世間では稲田朋美が、自衛隊や防衛大臣として投票をお願いみたいなことを言って、様々なところから批判を受けている。
 そして数時間後に、特に謝罪もなく
「その中で誤解を招きかねない発言があったことに関しまして、その誤解を招きかねない発言に関して、撤回をいたしたいと、そのように思っております。」と、発言を撤回した。
 発言の内容については、他の人がたくさん言っているし、「なんとまあ」と思うわけだが、今日の論点はそこではない。

 こういった発言は稲田朋美ではなくとも、多くの閣僚、議員、有名人が時々している。謂わば、言わでもの事を言って、追い込まれ、後で撤回したり謝罪したりする。
 その時ほとんどの議員が言うのがこの「誤解を与える発言」という、人をバカにしたような表現だ。

 誰も誤解していないし、それを口にしたときの、あなたの考えがよく解っただけだから、といつでも思う。
 人間なので、言い間違えや、意図しない言い回しになることもあると思うが、その多くが、日常的に思っていることが口に出た結果、社会から糾弾されたり、ツッコまれたりと言うことで、その言い訳として誤解を与えるという、相手が間違った解釈をする可能性に言及することで、自分が言ったことをなかったことにしようとする。
 
 こんな事は実は日常的に家族や友人間でもあることだし、結構な確率で人間はこれらの議員と同じ行動を取る。
「そういう意味じゃなかった・・・・」
 まあ、多くの場合そういう意味だ。だが言ってはいけない言葉なのだ。素直に謝ればいい。

 ところが政治に携わる人たちはそうはいかない。

 先日の「東北地方だったからまだ良かった」みたいな発言も趣旨は、「東京だったらより甚大な被害があった」という規模だけのことを言おうとしたという解釈もできるが、それはそう言わなくてはいけない。

 今回の自衛隊の件でも、この人のこれまでの、教育勅語についてや様々な意見を聞いていれば、少なからず歴史修正主義に傾いた思想と、明らかに自衛隊を国軍と認識しながら、自らがその頂点に立って意気揚々としているように見えてしまう。だからこういう発言が出ても仕方ないよな、と思う人が多いし、こういう人に防衛大臣を任せていていいのか?と思う人がとても多いと思う。そもそも撤回の仕方も、印象としては、嫌々している感は否めない。

 こういったことは「誤解を与える発言」といういい方で、自らの発言を否定し、あるいは謝罪したとしても、それで解決することなのだろうか?
 あるいは解決する場合もあろう。だがテレビを観ていたりして、多くの発言は「誤解」とは無縁だ。誤解ではなくただの「誤った発言」であり、「訂正」すればそれがなかったことになるわけではない。それをこれで解決させようとするのは、間違った発言を誤解という表現で塗り固めようとする、文脈を無視した国語力の無さに感じられる。
 ケースバイケース、その時の発言にあった修正の仕方や謝罪の仕方、認識の過誤や思想的な過ちを認めないのは、政治家に許された特権のようである。

 ぼくなどは、そもそも稲田朋美は、普通に自分が思っていることを言ったので潔いと思うし、そのまま政治の世界から消えて頂いても結構なのだが、むしろその撤回とその言葉のチョイスにこそ卑怯と許しがたさを感じるのだ。
 あなたの言葉は誤解を与えるのではなく、あなたという人間の考え方をよく知らしめてくれる貴重な言葉なので、だとすれば、同じことを言ったのが他党の別の人だったときに、どのような批判をその人に対してするだろうかを想像し、その通りに行動しましょう、というだけだ。

 そろそろこの「誤解を与えるような表現」という言い訳を、政治家に限っては使ってはいけないと決めてはどうだろう。

 まあ、そうしたら別の表現使うのだろうな・・・・。こんなんあったんか!みたいな。

 

 以前から思っていることだが、厚生労働省が求める「屋内全面禁煙」に対して、店が立ち行かなくなるからという理由で、自民党のたばこ議連というおじさんたちが(おばさんもいるのかな)出している、一定面積以下の店は禁煙室を作ることで喫煙可能って言う、すごく差別的な条件、本当にいいと思っているのだろうか?
 そういう中途半端なことを言えば、その境目みたいな面積の店から、苦情の嵐だろうに。そんなことも解らないのだろうか?
 そもそも、飲食店が全て禁煙になれば、喫煙者は選択の余地なく禁煙の店に行かねばならない。微妙に選択肢を残せば、それこそ不公平で、むしろその結果つぶれる店だってあるだろう。

 また、喫煙室を設けて分煙すればって、よっぽど宇宙船のエアロックみたいにでもしてもらわなければ、我々の鼻を舐めちゃいけない。小部屋を作ってそこで吸えばいいなんてのは全くだめだ。また、喫煙者のマナーになども頼れない。もちろん素晴らしい人たちもたくさんいるが、多くはそうではない。飲食店で周りの客に気を使ってたばこを吸っている人など見たことがない。
 といって、路上で吸うのはやめて欲しいけどね。近所にも禁煙の店があるが、店の外に出て客が時折吸っている。前を通るにも非常に迷惑な話だ。

 あ、吸ってもいいですか?ってのがあるが、あんなのをマナーだと思っている人は、人の心の機微に全く鈍感な人たちだ。それを断れる間柄ならいいが、多くはそこでNoといえないものだ。しかも、隣のテーブルの他人に訊く人はまずいないだろう。同行者に訊けばマナーを守っているなんてのはちゃんちゃらおかしい!

 何十年も望んできた煙のほとんどない世界がようやく実現しようかというこの時、厚生労働省は、もっと本気になって政治家と戦って欲しい。いや、今でも十分本気だと思うが、こんな屁理屈みたいなアイディアに負けてはいけない。

 

 せんきょと打ったら第一の候補に「占拠」が出たが、今週末というか来週頭は衆議院議員の選挙だ。
 新聞各紙の報道は、圧倒的な自民党の勝利だが、そもそもそれを狙って解散に打って出たのだろう。
 選挙というのは有権者にとっても実に難しいもので、例えば自民党とその立候補者に1票を投じたとしても、その党や立候補者のどの政策に対して1票を投じるのかは意思表明が一切できない。アベノミクスに賛成で原発再稼働には断固反対という人がいたとしても、当選後は彼らはそれも含めて信任をもらったというに違いない。
 それはことさら自民党に限ったことでは無い。言ってみれば、定数削減といういわゆる身を切る改革に反対している共産党や社民党のような小さな政党は、実現可能性があるかどうかは別にして、口にする政策は非常によかったりする。まぁ、間違っても政権を取るということが無いので、自信を持って言えるに違いない。理想と責任は、いわば対極にあることが多いからだ。
 もちろん彼らが定数削減、特に比例区の削減に反対する理由はよく解る。小選挙区制という民意をあまり反映できそうもない単純多数決の選挙システムは、どう考えても彼らには不利だからだ。逆に言えば、その中で小選挙区当選を果たす議員はめちゃすごいという話になる。
 選ぶ側から言っても、ではそういった少数政党に投票する意義がどれほどあるかということになると、その主張が政策に反映されることは極めて少ないので、可能な限り1票をムダにしたくなければ、ある程度発言力を持つ可能性がある政党の方がよりよいかななどと考えてしまう。もちろん、共産党や社民党のここの議員がムダだと言っているわけではない。彼らの追求から政治が動くことだってたくさんあるからだ。
 逆に言えば、一強多弱をもたらしそうな今回の選挙に幻滅を、始める前から覚えたりもするわけだ。
 
 それでも投票には行くし、白票と言うことも無い。

 話はそれるが、先日テレビで「白票でもいいから投票に行きましょう」と呼びかける(アナウンサーだったか解説員だったか忘れたが)の場面と、ネット上でむしろ白票を投じようという呼びかけを行っているサイトのニュースを見た。
 個人的には、白票は投票しないのとまったく同じ行為なので、白票を投じるなら、散歩でもない限り投票所に行く意味は無いと思っている。投票所で選挙に来ましたというチェックが重要なわけではなく、参政権というのはあくまで自らの意思表明であるからだ。
 では、棄権や白票が意思表明では無いのかと言えば、あながちそうも言い切れない。誰にも入れたくないという意思表明、あるいは決まった結果に従いますという少し積極的な意思表明と取れないことはない。もちろん、本人はそんなこと考えて棄権する人はまれだろう。どちらかというと、面倒とか興味がないという人たちが多いに違いない。だが世界に比べたら圧倒的に平和を享受している日本では、誰を選んでもそう変わらない(恐らくこの表現にはネガティブな意味ばかりではなく、多少のポジティブな意味もあるのだと思うが)から、選挙に行かないという選択肢もあるに違いない。
 無理矢理義務化したとしても、まじめに投票しないとすれば意味は無いが、とはいえ、本気で参政と言うことを考えるのであれば、義務化の手前でたくさんできることはある。
 日曜日に公共の場を政治の都合で突然投票所に変え、そこで行われるはずだった行事を中止に追い込むなどと言う、目立たないがひどいことを行うのも選挙だと言うことを行政や政治家が自覚して、ネット投票の導入や、期日前投票ではなく複数日をかけて投票できたり、投票所を可能な限り生活に影響ないような場所でできるようにしたり、やることはたくさんある。紙とか投票箱はよくなったのかも知れないが、投票所については何十年も変わってない気がする。
 
 話があちこち飛んだが、選挙というのは「我々が政治を変える」とよく言われるような非常に前向きなケースもあるが、その反面「多くのことを諦める」決意をする場でもあると言うことを、よく考えなくてはいけないのだと思う。
 株価が上がればこの世は万々歳なのか?給料が上がり佐世すればいいのか?逆に、原発さえ動かなければ、あとはどうでもいいのか?どこで戦争が起こっていても日本が平和ならそれでいいのか?とか、様々なことが実は突きつけられていると言うことだ。

 これまで自分の投じた1票が生きたことも無駄になったこともある。無駄とはもちろん、落選議員に投じた1票だが、後になって考えると当選しても無駄だったかなと思うこともある。
  
 今回は、どうするかな。一強多弱ってやはり良くないんだと思うが・・・・今回は難しそうだ。
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 久々に政治ネタ。
 今日、民主党と自民党と公明党の賛成多数で、消費税増税法案が可決、衆議院を通過した。
 色んな人が書いていると思うので、ある意味ぼくのブログなど、愚痴レベルだが。
 
政治生命を賭けるという野田総理の意気込みは半分成就した形だ。尤も、彼の政治生命など、どうでもいいことではあるのだが。それは、原発を再稼働して、責任を取るというようなことをいわれても、神でも無いあなたには、もしものときの「責任」など取れるはずもないでしょう、というのと少し似ている。

 少なくとも、今回の採決には、ぼくは反対だ。
 小沢派の議員が言うように、理屈の上からは、増税派に非がある。なぜなら、かれらを選出したとき、有権者は増税はしないという文言他、マニフェストとやらを見て民主政権を成立させたからだ。
 ここでもしかし、反対してるのが小沢一郎と鳩山由紀夫という、どうにも好きになれない政治家と、どうにも信用できない政治家が上にいるところが釈然としない。
 鳩山の言ってることがどれだけ理に適っていようと、できないことでもやれるやれると言って結局できない金に不自由のない政治家の言っていることなど、どこまで行っても信用できない。辞めると言っても辞めない二枚舌だ。なら最初からいうなと思う。
 昔から思っているが、選挙の際は、当選させたい政治家と、絶対なって欲しくない政治家に投票できるようにしてもらいたいものだ。彼などその最右翼だ。
 小沢一郎に関して言えば、金と政治で起訴されたとかされてないとか、そんなことではなく、そのこれまでの政治手法がとても日本の旧態依然とした政治っぽく見えて、昔から嫌いだ。ただ、その上で時々いいことはいうので、そこは評価したい。
 今回も、その真意がどこにあれ、言ってることは間違っていない。

 現在の日本経済のために、消費税の増税が必要かどうか、野田氏が言うように「待ったなし」なのかどうかは、怪しいものだと思う。そもそも、湯水のように金を使って無くなったから、小遣い上げてといってるような気がして仕方ない。
 税金を上げることにはこれだけ必死になれるのに、議員定数削減やら、行政改革やら、そっちの方はやろうとしているように見えても、一向に政治生命を賭けるほどの気概はない。
 よその国から金を借りまくってるギリシャとは違うのだ。国債を買っているお金持ちの日本人は、国債で儲かっているのだ。
言ってみれば、その金利を、他の人間もみんな均等に負担してよね~ってなことだ。

 まず他にやることがあるだろうという言葉は、自民党政権の時以来、政府にもの申す常套句の一つで、もはや狼が来ている。誰もできると思ってないんじゃないか?
 議員の定数削減なんて、歳費を大幅に減らして、政治家をボランティア同然にすれば、簡単にできる。尤も、利権構造を変えなければだめだが。・・・金のかからない選挙だって、インターネットを活用させるとか、いくらでも方法はあるだろう。が、そういうこともほとんどやる気はないらしいし。

 政治家の多くが、若かりし頃、大志を胸にその道を志したに違いない。だが、一旦付いたその職にはなぜかしがみつきたいようで、定数削減などしたがらない。少数政党が嫌がろうとも、ぜひにもやるべきだ。
そして、比例代表という、国民の意志の通わない選挙制度も、さっさとやめてもらいたい。利点はあっても、弊害の方が大きい。

 とはいえ、政治の勉強もしたことはないし、自ら政治家になる意欲も知識も無い。それでも国民の一人だ。なので、ブログで言いたい放題(見当違いのことも言っているはずだが、そこはご容赦)。
 ところで、民主、自民、公明・・・大きな政党はみんな消費税を上げたがっている。まず景気をよくして税収を上げようとは、思っていないと言うことだ。いや、そう言えば、そんなことはないと言うに決まってるが、結局そういうことだろう。
 となれば、次の選挙って、どこに入れればいいんだろう?ますます混迷の政党支持。

 あ、ちなみに、ぼくは税金を全て(一部無理なものはあるかもしれないが)、消費税にして、所得税も、住民税も、健康保険も、国民年金も全部やめてしまえ・・・という意見を持っているので・・・・あくまでこのタイミングでの消費増税に反対と言うだけです。

 3ヶ月ぶり、そして今年最初の書き込みが「謝罪」というタイトルだからと言って、何か謝るわけではないのだけれど・・・
 今日のニュースで、菅家利和さんの謝罪要求に対して、当時の取り調べをした元検事が謝罪はしなかったというのがあった。いずれかのタイミングで彼が謝罪するのかどうか(無罪判決が出た後など)、不明だが、おそらく彼の立場から言えば、自分は確信を持って有罪だと信じていた(少なくとも当時は)ということで、自分は精一杯やったし、間違ったことはしていないという気持ちがあるのかも知れない。たとえ結果が間違っていたとしても。
 だがどうだろう、普通の事柄に置き換えてみれば、その時の思いや理屈はどうあれ、謝罪するのではないだろうか?小学生にだってそう教える。
 ところが大人になるとなかなかこの謝罪というのが難しいらしい。
 特に政治家はどうだろう。なかなか謝らない。また、謝り方が姑息だ。自らが間違っていたという謝り方をする人が非常に少ないように思う。誤っている方向が違うので、国民の怒りを買う。
 例えば上記の検事、無罪を出すための裁判をやっているということなのだから、最初から菅谷さんは無実で、えん罪だったという結果が出ることは解っている審議だ。であれば、自分はあのとき、こういう理由で間違いなく菅谷さんを犯人だと思った、証拠もそれを示していた。だが、結果は冤罪で、今となっては大変申し訳ないことをした、あなたの人生を取り戻すことはできないが、大変申し訳ないことをしたと謝れば、一応は終わる話だ。
 菅谷さんのような異例の件で、社会も国も、彼の人生を再び返すことはできない。過ぎてしまったことは最早取り戻しようがない。
 もちろん、だからこそ捜査や取り調べは慎重を期すべきではあるはずだが、それとは別に、最大限彼に対して誠意ある対応と謝罪が、事件捜査や裁判に関わったものができる唯一のことである。もちろん、それでも尚彼が今でも犯人に違いないと確信しているのなら、話は別だが。
 同様に、政治家もまた、謝罪すべきは謝罪すればいいのだ。政治家は、謝ってしまったらおしまいだと思っているのかも知れないが、そんなことはない。そこから始まることもあるのだ。
 自分がしでかしてしまったことへの反省や謝罪というのは、新しいことを始めるための一つの区切りであり、対象者への許しの請いだ。もちろんそれでも許せないことはある。謝れば何でも解決するわけではない。だが、せめて謝れ、という部分はないわけではないのだ。
 謝れないのは、実は人間の弱さだと思う。自分自身が同じ立場に立たされ、では謝れるかと言えば、その状況に陥ってみないと解らない。だから、謝らない人間を必ずしも責めようとは思わないが、それでも尚、相手が被った被害や、その人の立場などを考えれば、強く謝罪すべきではないのかという意見を、時には言うべきなのだろう。
 鳩山総理が、故人献金や、母親からの多額の譲渡などについて、言葉を濁しながら、謝っているのは、それを知らなくて申し訳なかったとか、お騒がせして申し訳なかったといったことなどだ。国民はまだ我慢して民主党の自民とは違う何かをしてくれるというかすかな糸に望みをつなげている。それが、下がったとはいえまだ50%近くある支持率のゆえんだ。
 一例を挙げれば、日本郵政の人事は全くもって天下りでした。申しわけございません。すぐに変えますと言って人事を刷新すると化すれば、そんなことを朝令暮改などと責める人はほとんどいないはずだ。
 
 小泉純一郎が何故人気があったかと言えば、果断さと言ったことを行うという部分が、他の政治家よりも秀でていたからだ。彼の政策だって、誰もが支持していたわけでhない。だが郵政選挙は勝った。
 鳩山政権が今後も4年間の地位を盤石にするためには、次の参議院選挙に勝たなくてはならない。そのためには、今の政権に残る、自民党の翳を払拭すること、つまり亀井静香を切り、小沢一郎を黙らせることだ。亀井はただの反小泉であって最も自民党らしい議員だし、小沢はまさに田中角栄の亡霊だ。田中角栄がロッキード事件で罪になったとしても、彼は偉大な政治家だった。だが今はそういう政治家の時代ではない。
 
 民主党はまず思惑の違いを謝罪し、できることから順次、そしてなにより天下り根絶などを頑張ればいい(個人的には天下りそのものは全く反対ではない。天下りはどんどんさせてもいいし、その方が、官僚機構は常に刷新されるはずだ。むしろ直すべきは、天下りしても、普通の職員と同じ待遇にするような仕組みを作ることだ。2,3年で数千万円の退職金や、そもそも最初から高い地位に就けたり、年俸で一千万以上などを規制すればいい)。
 まさに謝辞をしないで先へ進もうとすることが、ある意味自民でも民主でも同じ「朝三暮四」たるゆえんかも知れないのだが。
 

 このところ、各自動車会社のエコカー減税CMがかなりかまびすしい。
 その中で日産のCMがどうにも気になって嫌だ。
 それは、今なら~がエコカー減税で×××円もお買い時というやつだ。
 この今ならお買い時という時系列に沿った流れはまだいいとしよう、だが、この間にエコカー減税による割引金額が入ることで、もはやお買い時を形容しているのは、金額でしかない。
 麻生政権で決まったエコカー減税だから、日本語の文法はどうでもいいというわけでもないだろうが、CMが流れるたびに違和感があって、日産が大嫌いになった。
 金額が安いならお買い得だろうし、時期がいいならお買い時でもいいだろう。
 人間というのはおかしなもので、ラーメンやそばをすする音がだめな人もいる。
 態度や生き方、日常のあれこれ、笑いのツボと似て、それぞれが持つ感覚の微妙な違いがあるものだ。
 このCMなど、別にお得で今がそのときなのでお買い時と言ってるのだろうが、この違和感と、こんなCM流してやがるという、もはや八つ当たりの感情があって、いらだたしい。・・・いや言葉で書くといらだたしいだが、そんなに大きないらだちではない。とってもかすかだが、こんなブログを書くくらいには、ということだ。
 十分目立っているわけだから、CMの目的も達せられたということか。
 それにしても、何のメリットもないエコカー減税・・・・

 1回ごとに政治の話題で恐縮ですが、・・・というか、年を取ったんだな、こんなに政治に興味が出てきたのは・・・・やはり。
 さて、まもなく鳩山民主党政権ができあがるわけだが、参議院議員が過半数を確保していないという理由と、選挙前の共闘により、国民新党や社民党と連立を組むことになり、この1週間は、かなりそのすりあわせに苦慮したようだ。
 国民新党はともかく、社民党とはそもそも方向がだいぶ違うので、難しいことは初めから見えていた。
 国民新党は何とかの一つ覚えのように郵政民営化の見直ししか言わない党だが、所詮は、つい4年前まで自民党だった方々なので、ある意味、ここは自民との連立に近いものがある。
 さて、社民党はそもそも前身は社会党な訳で、社会民主主義を基本的には標榜している党で、民主党と、必ずしも合わないのが当たり目だ。綿貫氏が選挙中「共生。共生」と言っていたので、ある意味,国民新党と社民党は近いのかも知れないと錯覚を持ったが、それはきっと錯覚なのだ。
 民主党は、自民党に比べれば、かなり社民寄りなのだとは思うが、それでも相当壁がある。
 朝まで生テレビなどで、森永卓郎が、あなたは社民主義だからと言われているのをたまに見るが、実はぼくは、社会民主主義と自由民主主義の違いがよく分からない。
 日頃の政策を見ると、自民や民主と共産の中間みたいなイメージがある。言っていることは結構共産党に近いが、それを民主主義で実現しようみたいな。でもそうすると共産党もきわめて微妙だ。共産党が、万が一大勝ちした場合、中国共産党のような政治を行うのだろうか?でも軍事費削減なんて言ってるから、その点でそもそも違うな。
 などと考えながらふと思った。
 先日テレビで村山富市氏が、少数意見を以下に吸い上げられるかが大切だと言うようなことを連立の条件のように話している姿を見た。彼は元々社会党の党首だから、社民党を心の中では押しているかも知れない。
 確かに、民主主義というのは、多数決と、実は少数意見に以下に配慮するかのバランスがとても大切であることは事実だと思う。だが、その上で敢えて誤解を恐れないで言えば、少数意見によって足す意見が変えられるということはいかがなものだろうか、という点もある。
 この場合、少数意見というのは実は弱者救済という意味合いが強く、必ずしも少数意見を採択するという意味ではないと思う。例えば、極端なことを言えば、少数政党が北朝鮮に先制攻撃をかけようと言っても、今の日本でそれが採択されるはずはない。
 だが、今回の選挙結果を見たとき、いかが一応の民意だ。小選挙区比例代表というのを採用している以上、純粋な得票率は意味を持たず、以下の数字が民意と判断される。
  民主(308) 自民(119) 公明(21) 共産(9) 社民(7) みんな(5) 国民(3)
また参議院議員の分布は
  民主(108) 自民(81) 公明(21) 共産(7) 社民(5) 国民(5)
だ。新緑風会とかその他は無視している。
総議員数は622人
 民主(66%) 自民(32%) 公明(7%) 共産(2.5%) 社民(2%) 国民(1%)
 ざっとだがそんな割合になる。
 今度の政権には、2%の社民党と1%の国民新党からそれぞれ大臣が就任する予定だ。
 どうも釈然としない。
 確かに、国民新党や社民党は立候補者も少ない。民主に風も吹いたかも知れない。
 だが、66%を持つ民主の政策が、僅か3%の二つの党の政策で、大きく曲げられていいのだろうか?
 少数意見の忖度はとても重要だ。だが、彼らが何かを押し通すことが正義ではない。
 いや、この場合正義という言葉はどの文脈でも正しくない。連立に入ることを条件に、譲歩をするかしないか、その辺りの今回の決着は、実はぼくには着地点の位置がよく分かっていない。
 ただ、選挙前からそうだったが、この3党が組むという意味がまったく解らない。
 例えば郵政民営化見直しと言えば、今では自民党だって公明党だって賛成しかねない。尤も、民営化そのものに反対している人はそれほどいないのかも知れないが。
 共産党が選挙前、いい物はいい悪いものは悪いという健全野党を標榜していたが、そんなことを標榜する前に、すべからく野党も与党も、そうであってもらわねば困る。
 だとすれば、民主単独政権を運営しても、社民が全ての政策に反対するわけではないだろうし、自民だってそうだ。
 最低賃金を1,000円にするという話だって、1,000円にして一番困るのは中小企業で、その辺り共産党や社民党は矛盾しているし、民主党はきっと、それで潰れるのなら潰れてしまえと思っているかもしれない。
 だが、民主がそれを立法しようとすれば、政権内にいなくても、社民や共産は賛成するのだろうから、問題ない。
 日米安保や地位協定など、あるいは自衛隊の給油の問題だって、民主に変わったのに、ほとんど変化がない政策なら、今度は自民か公明が賛成してうまくいくのじゃないか?
 いずれにせよ、わずか3%の意見で、最初から縛られてしまうのはいかがなものか、というお話だ。何度も言うが、彼らの意見を尊重することは常に大切だし、どちらが正し意見を言っているのかなんてことは、おおかたの場合、立場で変わる。
 どちらがよりよいかの選択なので、たとえ高速道路無料化や、こども手当に賛同する国民が少なくても、民意は民主を支持したのだ。少なくとも、その政策を実現し、その結果を4年後に改めて問えばいいだけで、民主の意見はあまり曲げないで頂きたい。
 個人的には、直接的な恩恵は全くない高速道路無料化だが、賛成である。料金所と、ETC関連の法人が無くなるだけでもいいと思う。
 子育て支援も、全く恩恵はないが、きっと子供のいる家庭は助かるだろう。年収が数千万円ある家にも行くのは癪だが、やむを得まい。
 そもそも、少子化そのものがどうして悪いのかよく分からない。
 ただでさえ地球の人口は多すぎるのじゃないか?
 際限なく増えていく割に、地球は限られているわけで、人が増えればアマゾンも伐採される。これまで先進国がやってきた地球の破壊を、発展途上国だってやりたいに決まっている。
 急に地球が暖まってるからだめというのは、西欧諸国のエゴだ。
 世界全体が、軍事力など捨てて、それにかけているお金を、もっとしっかりとみらいを見据えた科学にかけ、完全ロボット化による食物生産とか、気候のコントロールとか、宇宙進出とか、身のあることを実現するつもりにならないと、いずれ地球はどこかで終わる。
 放っておいたって、数十億年後には太陽に飲み込まれて無くなるわけだが、そんな先ではなくても、ここ千年2千年のために、もっとやることはたくさんある。
 
 子育て支援からだいぶ脱線したが、つまりは今回の結論は、民主・国民・社民の連立政権はとてもいびつな政権なのではないか、というお話だ。少なくとも、自民・公明よりはいびつだ。自民・公明は別な意味でいびつだと感じてはいたが。

 総選挙が終わったので選挙の話題を。
 
 民主308議席、自民115議席と、改選前とはほぼ逆転した。まあ、逆転したということは、いずれ再逆転も十分可能な数字でもあるということだ。
 勝ちすぎだとか、想像を超えるとかテレビのコメンテーターは言っていたが、事前の世論調査などからそこそこ予想が付いた数字だったように思う。もちろん、その世論調査が結果的にどう本番に働くかは未知数だと思うが、その世論調査の結果が信用できないものなら別だが。
 信用できないと言えば、開票速報番組が始まったとたんに、予想が出て、フジテレビなどは320を越える民衆の数字を予想していた。もちろん出口調査の結果だ。実際にはそこまでの数字は出なかった。ただ320という数字は、絶対安定多数の次に重要な衆議院議員の3分の2の数字ではあるから、これを越えるか越えないかは大きな意味を持つ。自公政権が何度も使った再議決が単独でできる数字だし。
 ぼくは、小選挙区比例代表並列という制度に懐疑的というか、どちらかというと反対だったが、今回見てみて、実は悪くないのだと思うようになった。
 人を見てする選挙の場合には、やはりいい制度ではない。何故なら、どんな政党に所属していようと、1票を投じたくないという人はいるわけで、都議選などはそこまで極端ではなかったが、正直自民の候補でも民主の候補でもどちらでも良かった。だから勝ち馬に乗るつもりで民主に入れた。
 小選挙区というのはどの政党を選ぶかということが主眼なので、その政党の誰が出ているかということは実はあまり意味が無く、今回の選挙を見ても、社民の辻本、みんなの渡辺、江田、といったテレビでよく顔を見、ある程度人となりや発言が判っている人は通っているが、それ以外はかなり政党色で選ばれているように見える。
 もちろん、投票する人はそれぞれなので、人物本位や、政策本意、あるいは容姿で選んでいる人もいるはずだ。どんな基準で選ぶかは自由だし、たとえ美人だから1票を入れたとしても、それはそれで、1票の価値には違いない。
 そういう意味で、選挙に行かないというのは、そのときの選挙結果を是認するという選択なので、それはそれでいいと思っている。確たる意志もなく、適当に投票することと、棄権することは、それほどの違いはない。もちろん投票率はアップした方がいいし、どんな理由であれ、投票には自分の意志が反映されるべきだが、海外のどこかのように、罰則規定などを作って投票させるなどというのは愚の骨頂だ。
 今回のように、いわゆる無党派層、しかもこれまで選挙に興味がなかった人たちが投票行動に移るのはいいことだし、それでも昔に比べたら投票率は低いわけで、投票率を上げる努力はすべきだが、それが強制であってはならないと思う。選挙はやはり権利であって義務ではない。
 さて、そんな中で、小選挙区制というのは、言われるように極端に触れることが往々にしてある。それを衆愚と見るか、世論の力と見るかで、民主政治への見方は自ずと変わるだろう。
 だが、今回のように前政権に一旦退場してもらい、新政権による政治を任せたいと考えた場合、この極端なふれというのは意味を持つ。もちろん、得票数で言えば308対115などという比率のはずはないが、多数決というのは民主主義の基本だ。
 せっかく新しい政党にやらせるのであれば、十分な余地を保ってやってもらうべきだ。
 長くても4年後には、また変えることができる。
 
 尤も、衆愚というのは、多数決でヒトラーを選出できる機能のことだから、選挙民一人一人のバランス感覚は大切だ。そういう意味では、民主党に政権を一旦(一旦か、かなりの年数かは今後が決めることだが)委任するというのは、日本人のバランス感覚も捨てたものではないと思う。
 ぼくは、民主がマニフェストで打ち出している、子育て支援も、農業への個別保証も、高速道路の無料化も、全く恩恵がない。だが、本当に官僚が悪いかどうかは別にして、長くやってくれば何事も硬直化するし、いい加減な部分もたくさん出てくる。自分たちの利益が優先されるような風土だって、悪意ではなくできあがるわけだ。であれば、まずは官僚主導の政治の打破ということだけでも、民主に変えてみる価値があると考えた。
 これは前回の郵政選挙の時と同様だ。ここで小泉に入れておかなければ、郵政民営化はできないと判断したので自民に入れた。その他のことでは必ずしも同調していない。今回、郵政民営化の見直しに関しては、あまり賛成していない。見直しは必ず必要だが、例えば国民新党が言っているような見直しは賛成できない。それでも尚、今回はもっと優先順位の高い論点があったので、世論と同じ動向を、ぼくも行った。
 評論家はいう。民主には国家ビジョンがない。成長戦略がない(これは自民党も言っていた)。だが、国家ビジョンや成長戦略なんて、 他の政策から見ていけば十分だ。そもそも大風呂敷を広げたら広げたで、実現不可能だとか、他の批判が出る。
 
 多くの人が、今回、民主党を支持政党とは言わすに民主を支持したと思う。あるいは、今回は民主支持といいながら、次回は自民支持という人たちも多数居るだろう。これらは支持政党無しだ。
 創価学会員が全て公明党を支持しているものかどうか知らないが、今の時代、支持政党というにはイデオロギーの違いがあまりにない。共産党だって民主主義に見える。自由主義の中で、どうなのよ?というところで、保守対社会主義などでは決して無く、保守というなら変革、だが、それも大きな変革には見えない。少なくともイデオロギー的には。
 であれば、政党支持というのは、時の民衆の気持ちにどちらが近いかという選挙なので、そう考えれば、今回のような政権交代ができるというのは、とても健全と見るべきなのだと思う。

 ようやく衆議院議員の総選挙の告示がされた。解散からずいぶんかかった。
 解散すると国会が空転するから見たいな言い訳をずっとして引き延ばされ続けた解散が、いざ解散すると選挙まで40日も空いている。もちろん国会の会期中ではないから、いいのかもしれないが、釈然とはしない。
 さて、この総選挙という言葉、わかりにくい。衆議院は全取っ替えで、参議院は半分ずつだから、衆議院は総選挙というらしいが、総選挙という響きには、なんだかあらゆる選挙を一斉にやるような響きがある。参議院の時に半選挙とは言わないしな。
 ともあれ、今度の選挙は民主に風が吹いているともっぱらの噂だ。
 そして、マニフェスト選挙なんだそうだ。
 あたかもマニフェストという言葉が出てくるまでは、何もなしに人だけ見て選挙をしていたかのようだ。現行のマニフェストにしたって、以前の公約とどう違うのか、判然としない。横文字使ってかっこいいだけのような気もする。
 自民党だって、前回のマニフェストの総括などほとんどやっていないし、たぶんできない。総理が3回も変わってるし、その都度微妙に方向転換しているし。
 テレビのニュースや政治バラエティを見ていると、こぞって「マニフェスト」をよく読んで、それぞれの政党の主張の違いを考えて投票することが至上命題のように言っている。
 まあそれは、それらのマニフェストが全て実行されると仮定した上での話で、実際のところ、そんな100%なんていう話はあり得ない。
 そもそも、恒久減税なんていう有りもしない言葉を鵜呑みにして喜んだ国民は、数年後に、恒久という言葉は暫定という言葉と同意義だったことを知らされる。これは元々、「恒久」などという言葉を政治の世界に持ち出すことが間違っているので、全く信じるに足りない言葉で、同様に、100年安心の年金だって嘘っぱちだ。
 自民が提唱している10年後に可処分所得を100万円増やすというのも、どうしたら「約束」できるのか理解に苦しむ。これは、マニフェストが4年間の政策を書くものだとかいう理屈を離れて、眉唾だが、話によれば、10年前の水準に戻るだけだという。
 現在の潮流を見れば、自民はいやだが民主も危なっかしいということのようだ。
 それでも、ここは一つ、民主に1回任せてみるかというのが世間の見方の主流のようだとテレビは解説するし、たぶんそれは間違っていない。
 だが、ではそれとマニフェストの熟読はどうも全く次元が違う話だ。前者はマニフェストの内容など二の次だし、後者はそうではなく、公約の質を問うている。言ってみればこれは、鳩山が言う「政権交代」と麻生のいう「政策選択」をまさに如実に表していて、国民はどちらかというと前者を指向している人が多いということになる。
 さて、では今回の選挙はどんな意味を持つかと言えば、やはり自民党政治がこれからも続くのか、政党の交代が今後の政治ではあり得るのかを占う選挙で、もし仮に自民が勝つとすれば、今後最低10年は2大政党などというアメリカやイギリスのような政治は実現しない。
 民主党が危なっかしくても、是が非でも民主が勝たねばならない選挙なのだ。
 民主の半数は社会党かも知れないが、半数は自民党で、今時、共産党だって民主主義を標榜しているように見える。共和党と民主党が変わっても、アメリカという国が減算と民主国家としてあるように、民主党が日本で政権を取っても、日々の生活が極端に変わることはあり得ない。
 子育て支援や農業に金をばらまき、高速道路を無料化しても、個人的にはほとんど、直接の恩恵はない。子供もいないし、車も乗らない。農業もしていない。でも生活は苦しい。
 そしてそれらのマニフェストでの約束がどこまで実現できるのかも判らない。
 ただそれは自民党が言っていることも同じで、マニフェストに優劣など、実はない。
 自民は財源財源というが、民主は出すと言っている。ただの水掛け論だし、自民も財源などきちんと明示していない。
 古館など初めとして、テレビに登場するコメンテーターは消費税の話をしない政治家をずるいと評する。こうやって、消費税を上げるということは既定路線になっていき、国民みんなが、消費税を上げるのはやむを得ないと洗脳されていくのだと思えてしまう。
 だが、常にしかしその前にやることがあるという前置きが付いていることも事実で、国民の多くは、その点が自民党にはできないと信じている。民主にもできないかも知れないが、やると言っているのだからやらせてみろ、これが世論だ。
 余談だし、以前に書いたが、税金は全て消費税でいいというのがぼくの持論だ。所得税も、住民税も、事業税も、ガソリン税も、酒税も全て止めて、消費税1本。ただし、科目によって税率を変えれば、必ずしも弱者いじめにはならない。むしろそれによって、税務署のスリム化の方が意味があると思っている。・・・税理士さんの敵だな俺は。
 
 とにかく、今回の選挙は今後4年間は民主党に政治をやらせてみるための選挙なのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
 たぶん、自民支持派は、4年間が無駄になるというかも知れない。だが、これまで自民党がやってきた政治の中にだって、無駄や良くない点がたくさんあり、民主になったから、国が崩壊するわけではない。
 そのために一定間隔で選挙があるので、民主にやらせてみた結果、国が良くなったと思えば、民主に続けさせればいいし、だめだと思ったら、自民に返り咲かせればいい。少なくとも、政治家全員に、明日は野党という危機感を持たせない限り、この国は良くならない。
 ぼくは未だに、郵政民営化賛成論者なので、民主の政策とは合わない部分もたくさんある。そもそも、政党内でさえ意見の違いがたくさんあるわけで、それぞれの政党に対し、100%政策を支持するなどあり得ない。そんな中で選挙は常に妥協を伴う。
 今回は、今後日本の政治が、常に政権選択を伴う政治に移行できるかどうか、国民がそれを選択できるかどうかを試される試金石なのだ。
 民主が鳩山を代表に選んだとき、とてもがっかりしたし、民主のマニフェストに与しない点も多々あるが、それでも今回の1票は民主に入れる。
 大丈夫、それでも自民党が5人しか当選しなかったなんてことに、この国はならないから。
 たぶんあおりを食うのは共産や社民だ。かわいそうだけど。都議選のように。
 さて、選挙後まで支持の話題からは離れよう。
 尤も、このペースでは、それまでの間に、他の話題を何件書くか判らないが。
 あ、ついでだから書くが、なんで「みんなの党」なんだろう。ネーミングセンスを疑う。

 来週の日曜日に都議選の投票が行われる。
 衆議院選の前哨戦などとも見られ、どの政党が勝つかなど、一般に興味はそちらに向いている。
 さて、その都議選だが、ぼくは渋谷区に住んでいるので、渋谷区の立候補者を見てみる。
 わずか3人。自民、民主、共産の3党からひとりずつが立候補しているだけだ。自民、民主は現職で、共産は新人という顔ぶれだ。そして定数は2。これで投票に行けと言うのか?
 しかも、東京都の選管のページを見ると名前だけが羅列してある。
 フラッシュを使って劇団ひとりをキャラクターにして、何とまあ、無駄なお金をかけましたというページができあがっている。データはほとんどPDFという手の抜きようだし、このページの制作費用を聞いていたいものだ。
 ザ・選挙という日本インターネット新聞というところが作っているホームページがあり、ここにある程度のプロフィールが出ているのだが、同時に、ビデオが見られるようになっている。
 自民の村上さんという人のはビデオはない。民主の大津さんはビデオがあるが、首都高の事故と、それに関わる積載内容に関する問題を、議員としては異様にたどたどしく述べただけで、かえってマイナスではないのか?と見える内容だ。
 共産党の田中さんという人のビデオは、伝えるべき内容をしっかりと伝えている。
 ただ他の二人はホームページがあるので、そこを見れば何となく何をしているのかとか、解るが、田中さんはホームページすらない。今時ホームページすら持たない議員を、ぼくは信用しない。議員でなければ、そんなことは自由だが、読まれようが読まれまいが、ホームページの一つくらい開設していないようでは、と思う。ホームページのできなどどうでもいいので、いざというとき、その人がどんな活動をしているのかが、基本的にオフィシャルな発信として(それが真実であるか否かはそれだけでは判断できないが)見られることは重要である。
 ぼくは今度の衆議院選挙で、民主に勝ってもらいたい。東国原氏が、自民に変わって欲しいみたいなことを言っているが、「変わる」べきは自民も民主も一緒だ。だが、そんな簡単に変わらないのは誰が見たって明らかだ。また、どう変わればいいかだって、何が正しくて何が間違っているかは結構微妙だ。
 世論が、この際1回民主にやらせてみようというのはとても正しいと思うので、ぼくもその世論の一角を担っている。どちらかと言えば、世論に背を向けたい性格ではあるが、実は多くの場合世論よりだ。多数派の世論は、メディアの偏向を非常に大きく影響として受けるが、それでも世論は世論だ。多くの場合、調査の多数派は、間違っていない。
 なぜ間違っていないかと言えば、この世の仕組みがそうだからだ。一部の人間が何かを決めることを是としない、それが歴史が培ってきたこの星の仕組みだが、それはどんな場合でも最終的には多数決で、勝てば官軍なのだ。これがいいことかいけないことかは議論の対象だが、常に少数意見に与するよりはいいに違いない。
 そんなことで、民主に風が吹き、それほど民主に期待していないし、民主の制作で首を縦に振れないことがたくさんあるにもかかわらず、民主政権を望んでいる、それは、自民だっていいことを言っていたりやっている議員はたくさんいるし、極論すれば、それほど悪いことをしようと思って議員をやっている人などそれほどいるとは思えない。
 だが結果として今の社会を形成してきたのは自民政権だし、それを選んできたのは我々だ。ぼくは前回の衆議院選挙で、郵政民営化賛成だったので、自民に入れた。今でもその考えは変わっていない。
 自民が、民主の政策に対し財源がないと言っていることも頷ける。きっと足りない。
 だが、自民よりは少し余計に無駄をなくしてくれそうな気はしている。全部言ったとおりできなくても(そもそも自民だって朝令暮改はいつものことだ。恒久減税なんて、そもそもできたときに信じるべきではない。この世に恒久なんてことは、あり得ない)。だから、アメリカやイギリスのように、時々政権が変わった方がいいのだ。緊張感が高まるし、民意は反映しやすくなる。
 さて、その上で都議選だが、こと渋谷区に関する限り、選挙をする意味がよく分からない。定数2に自民の現職二人と共産の新人一人、普通に考えれば、現職ふたりの再任だ。
 新宿区は4人に対して8人、以前住んでいた杉並区は、定数6に対して11人が立候補している。この区による定数の差が、本当に正しいのかよく分からないが、少なくとも投票に行くモチベーションは上がる。
 よく見ると、自民党はビデオを流さない方針のようだ。
 いずれにしても、もっとインターネットを活用した選挙運動ができるようにして、選挙にかかる費用を削減できるようにすべきだ。選挙のたびに言われながら、国会議員の皆さんは一向にこの点を改善しようとしない。さっさと変えろよ。
 またこんなブログになってしまった。もっと内容のあるものを書かなくては。