先日、音楽著作権協会のホームページを見たところ、R.シュトラウスの作品が、特別の記事になっていた。ちゃんと読まなかったが、戦争を挟んでいた関係でいまだに著作権があると遺族が主張していたようで、しかし既に裁判でないということが決まったというような話だった。
R.シュトラウスという人は1964年生まれだから、既に生誕140年になるが、無くなったのが確か戦後1949年頃だったと思うので(調べろって か?)、まだ55年くらいしか経っていない。差し引きすると85才くらいまで生きたことになる。ヒトラーの元でも働いていたようなので世渡りはうまそうで ある。
ハードロックの項でも書いたが、私が初めて買ったクラシックのレコードの一つが「ツァラトゥストラはかく語りき」というシュトラウスの交響詩だった。「2001年宇宙の旅」ばかりでなく、CMやテレビの効果音としても有名な導入部を持つ美しい曲である。
シュトラウスは大きく分けると、若い頃に交響詩ばっかり書き、中年以降オペラを書き、晩年に少しだけ何かを書いたという印象のある、作曲家で指揮者である。オペラは、ワーグナー以降のドイツの最大の作曲家である。ワーグナーのように「楽劇」と呼ばれる作品も書いている。
私は最初に買った曲ではあるが、所詮冒頭の管楽器のファンファーレとティンパニの部分が好きで買ったので、そこから後が聴けるようになったのは大分後の ことだった。しかし好きになると、「ドン・ファン」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」「英雄の生涯」「アルプス交響曲」と立て続けに聴き、 マーラーの交響曲第6番とカップリングになっていた「メタモルフォーゼン(変容)」で、最も好きな作曲家の一人になっていた。「メタモルフォーゼン」は第 二次世界大戦後の作品だが、切々とした弦楽合奏の中にもシュトラウスらしいコマーシャリズムみたいな親近感を持てるメロディラインが美しい。
ようやく最近、オペラが聴けるようになってきた。「ばらの騎士」の重厚な管弦楽に載せたきらびやかな歌は、ワーグナーでもなかなか聴けない。これを聴くと、なぜマーラーのオペラがないのだろうと残念な思いがする。
「サロメ」は、オペラとしては初期の作品に属するが、幻想的な前奏で始まり、ちょっと無調を感じさせるナラボートの歌は、詩付きの交響詩「ドン・キホーテ」といったイメージもあるが、私が唯一学生時代から聴けたシュトラウスのオペラ(楽劇)だ。
R.シュトラウスの音楽は、それまでのロマン派の音楽とはやはり一線を画すような感じがする。独特の世界観と、空間、そして音の厚み。まさに職人 芸と呼ぶべき音楽で、友人のマーラーにあるようなどろどろした人間臭さはない。「英雄の生涯」などというオペラを書き、その英雄が自分自身だと言うくらい だから、ある意味脳天気だったのかも知れないが、とても安心して聴ける音楽だ(俺だけか?)。
作曲家で誰が一番好きか?と聴かれたらやはりクラシックにのめり込むきっかけを作ったマーラーと答えるだろうが、同時代だからというわけではなく、シュトラウスはやはりはずせない作曲家だ。
最近はあまり交響詩を聴いていない。「家庭交響曲」とか「マクベス」とか、佳曲は他にもたくさんあるので、いずれCDになっているのは制覇したいと思う。
でも今この時点でかかっているのはパット・トラバースなんだよな。
今読んでいる小説に、時折ディーリアスが出てくる。翻訳ではデリウスとなっているが、明らかにディーリアスだ。この登場人物はイギリス人なので、ディーリアスは自国の作曲家ということになる。
イギリスの音楽というと、パーセル以降目立った人がいない。ヘンデルはドイツ人だが、イギリスで活躍していたのイギリスの音楽といってもいいかもしれな いが、それ以降、なぜか目立った作曲家は、ホルストやエルガーなどの比較的近代の作曲家しか知られていないような気がする。ディーリアスもその一人だ。
「惑星」のせいで、ホルストは非常によく知られているし、エルガーも「威風堂々」で知られていることを思うと、ディーリアスは非常に地味だ。その音楽も全 体的に地味で、言ってみれば、「カラヤンのアダージョ」ではないが、非常に静かな音楽が多い。・・・多いというか、何を聴いてもそんな感じだ。
一番有名(と私は思っているのだが)な曲はオペラの「村のロメオとジュリエット」だと思うが、これなど全体を通して、夢見るような音楽で、激したところ が全くない。かなりドビュッシー当たりから影響を受けているようだ。ドビュッシーと同い年で、フランスで死ぬまで過ごしているの、さもありなんというとこ ろだが、しかし、印象派とかドビュッシーと同じかというとそうでもない。もっとロマンチックで、絵画的だがより写実的な雰囲気があると思う。おおらかとい う表現があたっているように思う。
尤も、ディーリアスを全部聴いたわけでもないし、どちらかというと数少ない経験の中での印象だ。部分部分は、ドビュッシーぽいように聞こえても、その後牧歌的なフレーズが流れてくる辺りが、あたかもマーラーの第3交響曲の終楽章のようだったりもする。
CDになっている曲のほとんどが、美しくてゆったりとした曲なのだが、例えばアルビノーニのアダージョとか、パッヘルベルのカノンのようにキャッチーなメロディーライン中心ではなく、一見キャッチーなメロディーをズオーっと引き延ばしたようなイメージがある。
ただ絶対、クラシックを「アダージョ」なら聴けると思っている人、眠りの前の子守歌にいいと思っている人は是非聴くといいと思うのだが。とにかく美しい。
先に書いた「村のロメオとジュリエット」は持っているが、他のオペラを聴いたことがないので聴いてみたい気がするのだが、何となく全部似ている予感が・・・・
あ、ヴォーン・ウイリアムスがいた。イギリス人に怒られちゃうな・・・・でもメジャーって訳じゃないよな。
ブリテンが~!!!
ブルックナーは言うまでもなく、19世紀後半に活躍したクラシックの作曲家だ。
私はここで何度も書いているようにマーラーの復活をきっかけに、多くクラシックを聴くようになった。ブルックナーとマーラーは、師弟関係にあるの で、よく書物などでは「ブルックナー・マーラー」などと一括りにされることがある。ブルックナーは1824年生まれなので、1860年生まれのマーラーと は36歳の年の差がある。70年代の半ばにウィーン音楽院で、マーラーはブルックナーから和声を習っている。
マーラーが交響曲で歌を多用しているのに反して、ブルックナーは一切それがない。だが、宗教曲を除くと、ブルックナーの作品もおおむね交響曲ばか りで、しかもベートーヴェン以来の9曲の呪縛に見事はまっている。だからこそマーラーは、巨大な第8番の後に「大地の歌」を交響曲として発表したのだ。
さて、これまでブルックナーのレコードやCDを持っていなかったわけではなく、相当昔に、0,3,4,8,9という番号の交響曲をレコード、あるいはCDで持っていた。何回かは聴いている。しかしこれまで、何度聞いても、どこがいいのか解らなかった。
ブルックナーにかに関しては、昔はよく「天国的」とか言う表現を聞いたことがあるような記憶があるが、独特と言ってもいいスケルツォ(ブルックナークレッシェンドとでも呼びたいような)や、やたらと金管がうるさいというイメージを払拭しきれないでいた。
最近、タワーレコードでロジェストヴェンスキーのブルックナーの交響曲全集を買った。私はロジェヴェンという人が好きで、ショスタコーヴィチの交響曲全集やら、チャイコフスキーの後期の交響曲やらを愛聴しているが、このブルックナーもなかなかよい。
これまで聴いたことがなかった、2,5,6と言った曲や、持っていなかった1,7なども面白い。アダージョは綺麗だし、金管もうるさく感じられなくなり、相変わらずランダムできているときにブルックナーのどこかの楽章がかかると、つい必要以上に耳を傾ける。
もとより、本も読んでいないし、ライナーも読んでいない(輸入盤なので読めないのだが)。だからブルックナーの知識は非常に乏しいのだが、重厚で、そのくせ広がりがあり、巨大な何かを感じる曲が多い。マーラーと違って、描写的なところは少ないような気がする。
むしろ、ベートーヴェン、ブラームスと来たドイツの交響曲の正当な後継者という気がする。ドイツらしい堅苦しさはやはり備えているように思う。
昔と違い、1曲聴き通すという聴き方をほとんどしなくなったので、演奏会にでも行かない限り、どうしても部分聴きになる。まあ、それが私の楽しみ 方なので、あえてそれを変えようとは思わないし、ブルックナーの後にレインボーでもかかったりすると、一気にそのモードになるので、まだまだブルックナー には浅い。
クラシックというのは、面白いと思う。昔はブラームスだって面白くないと思っていたが、今では大好きだし、最近はほとんど聴かなかったベッリーニ なども好きだ。まだまだ埋もれている作曲家とか、どちらかというと、バッハという大家が私のテリトリーにほとんどいないので、開拓の余地がある。
ロジェヴェンと言えば、ロシアの指揮者だが、昔ビクターから出ていたメロディアというレーベルは、いい盤がたくさんあった。神保町の古書センター の上の方に、ロシアものを中心にしたCDショップがあり、そこでロシアンロックなども買ったりかつてはしたものなのだが、今でもあの店はあるのだろうか? 何年も行ってはいない。店名も忘れた。久々に行ってみようか。・・・芳賀書店には行かないぞ。・・・たぶん。
今日たまたま友人が遊びに来ているときに、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が流れた。相変わらず、PCの音楽をランダムに流していた結果だ。
「チゴイネルワイゼンだっけ? 」という友人に「チャイコフスキーじゃなくて・・・」と、おおぼけをかました。チャイコフスキーとメンデルスゾーン、シベリウスそして時にブルッフは、ヴァイオリン協奏曲のCDデカップリングになる。時間的にちょうどいいのか、それぞれ著名なヴァイオリン協奏曲が1曲ずつしかないからなのか、レコード時代から非常に多い。
メンデルスゾーンは、小学校で習う作曲家の一人だが、甘いメロディーで、まさにロマンはど真ん中のイメージがある。ヴァイオリン協奏曲以外に、交響曲第4番、3番、真夏の夜の夢(の中の結婚行進曲)が、特に有名なのではと思う。「スコットランド(3番)」より「イタリア(4番)」の方が少し有名なような気がする。まあただ、日本で最も有名なのは、結婚行進曲に違いないから(メンデルスゾーンの曲とは知らなくても)、下手をすれば、最も有名な作曲家だったりして。
個人的な好みで言えば、交響曲3,5、ヴァイオリン協奏曲と、無言歌、弦楽八重奏などが特に好きだ。
40前になくなっているのはモーツァルトやシューベルト、ショパンなど錚々たるメンバーがいる。昔の人は短命だとはいっても、神経すり減らしてたのかな、 などと思ったりもする。ジミ・ヘンやジャニスも早死にだったし・・・(ちょっと違うか)
メンデルスゾーンという作曲家は、難しいことをまったく考えないで聴ける作曲家の一人だと思う。 奥深さがないと言ってしまえば元も子もないが、そういうことではなく、純粋に音楽が持つ美しさを体現した作曲家のように思える。他の作曲家もきれいな音楽はたくさん書いているが、何より美しさが際だっている作曲家がメンデルスゾーンだ。
メロディラインの美しさというばかりでなく、曲の構成そのものが美しい。
僕は「真夏の夜の夢」という劇付随音楽が、あまり好きではない。その理由は、単純な美しさ、いわば耽美的なものに、何か不純物が紛れ込んでいるように思えるからだ。 まあこんなものは、単なる個人的な言いがかりかもしれないが、なんだかそう感じる。
この人はこういう表題的な音楽が向いていないのか、と言えば、交響曲の例もあるので、そうとばかりもいえない。ただ、有名になったオペラ作品がないという辺りに、答えはあるのかもしれない。劇や台本に音楽を乗せるという行為の中で、流れるようなメロディラインが、うまく乗らない何かがあるのかもしれない。・・・などと勝手に考えてみたりする。
今改めてスコットランドをかけているが、ああ、いい曲だなあ。
先日テレビで、モーツァルトの音楽が病気を治すというのをやっていた。高周波というのが非常に多いのだという。どこかの大学の先生が研究しており、そういうゼミのようなものもあるようだった。
クラシックの中で、なぜかモーツァルトというのはよく特別視される。わずか35歳でなくなりながら、後世にこれだけの音楽を残し、伝えられ、さら に評価されているのだから、確かに天才ではある。しかも交響曲からピアノ曲、オペラなど、クラシックの音楽のほとんど全てのジャンルを網羅している。ケッ ヘルが付けた番号は626まである。5歳から作曲していることを考えれば、年平均20曲以上を書いているわけだ。
ポップスを年間20曲作るわけではなく、その中には20曲ほどのオペラも含んでいる。1曲でCD2枚組3枚組の量があるのだ。現代のような録音技術があ るわけでもないから、紙の譜面に書いていく。大変だ。・・・まあでも、バッハなんていうとんでもない多作家もいるわけだから、それに比べれば、それほどで もないのかも知れない。
ともかく、モーツァルトの音楽は病気を治すらしい。なかにし礼が、おまけのように言っていたのは、やはりおまけのように感じるが、確かにモーツァルトの曲というのは特徴的で、ハイドンなどはかなり似た感じもあるが、ちょっとお堅い。
モーツァルトなりクラシックが「癒し」とか言われても、非常に怪しく、もちろん癒される人もいようが、いらいらする人だってきっといないわけではない。 アダージョとかラルゴとか、遅い音楽が「癒し」と結びつくのは、例えば「バラード」と言って静かで遅いポップスがやはり癒しを標榜するのと同じく、人の心 に安寧を与える可能性が高いと言うことも言えるが、あくまでヒット率が高いと言うだけだ。
昔からよく私が言っているのは、取り敢えず好きな音楽は静かであろうとうるさかろうと、こころをリラックスさせてくれる。高揚感とリラックスは対になるようなことではなく、集中してその世界に入り込めているときは、リラックスしているものだと思う。
ただ「高周波」とか、直接人間の脳に影響を与えそうな言葉が出ていると、病気が治るかどうかは別として、直接的に肉体に働きかけているような気は する。薬を飲まずに、音を聞いているだけで病気が治るものなら、何となく健康的なので、どんどん研究して欲しいし、そういう効果があるのならうれしいこと だ。
手の平をかざして病気が治る、呪文を唱えて病気が治る、いずれにしても、そういうことが可能なら、薬を飲んだり、メスを入れたりするよりは遥にいいわけで、モーツァルトもその部類だ。個人的には、モーツァルト以外でも発掘して欲しい気はするが。
マーラーの今際の言葉は「モーツァルト」だったという。そうか、「薬をくれ!」と言っていたのかもな。
モーツァルトの生誕250年だという。まさに今日がその誕生日だ。250年前の暦がどうなのかは知らないが、そう言うことらしい。
モーツァルトというと、バッハやベートーヴェンとともに、ほとんどの人が名前を知っている。しかも映画「アマデウス」のおかげで、バッハやベートーヴェンなどとは違い、姓だけでなく名まで有名だ。
しかし実際に曲をどの程度知っているかということになると、おそらくは、驚くほど知られていないと思う。少なくともクラシック好きの人が、モーツァルト程度は常識だろうと思っている、10分の1も知らないに違いない。
モーツァルトの書いた曲を上げよといわれたときに、ベートーヴェンの「運命」や「第九」ほどに、曲名が知られているわけではない。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」という名前を聞いたことはあっても、恐らくモーツァルトと結びつかない人は多い。
テレビなどでかかるレクイエムの回数は、最近ではモーツァルトよりもヴェルディの方が多そうだ。
ジュピターという名前を聞いたときに、モーツァルトの交響曲を思い浮かべる人よりも、ホルストの「惑星」を思い浮かべる人の方が多いかも知れない。もちろん、平原綾香のおかげだ。
「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」等という著名なオペラは、どこかで名前を聞いたことがあるかも知れないが、下手をするとそれがオペラのタイトルであることを解らない人も多い。
最近ではクラシックのCDがよく売れているという。確かに昔に比べると、クラシックのハードルは低くなり、多くの人が聴くようになった。中でもモーツァルトは、簡単で難しく、聴きやすいので、ベートーヴェンなどよりは遙かに入りやすいだろう。
だが、CD等で、例えばモーツアルトの交響曲集を買ったとしよう。1枚聴き通し、曲当てクイズを行っても、簡単には答えられない。極論すれば、どれを聴いても似ているからだ。
たとえモーツァルトでも、日本語の歌詞が付いたJ-POPとは比べものにならないくらい、覚えるのは大変だ。
さて、そんなモーツアルトの音楽が、200年以上も前に生まれたにもかかわらず、いまだに多くの人に聴かれ、楽しまれているというのは驚嘆に値する。
人類の歴史から考えると、クラシックの歴史は思うより遙かに短い。しかも、20世紀を10年~20年くらい過ぎると、それから先は余りよく分からない音楽が続くので、実質200年間の音楽に近いとも言える。
もちろん、ルネサンスとかまで広げる事は可能だが、それでもせいぜい300年だ。
ただ、200年とはいえ、その200年を朽ちることなく、人々に感動を与え、聞き続けられているというのは、そこに何かがあるからに違いない。
最近の音楽が朽ちていくというのではない。ただ実際問題、最近の音楽の寿命はそれほど長くないものが多いだろう。それはある意味、ポピュラーの持つ宿命のようなものかも知れない。ビートルズだって、100年後にどれほど聴かれているかは疑問だ。
もちろん、どちらが優れているかということではなく、単純に、それだけの長きにわたり聴かれ続けている同じ音楽ということの凄さを言いたいだけだ。
ジョン・レノンの曲は、個人的にはどこがいいのかよく分からないが、ジョンが歌ってこそのあの気の抜けた感が、多くの人に感銘を与える原動力のような気がする。他の人が歌っても、いい曲はいい曲だが、何かが違うと言われるのではないか。
ところがモーツァルトなどは、これまでの歴史の中で、数えきれぬほどの演奏者が、同じ曲を演奏してきたのだ。そしてその都度、その演奏に賛否が唱えられ、いいに付け悪いに付け評価され、現代に到っている。
そもそも同じ音楽だが別のものなのだ。ジョン・レノンで言えば、スタジオ録音とライヴ、どこどこでのライヴと、何とか音楽祭のライヴでは違う、ある意味それと似ている。
ただモーツァルトの凄さとは、多くの作曲家、そして演奏家が、年を降るにつれ回帰し、その深みにはまっていく音楽であるという点だ。それは、ベートーヴェンも、ブラームスも、ワーグナーも、マーラーもあるいはバッハでさえ、持たぬ何かなのだ。
ハイドンの曲は、時折モーツァルトと似た響きをする。しかし、ハイドンは、モーツァルトが持つ、ある意味神々しさのようなものは持たない。実は私もモーツァルトのそういう側面はまだよく分からない。
でも、飽きない曲という側面をモーツアルトの曲は持っていて、これは単純に、心地いいとか、聴きやすいというのとは別のような気がする。
何より生誕250年、若くして亡くなった作曲家だが、今も尚、この時代にその音楽が生きている。すごいことではないか。