王様の宮殿
由比敬介による好きな音楽限定のブログ。

 ELOといったってエロじゃない。Electric Light Orchestraの略だ。
最初に私がELOに出会ったのは中学生の頃、テレビであった。ソウル・トレインと同じくらいの時間帯にやっていたアメリカの音楽番組で、「ラレドの嵐」 を聞いたのが初めてだった。同じ時に、ビージーズの「ブロードウエイの夜」をやっていて、なぜかこの2曲がすごく好きになった。
ELOはジェフ・リンというリーダーが率いるロック・グループだが、エレクトリック・ヴァイオリンやチェロといった、弦楽器を演奏するメンバーがいて、クラシカルな編曲を得意とするバンドだった。曲もほとんどジェフが書いていると思う。
彼は元々moveというバンドにいて、それがELOの母体となっているはずだ。
私が最初に聞いた「ラレドの荒し(Laredo Tornado)」は5枚目のアルバム「エルドラド(El Dorado)」に入っている曲だが、彼らが有名になったのは、最初はチャック・ベリーのカバー「ロール・オーバー・ベートーヴェン(ROLL Over Beethoven)」だと思う。その後は「A New World Record」「Out of the Blue」「Discovery」そして何より、オリビア・ニュートン=ジョンとの「ザナドゥ(Xanadu)」で売れたと思う。この3枚のアルバムはミ リオン・セラー級だったはずだ。
非常にポップで、私としては珍しい。多分ストリングスセクションのアレンジなどが好きだったのだろう。
どちらかというと私は初期の頃の方が好きで、ELOの音楽はよくビートルズ風とか言われるのだが、私にはよく分からない。ジェフがビートルズ・マニアな のはよく知られた話だが、であれば、そういう側面はあるかも知れない。だが、私はビートルズをほとんど聴かないので、よく分からない。・・・・「ロール・ オーバー・ベートーヴェン」も、ジョン・レノンが歌っているはずだが。
実は、売れてからのELOは余りよく知らない。「Face The Music」だったかな?その辺りまでが聴いていた最後だ。「Evil Woman」なんていう曲は代表曲だと思うが、日本タイトルのクレジットが、昔は「悪い女」とか、よく覚えていないが日本語で付いていたようなかすかな記 憶はあるが、その後は「エビル・ウーマン」だった。聴いていれば、「イーヴル・ウーマン」と発音しているのだから、いいかげんなものだ。
だが、この曲は好きだ。私は、これぞELOだと思っている。アルバムとしては「エルドラド」がコンセプト・アルバムとしてもまとまりがあっていいが。
実はCDになってから、最初の2枚のアルバムは持っていない。今度輸入盤やさんでも探してみようかな。

ディオ2
2月 20th, 2005 by admin in ハードロック, ロック No Comments

 ロニー・ジェイムス・ディオの2回目。(1回目
先日、新しいアルバムが先日発売になった。

相変わらずのおどろおどろしいというか、買うのがちょっと恥ずかしいというか、妖しいジャケットだ。あくまで悪魔とか、そんな世界にこだわっているようだ。ライナーの裏表紙で、おなじみの「影絵の狐」みたいな指をした本人が写っている。
対訳を見てみると、これまた相変わらず、神話的というか、イメージ的な歌詞が延々と続く。「あなたが好きよあっは~ん」みたいな歌詞は欠片もない。 ディオは、ロックンロールバンドELFがそのままリッチー・ブラックモアを迎えた形でリッチー・ブラックモアズ・レインボーというバンドになる。70年代の半ばのことだ。
レインボー(何となくレインボウの方が好きなのだが、日本語表記はこのバンドに限っては、レインボーなのでそう書くが)は、曲調はやはりリッチーの手に なるので、ディープパープルだが、ロッド・エヴァンス、イアン・ギランやデヴィッド・カヴァーデールなどとは一線を画すロニーの歌詞は、基本的にラブ・バ ラードはない。
レインボーの最初のアルバムに入っている曲も、当時はタイトルが日本語にされていたので解りやすいが、「銀嶺の覇者」「自画像」「黒い羊」「虹をつかも う」「蛇つかい」「王様の神殿」「もしもロックが嫌いなら」「16世紀のグリーンスリーブス」「スティル・アイム・サッド」という10曲だが、最後の「ス ティル・アイム・サッド」は元々ヤードバーズの曲だし、このアルバムでは完全なインスト曲になっている。
タイトルだけ見ても、リアルなラブソングはない。「虹をつかもう(Catch The Rainbow)」は多少その気があるが、非常に夢想的な内容だ。
実はELFのアルバムでもロニーがこういう曲を書いていたかというとそうでもない。だから、レインボーはリッチーとロニーによる、中世へのオマー ジュ的なコンセプト・バンドだったんだと思う。ロニーが参加した3枚のスタジオ録音は、上記のアルバムで始まり、セカンドでは「タロット・ウーマン」とか 「スターゲイザー」のような曲(後者は魔術師にたぶらかされて塔を建てる労働者の歌だ)、サードではアルバムタイトルそのものが「バビロンの城門(The Gates of Babylon)」で、最近でもよくテレビのBGMで使われる派手なイントロの曲は「キル・ザ・キング(Kill The King)」だ。
ただどちらかというと、現在の二人の状況を見ていると、吟遊詩人を気取ってブラックモアズナイトというデュオ(若い奥さんと二人で)を組んで、中 世フォークロア的な世界を追い続けるリッチーと、完全にメタルと悪魔的世界にどっぷりのロニーとでは、大分隔たりがあるし、「ああそうか」この二人が組む とこんな中間的世界ができあがっていたのもうなずける、といった感じだ。
レインボーを脱退したロニーが加入したのが、オジー・オズボーンの抜けた後のブラック・サバスだった。レインボー的と言われる「ヘヴン・アンド・ ヘル(Heaven and Hell)」、サバス色が濃くなった「モブ・ルールズ(The Mob Rules)」とライブを出して、一旦離れるが、後にもう一枚参加することになる。「デヒューマナイザー(Dehumanizer)」という、どちらかと 言えば、ファンからもあまりいい評価は得られなかったアルバムだ。
非常に機械的で、アタックの強い、現在のディオを予測させる内容になっている。個人的には実は結構好きだ。もちろん、先の2枚、あるいはサバスであれば、オジーのいないサバスなんてサバスじゃないという向きは多いに違いない。
オジーという人は、テレビで自宅をドラマのように公開してしまうような奇矯な人でもあるので、やはりサバス・ワールドに与えていた影響は大きいと思う。
しかし、独特の重いリフとサウンドは、トニー・アイオミ、ギーザー・バトラー、ロニー・ジェイムス・ディオの3人ならではの音だと思う。
バンドとしてのディオは、このブラック・サバスの最初の3枚のアルバムと、「デヒューマナイザー」の間にスタートする。レインボー-「ヘブン・ア ンド・ヘル」と来た流れの先にあるようなファースト・アルバム「ホーリー・ダイバー(Holy Diver)」は、サバスを辞めたロニーが、レインボー的ではない、どちらかというと黒魔術的な音楽世界に足を踏み入れた、最初の1枚だ。本来は、サバス こそがそれに当たる感じもするが、かなりレインボーを引きずっており、アルバム的には楽しいが、サバスの2枚はディオの世界観ではない。
私は英語が堪能ではないので、この「Holy Diver」というタイトルの意味が正確に摑めていない。ジャケットには、悪魔だかなんだか解らないが、そんなようなものから逃げている牧師か神父が湖で溺れかけているような絵が描かれていた。
歌詞を聴いていると、真夜中の海に飛び込んで逃げろ逃げろ見たいに聞こえる。
まあ、ディオそしてロニー・ジェイムス・ディオはこのアルバムを境に、人生をこの路線にかけているとしか思えないほど突き進んでいる。彼が多分、30代の半ばから後半にかけてではないかと思う。
実は「ルック・アップ・ザ・ウルブス(Lock up the Wolves)」辺りから後は、比較的何を聴いても同じ・・・・というイメージがある。実は今回もそうだった。だが、ディオが頑なにこの道を追い求めるよ うに、レインボーで、私にロックを聴くきっかけを与えてくれた彼の声は、私にとっては何にも代え難く、少しくらい曲がつまらなくっても買い続けるのだ。
確かに彼の声が、「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」を歌っていなかったら、私は今でも「ハードロックは騒々しい」と思っていたに違いない。世の中にはこういう勝手な一期一会というものがあるのだ。

 恐らく、私が初めてきちんと聴いたオペラ(この場合は正確には楽劇かも知れないが)が、「ラインの黄金」だ。これは、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」の序夜と呼ばれるものだ、
ニーベルングの指輪は、「ラインの黄金」を始めとして「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の4作の楽劇からなる壮大な音楽劇だ。それぞれの作品が、通常のオペラ作品や、それ以上の長さを持ち、全てを演奏するには15時間前後かかる。
映画「地獄の黙示録」で有名になったワルキューレの騎行は、この「ワルキューレ」の第3幕への前奏曲だ。
私が最初にこのレコードを手にしたのは、大学生の時、3万円のショルティとウィーン・フィルによる、今となっては歴史的な名盤でのことだ。確か、ライト モティーフ集というのが付いて、全部で19枚組くらいだったと記憶している。1枚当たり1500円だったので、大学生でも買えたのだろう。
これにははまった。
CDでも買い直しているので、確かに好きなのだが、今歌っている歌手を見ると、ニルソン、ヴィントガッセン、ホッター、フラグスタート・・・なんだかすごい。ルチア・ポップがむちゃくちゃ若い。録音は1958年から65年だ。・・・おいおい生まれる前かい。
ライブではなくスタジオ録音で、決して音も悪くない。
ワーグナーの作品の多くは楽劇と歌劇で、交響作品や歌曲は数少ない。オペラではなくムジークドラマと呼ばれるが、ワーグナー自身はそう言ってはい なかったようだ。と言って、オペラとも呼んでいなかったらしい。Gesamtkunstwerkという風に言っていたという。まあ、総合芸術って言うこと のようだ。
オペラ自体が、ある意味総合芸術としての側面を持っているのでどう違うのかという話になると、アリアがないとか、音楽が止まらないとか、つまりは渾然一 体となった全体的作品というようなことではないだろうか。ライトモティーフ(示導動機)というのもあるが、ワーグナーほど凝っていなくても、多くのオペラ や、交響曲でも似たようなことをやっている作曲家はたくさんいるので、これはどうなのだろう?
いずれにしても、最初の聴くオペラとしては重いし長い。モーツァルトの音楽などとは正反対な気がする。荘厳と言うより重厚で、「ラインの黄金」の 冒頭から、何か壮大なドラマが始まるぜい!とでも言わんかのような音作りだ。私はこの、ライン川の流れの中から、ラインの乙女たちが出てくるところは、非 常に好きだ。
私はLDとDVDで、レヴァインとメトの盤を持っているが、いわゆるこういうオーソドックスな演出が一番好きだ。神様が背広着ていたり、ジークフリート の胸に大きな「S」マークが付いていたりする演出は、たくさん観ている人には新規でいいのかも知れないが、神話世界は神話世界らしい演出で観たい。
しかし、聴けば聴くほどのこの曲はかっこいいし、ジークフリートを歌う歌手が「ヘルデンテノール」と呼ばれるのもよく分かる気がする。もちろんジークフリートが英雄だからだが、英雄はワーグナーのオペラの専売特許ではあるまい。
しかし、ジークフリートのような純粋無垢な「英雄」というのはなかなか希有なキャラクターでもあるような気がする。
「ラインの黄金」は、借金をして城を建てたヴォータンが、ラインの黄金を盗んで指輪を作ったアルベリヒから指輪を盗んで、城を建てた代金に巨人に渡すとい うお話しだが、この指輪は「指輪物語」ではないが、世界征服のできる指輪でありながら、アルベリヒの呪いで、最終的には神々を没落に導く指輪だ。
「ラインの黄金」の最後で、指輪で代金を払い、人質になっていた義理の妹を救い出して、悠然とワルハラに入場するときの音楽「虹の架け橋」から、ラインの 乙女たちが黄金を盗まれたのを嘆き悲しむ歌の部分が一番好きだ。他をすっ飛ばしてもここだけを聴く価値がある。しかも歌付きで。ここはオーケストラ編曲で は味わいがない。
「ワルキューレ」以降はまたいずれ。