシュビッツに小山由美という配役だった。
これは非常に良かった。元々ベルクの音楽は好きだが、「ルル」は、その一部を管弦楽組曲にしたものをCDで聞いたことはあったが、本物は初めてだった。
ストーリーも大時代的なオペラと違い、現代劇であり、非常に腥い感じがするオペラだった。もちろん最後がジャックによる刺殺で幕を下ろすという理由にも よるかも知れないが、12音技法で書かれた音楽というのは、私は絶対そうだと思うのだが、明るい音楽にはなりえない。その殺伐とした音列が、なぜか時折異 様に艶めかしく聞こえたと思うと、容赦なくそれが切り裂かれるといった感じで、とてもスリリングだった。
こういう音楽を聴くと、自分が音楽の勉強をろくにしていないことが腹立たしくなる。もっと何かが判っていたら、もっと面白く観れるのになあ、と言うことだ。
シェーン博士をやっていた大島さんという人は、85年の「ヴォツェック」の初演も、まさにタイトルロールでやっているそうなので、日本では、ベルクのエキスパートと言ってもいいのだろう(っていったって、ベルクのオペラはこの2曲しかないが)。
まあ、そんなオペラが、1年半で、再び演目に上がると言うこと自体がすごいと思うが、どうで未完なので、無理して3幕版でやらなくてもいいのだろうが、やはり話の筋が大分違うので、今回の3幕版から2幕版への変更というのはかなり思い切った決断なのではないだろうか。
歌手の上手い下手は、所詮、私は一介の観客に過ぎないので、結果と、その時の気分でしか判断できないが、「ルル」というオペラは、現代音楽の多くが持 つ、「覚えづらさ」と、「表現のしにくさ」を内包しながら、実は非常によくできたオペラなので(例えばライトモティーフと言われても、1回しか聴いたこと がないと、全く判らなかったりするが)、多分歌手にとっては、必要以上に難物なんだろうな、という予想はつく。
日生の「ルル」、たまたまだが、観ることができたと言うことを感謝したい。そんな風に思った。
マスネという作曲家は、「タイスの瞑想曲」で有名だ。この曲は、いわゆる「癒し」系のクラシックアルバム(NHKの名曲アルバムとかね)によく入っていたりする。
元々この曲は「タイス」というオペラの間奏曲だが、美しい曲なので、元のオペラなどよりよっぽど有名だ。
お聴きになりたい人がいればカラヤンとベルリンフィルによる、 序曲・前奏曲・間奏曲集 がオススメ。1枚聴かないうちに確実に寝れる。・・・・いや、いいアルバムですよ、ほんとに。
さて、そんなマスネであるが、まさにオペラ作曲家で、寡聞ながらオペラ以外で有名な曲を私は知らない(ホントはたくさんあるが思い浮かばない)。そのオペラでは「ウェルテル」「マノン」が特に有名だ。あと「ドン・キホーテ」とか。
そんなマスネに「シンデレラ(Cendrillon)」という作品がある。もちろんオペラだ。マスネはフランス人だから、「サンドリヨン」が正しいが、 いわゆるシンデレラの話だ。私はこの作品に15年ほど前くらいに出会い、当時Sonyから発売されていたLPを購入した。
フレデリカ・フォン・シュターデがタイトルロール、王子様役がニコライ・ゲッダというのだった。1幕のシンデレラのアリアが好きで、自分で作ったロッ ク、歌謡曲混じりのカセットの中に、マーラーの「大地の歌」の第1楽章とともによく入れていた。儚げなシュターデの歌唱が、サンドリヨンをよく表現してい た。・・・実を言うと、通して聴ききったことがない。後半だれるからだ。
しかし、レコードで出ていたので、どうせCDも出るだろうと高をくくっていたら、一向に発売されない。シュターデの盤じゃなくてもいいからと待ったが、出ない。オペラを紹介した本のマスネのコーナーにも滅多に「シンデレラ」という文字を見ることもない。
そのときになって初めて、「ああ、この曲は全く無名の曲なんだ」と解った。
数年前に新宿のTOWERで見つけたので、これならそろそろ国内版が発売されるかなと思ったら、一向に出ない。その次に行った時にはそのCDはなかった。後悔というのはこういう時使う言葉だ。
それがしばらく前に再び棚にあった。前に、決断力のなさを連れに怒られたので、今度はすぐに買った。輸入盤なので当然日本語訳は付いていないし、その割 には高かったが、満足している。対訳も実はLPの時にひょんなことからレコードに付属していたものとは別のものを手に入れていて、それが見つかったので問 題ない。
久々に聴いたシュターデの声は、記憶の通りだったし(これは他のオペラで聴いたりしているからそれほど記憶に遠かったわけではないが)、やはりいい曲だと思うが、ちょっと記憶とはメロディが違っていた部分もあった。
オペラは、総合芸術とよく言われるが、CDで聴くというのはそのおよそ半分と言ってもいい「劇」の部分を省いて鑑賞するわけだから、その時点で作 品全体の真価は聴く側に伝わってこない。また、Je suie Japone しかフランス語の記憶がない私にとっては、歌詞を見ない限り意味も伝わらないので、さらに価値の一部が削がれる。そして、オペラ全体を鑑賞しないのだか ら、ホントに全体のわずかばかりを抽出して楽しんでいることになる。
映画や小説などを見ることを考えると、どうも大分違う鑑賞の仕方だ。
もちろん、それらの芸術や文学だって、一部を繰り返し観たり読んだりということはあるので、同じようなものだと言えば言えるのかも知れないが、実はそうではなくて、オペラという作品は部分部分切り取って、アリアや間奏曲といったところが、単独でも楽しめる芸術なのだ。
木を見て森を見なくても、十分に木で満足できる場合がある。まあ、そういったところか。
そんな意味で、私にとっての「シンデレラ」は、これからもあのアリアがその価値のほとんどを占めることになるのかも知れない。
「衣裳を着けろ」は、レオンカヴァルロのオペラ「道化師」の第1幕の最後に歌われる歌だ。カニオという座長で道化師役者が、自分の妻の浮気を知り、 舞台で現実と混同しながら、妻と愛人を殺してしまうという、ストーリーだけでもとてもイタリアーんなオペラで、その妻の浮気を知って逆上しているカニオ が、舞台が始まるのだから衣装を着けねばと自分に言い聞かせる部分を切々と歌い上げる、著名なアリアだ。
これは、レオンカヴァルロの最も有名なオペラだが、何とか言う1幕物オペラ作品コンクールに応募された作品で、2幕物であったため失格となったら しい。前年の1位作品がマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」だというから、なかなかのコンクールのようだが、他の著名な作品を私は知らない。
この2作は“ヴェリズモ”オペラの代表作とされていて、時間も短いので二つ一緒に上演されることが多いようだが、確かに魅力的なメロディが多く、冗長に ならずに楽しめる。ヴェリズモとは、現実主義的とかそんな意味らしいが、どちらかというとメロドラマ、「牡丹と薔薇」とかに近いんじゃないかと思える。確 かに、神話や大時代の歴史物とは違って、日常的な風景ではあるが、それでもかなり、ドラマティコだ。
さて、その中でカニオが歌う「衣裳を着けろ」(カニオとトニオという名を同じオペラに出演させる気が知れない。もう少し違う名前を思いつかなかっ たのか)だが、これはまさに、重く沈むような部分から、高音へ一気に伸びていく哀愁を帯びた、しかし力強いフレーズがとてもかっこいい。
私はパヴァロッティのものと、デル・モナコのものを持っているが、さすがに当たり役だけあって、モナコのは素晴らしい。パヴァロッティだって十分うまい と思うが、霞んで見える。パヴァロッティのは朗々と歌い上げすぎていながら、なぜか高音が伸びきっていないのに、モナコのは、切々とした情感を漂わせなが ら、非常にストレートに高音が伸びている。気持ちいいし、それがカニオの狂気にも似た感情をうまく表現できているように、私には思える。「衣裳を着けろ」 のサビ部分は、最後の幕前の音楽でもあり、実は1幕の終わりから2幕の終わりまでをうまく繋ぐ音楽でもあるのだ。
アリアのあとは、単独でも素晴らしく美しい間奏曲へと移行する。この作品が、失格とされながら、今でもイタリアオペラの代表的な1曲として命脈を保ち続けているのが納得できる名曲である。
最初に聴くオペラとしても、十分に楽しめる作品であると思う。
銀座のライオンでカルメンを見てきた。
こんなところでオペラが見られるとは正直思っていなかった。
銀座7丁目のライオンビルの5階が会場だったが、100人は入っていたろう。予約制なので、すでに席も決まっており、しかも開場10分ほどだったが、7割以上は埋まっていた。
ライオンなので取り敢えずビールを飲み前菜。一応、ランチを頂いてからの演奏ということになっていた。
ほぼ時間通りに開演、ピアノ伴奏だが、フロアをうまく使っていて、楽しませてくれる。
いきなりハバネラから始まってくれたおかげで、気分は入りやすかった。
「セギディーリャ」「闘牛士の歌」「花の歌」と、前半2幕はとてもテンポよく行った。
主役の杣友さんは美人で、迫力がある中にも、色気のあるカルメンを演じていた。ホセの青柳さんは、うまい。そして、ホセらしい。エスカミーリョの佐藤さんも、なかなか素晴らしい響きで、闘牛士を演じていた。
日本語上演だったので、意味もよく分かって見やすかった。ただフランス語でないと、時折、浅草オペラではないが、ミュージカルっぽく響くことがある。ミュージカルが悪いというわけではないが、オペラはやはりオペラで、根本的な何かが違う。
間に20分の休憩を置いていたが、杣友さんは特に出ずっぱりに近いので、しんどかったと思う。
オペラハウスでもないし、オケがあるわけでもなく、合唱もないが、十分に堪能できる内容だったと思う。逆にダイジェスト演奏だったことが幸いしているかも知れない。
それにしても、ライオンはなかなか面白いことをやってるのだな、と感心した反面、食事に関しては、あれではいかんな。皆基本的にはオペラを見に来 ているから、恐らく寛大だが、メインディッシュが出てこないは、出てくれば冷めているは、出す順番はめちゃくちゃだは、いつもやってんじゃないの?と言い たくなった。
いっそのこと、サンドイッチかカレーライスでもさっと出してもらった方が幾分かいい。
また何かあれば行こうかな、という気にはなった・・・・若干値は張るが。
http://r.gnavi.co.jp/g131804/menu2.htm