王様の宮殿
由比敬介による好きな音楽限定のブログ。

 たまたま、NHKのBSなんちゃらいう番組を、地上波で再放送をしているのを途中から見た。3大ギタリストをテーマとした紹介番組だった。
 3大ギタリストと言えば、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジだが、ぼくはこの3大ギタリストという呼称が嫌いだ。極論すれば、元ヤードバーズというだけのことで、敢えて3大という風に祭り上げる意味がよく分からない。
 ということで、自分にとってギタリストという場合、どういうラインナップになるのだろうか?と考えてみた。
 例えば、ぼくはスコーピオンズが好きだが、スコーピオンズのギタリストという意味では、あまり意識したことがない。この人が弾いているという認識だ。同様に、ホワイトスネイクも「ホワイトスネイク」というアルバムの前後では、まったく方向性が違うが、でも、違うというだけだ。
 ぼくがギタリスト、として第一に名前を挙げるとすれば、それは、マイケル・シェンカーだ。
 前述したスコーピオンズの初代ギタリストではあるが、そのキャリアは置いておくとして、UFOの「現象(Phenomenon)」に収録された「ロック・ボトム(Rock Bottom)」のギター・ソロが、ぼくにとってはギターソロの最高傑作だ。曲全体としては、フィル・モグという人の声がそれほど好きではないので、どうかなと思うが。マイケル・シェンカーは、まったくボーカリストを選ぶ目がない、とぼくは思っている。尤も、モグは、彼が選んだわけではないので、縁がない、という方がいいかもしれない(UFOファンには怒られるな・・・)。
 次は、リッチー・ブラックモア。ある意味この人は別格なのだが、リッチー自体が好きかと言われると、ソング・ライターとしては、僕の好みの曲をたくさん書いてくれているので好きだし、ギター・プレイもすごい。だが、すげーぜとは行かない。実は、マイケルもすげーぜではない。好きなだけだ。
 ここからは3位以下だか、すげーぜとなる。
 ジェフ・ベック、カルロス・サンタナ、ロリー・ギャラガー、ロビン・トロワー、ニール・ヤング、テッド・ニュージェント、デイヴ・メイソン、ジミ・ヘンドリックス、ジミー・ペイジ、ポール・コゾフ、アルヴィン・リー
 順不同だが、こんな感じになる。
 もちろん、エリック・クラプトンだって、今これを書くときかかっているサンタナバンド時代のニール・ショーンだって、ゲイリー・ムーアだって、デヴィッド・ギルモアだって、スティーヴ・ハウだって、ロバート・フリップだって場合によっちゃ、マーク・フファーナーだって、他にも素晴らしいギタリストは大勢いる。だが、ロバート・フリップが好きでクリムゾンを聴いているのではなく、イエスも、ピンク・フロイドも、GFRもそうじゃないんだな。
 ジェフ・ベック以下のギタリストは、彼らのギターの音が好きなのだ。
 デイヴ・メイソンなんて、彼にしか出せない音色だし、メロディーだ。
 今更ジミ・ヘンでもないが、ジミ・ヘンは外せない。
 インペリテリがいくら速くても(すでに古いか)、速弾きははアルヴィン・リーだ。
 マイケルとリッチーは、どうやら作曲家としてのなにやらぼくにフィットする世界が、ギタリストとしての株も上げているのだ。
 今日は名前を挙げただけ。続きはいずれ。
 

アグネス・チャンの「白い靴下は似合わない」は、これまでも何回か曲名だけ出した記憶がある。
この曲は、1975年、ぼくが高校1年の時の曲だ。作詞作曲ともユーミンで、当時は、「いちご白書をもう一度」や「まちぶせ」など、言ってみれば「あの日に帰りたい」の延長線上にある、マイナーコードの名曲を、ユーミンは量産していた。
アグネスは、「ひなげしの花」でその数年前にデビューしていたが、中学の友人の一人がとてもファンだった。ぼく的には、中学生だし、聴かないわけではなかったが、この曲に出会うまでのアグネスは、あまり興味の沸かない歌手だった。
だが、この切ない名曲は、アグネスのちょっとたどたどしい日本語と、線の細いきれいな歌声で聴くと、何とも高校生の心を打った。大学時代、友だちからレコードを借り、返し損ねたまま30年が過ぎてしまい、大変申し訳ない思い出もある。
また、この頃失恋したことも相俟って、この曲の思い出は35年経った今でも、鮮烈な何かがあるのだ。オヤジでもそういう時代があるのだな。
失恋の歌だ。胸の奥をぎゅっと掴まれるような、そんな気分を、忘れてしまった気分を思い起こさせてくれる。当時も結構売れた曲だ。

たまたまYouTubeで見つけた。素晴らしい。

お年を召されてからのアグネスのものもあったが、どうしてこんなに歌が下手になってしまったのか、と愕然とする内容だった。
また、別の歌手が歌ったものもあったが、全くだめだ。
まあ、思い出と共にあるから素晴らしいと思っている曲に関しては、まったくその記憶が邪魔をして、冷静な判断ができない場合もあるからやむを得ない。