標題のプラグインを入れてみた。
これは、WordPress(ぼくが使っているブログ)に新規投稿をした際、それがFacebookのウォールに載るというものだ。

そもそも、Facebookのウォールに関する知識が怪しいが、Facebookで何も発言しないぼくとしては、せめてブログ記事のタイトルだけでも出ればいいかなと思って、インストールした次第。

この投稿は、実はそのためのテスト投稿なのだが、上手くいかなかったら、次のブログで。

あ、上手くいっても次のブログで。

で上手くいかなかったわけなんだが・・・

 うちでのこづちを書かなくなって、はや数年、会社のブログとしてFC2に移し、「Rainbow Rising」という名で書こうとしたが、どうもやはり現在の仕事上で会社社長として書いていくのは無理があるようで、早々に挫折した。

 元々自分に何かを課すことは苦手なので、できるだけ柔に……と考えるところが、実はぼくの弱点なのだが、なかなか克服できない弱点を、少しでも改善するために、再開を決意した。まあ、決意という言葉も、今回に限り、極めて軽い。
 しかしそれでも、たまに文章の仕事を頂くこともあったりするので、日常的に文章を書き、ブラッシュアップすることは、それだけでも必要だし、かつ有用なことだ。

 文章というのは、書かないと鈍る、錆びる、そして荒ぶ。
 単語や表現を忘れるのは、何も年のせいばかりではなく、継続的に書かないことがその大きな理由を占めている。

 今回、psymage.comのサーバーを移転し、MovableTypeからWordpressにシステムも変えた。MovableTypeは、現在でも日本は無料での個人使用を認めているので、最初はそれをインストールしたのだが、かつてに比べてどうもシステムが複雑になり、しかもテンプレートがうまく働いていないのか、表示が上手くいかない。また、記事数が増えるごとに、再構築という作業がやはり時間もかかるし面倒だ。
 そこで、以前「王様の宮殿」という名で、音楽関係だけの記事を書いたブログを作っていたときに利用していたWordpressに乗り換えた。
 現在では他のCMSもたくさんある音はあるが、この二種のブログシステムはやはり一日の長がある。
 テーマやプラグインも豊富で、使いやすい。

 ということで、毎日書くなどという、自分にいらぬプレッシャーをかけることはやめにして、ゆるゆると、再び書き始める。

 別に、決まりな訳ではない。しかも今日は祭日。
 何となく、毎日このブログを書くぞと意気込み、2週間弱で挫折するのはさすがに悔しい。もろもろの事情でできないと言うことであれば諦めもつくが、時間はあったので、そういう妥協もしたくない。
 ということで、悔し紛れに、こんなものを書いている。
 人生において「継続は力」という言葉は、子供の頃からいやというほど聴かされる。そんなことはよく解っているし、できれば苦労しないと、昔から思っていた。
 人間には必ず能力の差というものがある。世界で一番遅い人間と、世界で一番速い人間が必ずいるのと同様、勉強であれ、仕事であれ、同じことだ。継続できるか否かも、できる人がいるのと同様、苦手な人がいる。
 別に言い訳を書いているわけではないのだが、世の中は、誰でも同じように努力すれば同じ結果が帰ってくような錯覚を持っている人もいるような気がする。つまりは、継続も、できる人とできない人、というより苦手な人がいるのだ。
 だからこそ、毎日書くという枷をはめたのだが、こんな枷はいつか外れることは承知の上だ。それでも1日でも先に延ばすことが、なおかつ苦手な努力というものに対する、私の今回のスタンスだ。
 ということで、今日も書けたー(^O^)(顔文字なんか使ってみたりして)
 うむ。継続は力だな。

 ブログをそのままホームページにするとか、ブログのページ作成機能を使ってそれをブログ以外のページに適用する、ということは、更新の容易性や価格的な面を考えても、有効であるとは思う。だが、ただ単に付いている機能を利用して作られたページは、どちらかと言えば、ブログの1ページと変わらないし、いかにもブログでございといった感じで、個人的な趣味に合わない。
 当然、そこに通常のホームページと同じようなレイアウトを組み込むことも可能だが、それはそこにHTMLやCSSを適用しなければならず、手間としてはむしろ面倒である。であれば、ブログはブログ、HPはHPとして各々の機能を十全に発揮できる、ある意味適材適所が大切だと思っている。これは、FC2のようなブログを使っても、MT(MovableType)やWP(Wordpress)を使っても同じことだ。
 しかし、ブログとそれ以外のページを分けたときに、ブログのエントリータイトルをトップページに表示しようとすると、これが意外に面倒であることに気づく。自分のサーバーでMTやWPを運用していても同じことだ。MTの場合は、タイトル書き出し用のテンプレートを作って、それをiframeで埋め込んでしまえば、デザインもかなり自由にできるし、使い勝手としては一番いい。ただし、この機能を使うために導入するには、費用がかかりすぎる。
 WPの場合は、外部のブログと同じで、RSSフィードと言われる、ブログ内容の配信機能を利用するしかない。
 つまり、自分のサーバーでフィードを受信して、その中から必要な項目を抜き出し、表示させるという方法だ。
 無料のサービスでいくつかある。
 http://www.moondakota.com/feed/index_u.php
http://tomato.rakusai.org/
 GoogleのAjax APIを使う方法
 http://ameblo.jp/lifetrackback/entry-10285292840.html
 CGIを使う方法
 http://kaijuu-monya.sakura.ne.jp/loran/weblog/2006/03/cgi.html
 で、実はこれがフレキシブルで、デザインもしやすくいい。ただ、文字コードやフィードの形式によって、うまく使えないケースがある。私の場合、FC2での利用はどうしてもうまくいかず、結果的に断念した(Yaplogなどはうまくいく)
 その結果
小粋空間」さんでも紹介している
 Feed2JS
 をインストールすることで、今回は妥協した。いずれ自社で作ってもいいが、費用対効果を考えると、そこまでではないので、「妥協」してもいいのだ。
 さて、このサイトでは、サイト内のプログラムを利用して、そのままコードを取得しても問題はない。これは、一番上に上げたサイトと内容は同じなので、日本語の方がわかりやすい方は、そちらを利用するといい。
 ただこちらは、プログラムを無償配布しているので、それをダウンロードして使った。
 結果はサイトのトップページを見ていただければ解る。
 多少CSSはいじった方がいいが、インストールや必要なコードを取得するまでの操作も難しくないのでお勧めだ。
 ダウンロード > 解凍 > アップロード >ページにアクセス だけなので。
 いずれにしても、こんな機能は、もっと簡単に提供されていてもいいので、ブログサイト側、あるいはWPなどのプログラムに、備えていてくれると大変ありがたいものだと思う。FC2は機能が非常に豊富で、デザイン変更もフレキシブルにできるので、導入してもらえる可能性は高いと思うのだが。

 インドで、スマトラ沖地震の救済を目的で立ち上げられたブログがすごいアクセスだそうである。
 今書いているこれもブログには違いない。ブログとは、Weblogが縮まった言葉だが、Weblogは、Web上のlogということで、インターネット上の記録といった意味だろうか。日記と限定してはいないわけだが、どちらかというと日記は、他人に読んでもらうことを目的とはしていないと思われる。「土佐日記」だって「更級日記」だって文学として成り立っているわけで、だとすれば、個人的だけど、やはり誰かが読むことを目的としているのだろうか?確かに、夏休みの絵日記は宿題だが、学校で先生が読むな。
 つまり日記には二種類あって、自己完結する日記と、第三者が読むことを前提としているものがある。ということか。
 Weblogは、毎日書くと決まっているわけでもなく、非常にフリーな日記のようなものであることは確かだ。トラックバックという特殊な機能があるが、それはどちらかというと、インターネットだから為し得た、日記の相互侵犯みたいなものかも知れない。いい意味で。
 しかしそのブログが、被災者救済や、行方不明者の確認などに役に立っているという。
 インターネットというのは最早世の中になくてはならないツールで、携帯電話が、無かった頃では想像できないくらい普及しているのと同様、生活の一部になっている。
 20世紀は高度成長期に三種の神器とまで言われた冷蔵庫や洗濯機やテレビなどの家電が、今ではなかった頃が想像できないくらいになっている。
 私も物心付いたか付かない頃というのはテレビが無くて、近所の家に見にいった記憶がある。洗濯機も、脱水は二つのローラーで挟んで搾るだけのものだった。
 世の中が便利になることを否定的に見る人もいる。
 もちろん文明は大局的に見れば、自然と対語であり、どんなに共存と言っても、相容れない何かを持っている。この世の中で意志と感情、そして知恵を持って動き回れるのは人類だけだし、ちょっと周りを見回しても近所にはいないようだ(宇宙人がUFOでやってきているなら話は別だが)。文明の発展は、それまでのビッグバンからついこの間までの悠久の自然の流れとは一線を画す事象なのだ。
 しかしもっと大きな視点で見ると、人類の文明や、あたかも自然の対極に位置するような文化的な「モノ」もまた、自然の流れの中で自ずと存在するものなのではないかという気がしてくる。
 インターネット犯罪は間違いなく増えているし、悪質化もしているに違いない。だがそれはインターネットだからではない。新しいお札が出れば、偽札が横行するのだ。
 ブログが増えれば、ブログがそもそもなんなのか判らないほど様々なサイトが生まれる。その中には素晴らしいものからどうしようもないものまである。普通は可もなく不可もない。多くはただの日記だ。まあ、そういう意味では私のところも、世の役に立っているとは到底言えない。またそれが目的でもない。
 ただそれでも月間に500近いアクセスがあり、検索してきて頂いている方もいる。
 そもそもリハビリと言って書き始め、100wo超えたら小説などと言っていながら、なかなか忙しさにもかまけて実現していない。リハビリそのものは、室内を出て外で、すなわちブログから創作へを示唆しているのだが、頭の中のリハビリが足りない。
 あ、ついでに言うなら身体のリハビリ・・・・これは単純に運動不足というのか。

 打ち出の小槌はご存じの通り、一寸法師の背を伸ばしてくれた魔法の小槌です。
 降れば望みが叶う素敵なツールです。
 辞典を見ると、いいおじいさんが土産の小槌で「米、倉」といって米と倉を出したのを欲張りなじいさんが、同じ願いを早口で言ったところ、「小盲」がたくさん出てきたという物語を載せていましたが、放送コードにかかりそうなだじゃれです。
 何でこのページが「うちでのこづち」なのかというのは私にもちょっと疑問です。もちろん開運の願いもありますが、ブログが開運の手助けをしてくれるとも思えません。取り敢えず身長も今の状態で不満はありません。
 元々文章を書くのが好きなのか嫌いなのか、自分でもよく分かりません。そもそもは、小学校の頃を考えると、読書も文章書きも好きだったとは到底言えません。ことに読書感想文など、何で世の中にこんな物があるのだろうと思っていました。
 今でも読書感想文は、「面白かった」で十分だと思っています。主人公がどう考えようが、その作品から何を得ようが、小説やエッセイを書くのと違って、人様に公言すべき根拠があるとも思えません。もちろん、言いたい人は言えばいいですが、全ての子供にそれをさせるのはどうかと思います。
 食事の好き嫌いも大人になると大分変わります。読書嫌いの子供も、大人になれば本を読むようになります。読解力だって、個人差があるので無理して読むことはないように思えます。
 高校生の頃、「こころ」を読んで感想文をという夏休みの宿題に、私は読まないで、なぜ読まなかったかを書きましたが、当時の先生は快く受け取ってくれました。今でも私はこの国語の先生に感謝しています。
 おっと、話がそれましたが、うちでのこづち、この世の中に本当にそんな物があったら、欲しいですね。そんなうちでのこづちを、ここで文章を書くことで探してみたい、そんな気持ちで付けたタイトルです。即物的な意味も、精神的な意味も込み込みで、自分にとって有意義な何かを生み出す、「うちでのこづち」。魔法のランプでも良かったかな?