トーナメント戦における銀メダル

 北京オリンピックももうあと僅かだか、昔から思っている不思議を一つ。
 例えばオリンピックでのA,B等がある柔道などのトーナメント戦で、双方の勝ち上がりが決勝を行い、勝った方が金メダルなのは解る。だが、仮にAグループの選手が金メダルを取ったとしよう。
 Aグループの準決勝で負けた選手(つまり金メダリストに準決勝で負けた選手)と、Bグループの準決勝で負けた選手(銀メダリストに負けた選手)が銅メダルを賭けて戦い、3位を決めるわけだが、もし、3位決定戦で、Bグループの選手が勝てば、この選手は、銀メダリストに負けているので、明らかに3位で問題はない。
 だが、Aグループの選手が勝った場合、この選手は金メダリストには敗れているが、銀メダルを取った選手が勝ったBグループの準決勝敗退選手に勝っているので、実際のところ、銀メダルの選手には負けていないことになる。
 つまり、このケースでは、3位決定戦の勝者と、決勝の敗者とが、もう一度銀メダルを賭けて戦う必要があると思うのだが。
 これは柔道に限らず、予選トーナメントが複数に分かれているレスリングや、あるいはサッカーなどでもそうではないのだろうか?
 
 こういう格闘技では、おそらく総当たりのリーグ戦なんて不可能だろうが、どうもグループ分けの時点で、結果論なのだが、どちらかが不利を背負っている結果になっているのが解せない。
 金以外は一緒と、女子柔道の選手が言っていたが、やっぱり銀と銅では違うだろう。
 あっちのグループで戦っていたら銀メダルが取れたかもしれない、というかすかな可能性は、検証してあげた方がいいように思う。敗者復活なんていう、体力を使いそうなルールがあるのだから、1試合増えても同じような気がするのだが。
 何か考え方の筋道というか、自分の理屈がおかしいのかな?ルールの勘違いがあるのかもしれないが、不思議だ。
 まあ、下らんことと言えばそれまでだが。

北京オリンピック

 北京オリンピックが開幕した。
 開幕まで、様々なことがあり、なぜか競技の第1日目から市内で殺人事件が起こったりもしている。
 聖火の採火式からこの方、チベット問題で揺れた。あの騒動はどこへ行ってしまったのだろう。ダライラマと中国政府が話し合って、簡単に解決する問題でもないだろうし。同様な問題がウイグルにもある。
 尤も、毎日どこかで暴動が起きているなどというお国柄を、隣の国であっても、オリンピックがなかったら、今でも知らなかったかもしれない。
 とはいえ、オリンピックはスポーツの祭典であることは間違いないわけで、これまでも多くのオリンピックが政治的に利用されたり、果ては中止になったことがあったとしても、やはりスポーツの祭典なのだ。
 オリンピックで戦う選手たちには、基本的に政治問題はあずかり知らぬことだ。ただ、オリンピックを利用して、チベットの人権問題等に、世界の注視を呼び込もうとする企てが、必ずしも間違っているとは言い難い。何故なら、聖火リレーの妨害だからこそ、より多くのマスコミも集まるのであり、そのことで初めてチベットやウイグルなど、中国が抱える人権問題を知った人も多いに違いないからだ。
 ただし、目的が手段を正当化するわけではないので、行為として正しいかどうかはまた別の話だ。必ずしも正しくはないが、意味のある行動ではあるわけだ。
 ところがいざ開幕式を迎えてしまうと、それらのことから人の興味は遠のいてしまう。
 
 イスラムのテロ組織から爆破予告があったり、未来から来た人間が北京オリンピックは行われなかったと証言していたり、結果的にやはり北京の大気は汚れていたり、開会式会場で観覧している人よりも、警備の人数が多かったり、応援は横断幕や同じ服装がだめだったり、何とも異例だったりエキセントリックだったりするオリンピックで、競技以外の興味も、大きな祭典だ。
 と言っている間に、谷亮子が銅メダルに終わった。
 日本人であれば、あの3度目の指導が谷だけに与えられたことに不満や不審を持つ人が多いのは間違いないだろう。ただ、「誤審」ではないし、明らかに両者とも互いに攻めあぐねていたので「やむを得ない」ということか、それに文句を言う人は比較的少ない。
 国内の選考大会で敗北を喫しながら、代表に選ばれ、尚かつ金メダルを取って当たり前という期待と責任を負わされた谷という選手にとっては、攻めないことが負けに等しいのだという、見る側にもより厳しい目があるのかもしれない。
 実際に、代表選考大会で勝利した選手を生かせなかったことに言及しているブログなども多い。
 こういうことはタラレバだし、そもそもこれまでの5大会でメダルを取り続け、世界大会でも勝ち続けてきた選手の功績という物は、やはり大きいのだ。
 だがそれとは別に、オリンピックの柔道は面白くない。負けないことが勝ちになる試合というのは、格闘技などには向かない。ましてや審判という人間がその勝利を判定する競技は、その競技が本来持っている魅力が十全に出されるためには、その競技が本来どういう競技であるのかを根本に据えたルール作りをしてくれないと、面白さは半減する。
 逃げても逃げても、有効、技あり、一本という攻めから相手を打ち負かすこと以外で勝利を決めるというのは、面白くないし、選手自体、フラストレーションではないのだろうか。
 記録を競う競技は、基本的に、人より早く、人より遠く、ということ以外に勝ちはない。柔道で言えば、投げにしても寝技にしても、相手を負かすというベクトル以外で、勝利を決めないようにすれば、どれだけ面白くなるだろう。時間短縮など言わずに、決まるまで戦わせればいいのだ。
 水泳のように、複数日に渡って競技を行い、1階級1試合を1日でこなしていけばいいのだ。
 時間切れ判定なんて面白くない。
 尤も、自分が戦わないからこんなことを言っていられるので、テレビで観戦している無責任な意見であることは承知の上である。
 今回のオリンピックは日本の金メダルはアテネと比べても減りそうな雰囲気だが、こればかりは終わってみないと解らない。
 参加することに意義があるといったのはいったい誰だろう?
 もちろん、参加するためには相当な苦労があるはずで、参加できるだけでも相当な意義があるのは当たり前のことだ。ぼくなど、オリンピックどころか、校内の運動会でさえ、上位になった記憶はない。
 こういうことは、「努力すれば」どうにかなったり、「願えば」叶うわけではない。
 もちろん努力も必要だし、人間にとって、「願う」ということがなければ向上心も生まれてこないだろうから、必要ではあろうが、「努力」や「願う」力もまた、個人差があるのだ。
 中国という国は広大だ。その強大な国が共産党という一党で治められている。
 今回の開会式などを見ていると、逆に、だからこそできたのではないかという統一感や集中力みたいなものを感じる。
 中国という強大な国が、率先して、軍縮や環境に配慮する国になってくれると、地球の未来も少しは明るい気がする。・・・アメリカにはあまり期待できないからな。
 
 
 

日本シリーズ

 中日が53年ぶりの優勝を飾った。まずは中日におめでとう。
 だがしかし、中日ファンでもないぼくが、なぜ途中からこの試合を見ていたかと言えば、山井のパーフェクトが見たかったからだ。日ハムのファンでもないが、9回は思い切り日ハムを応援してしまった。
 僕はヤクルトが好きなので、ヤクルトの立場に置き換えて考えてみた。
 かつてヤクルトはとても弱かったが、広岡監督の下で初優勝、その後しばらく優勝から遠ざかり、野村監督時代と、若松監督時代に優勝を経験している。仮に広岡以来優勝がなかったとして、今日のようにピッチャーが8回までパーフェクト試合をやっていたら、やはりその投手に9回を投げて欲しいと思う。
 落合監督はオレ流とやらで、地道に勝ち進んで、2年連続の日本シリーズだし、もしあの場面で山井を変えずに逆転負け、しかも日本シリーズ優勝を結果的に落としていたら、中には、その最大の原因をこの投手交代に求める人もいたかも知れない。
 それでも猶、パーフェクト試合、ましてや日本シリーズでのとなれば、ちょっとやそっとの記録ではない。やろうと思ってできるわけではない。それを目前にした投手を交代させるというのは!
 ぼくは自信、スポーツに縁がないが、プロスポーツというのは、競技であると同時に、エンターテインメントであるとも思う。そういう意味で、非常に、少なくとも僕にとっては、程度の低い試合に終わった。
 尤も中日ファンの多くは喜んでいると思うが。
 優勝と1選手の記録、しかし日本シリーズのパーフェクトと秤に掛けると、個人的には後者が重いと思うのだ。
 野球はチームプレーだとよく言うが、それも個人技がうまく咬み合わさったチームプレーだ。
 
 昨今の野球の人気の低迷は、こういうところで、少しばかり拍車がかかるのかも知れない。
 是非論は置いておいて、他人事ながら、何か悔しい。

ヤクルトと古田

 古田がヤクルトを退団するというニュースが今週あった。
 確かに今年のヤクルトは負けが混んで、何度も最下位に落ちている。今日時点では5位だが。
 元々古田ファンでヤクルトファンという構図ではないので、古田が辞めようと、ヤクルトファンを辞めるわけではないのだが、やはり入団以来、どこかでミスター・ヤクルトのような存在になっていたので、非常に寂しいし、そもそもプレイング・マネージャーという困難な位置にいたのだから、2年目で結論を出すのは早いと、ファンは思う。
 今日現在のヤクルトの成績を見ると、54勝75敗、勝率4割1分9厘。昔はよくこんな数字もあったのではないかな?何て思ったりする。
 ところが、選手成績を見ると面白い。
 首位打者青木3割4分8厘、2位ラミレス3割4分6厘。ラミレスは185安打しており、残り試合15、1試合1本どうにかヒットを打てば、200本安打に到達する。3番打者だ!
 それ以外にも、宮本が7位、田中が9位とベスト10に4人も入っている。首位争いをしている中日は、一人も入っておらず、中村紀洋が14位で一番上だ。当然3割を切っている。中村をヤクルトが取っていたらどういうことになっていたのだろう?
 にもかかわらず、チームとしては中日の方が得点が27点も高い。残り試合差を考えても、中日の方が圧倒的に効率よく得点していることが解る。ウッズがホームラン王だとしても、ラミレスよりも打率は低いから、ホームランではなく、しっかり得点しているのだ。きっと残塁は、ヤクルトの方が相当多いに違いない。
 一方投手は、防御率こそ巨人の高橋尚成が1位だが、グライシンガーはしっかり2位にいて、勝ち数はグライシンガーが1位だ。残り試合を考え合わせると、グライシンガーが最多勝を取る可能性は高い。
 ところが、敗戦投手のベスト10に館山、石井、藤井と3人もヤクルトは入っている。負け数が多いのだからこれは当然だが、自責点の1位は石井一久。でも石井はそれほど勝率は悪くない。
 つまりヤクルトは、中継ぎや押さえがたくさん負けているのだ。
 首位打者と最多勝のいるチームが5位6位に低迷するということは、バランスが悪いのと、拙攻が多いこと、見方によれば、采配が悪いと言うことになる。
 何回時代にプレイングマネージャーをやった野村克也ほど、采配は上手くないと言うことになる。
 もちろん、球団と古田の補強などに関する意見の違いはあるし、思い通りにできなかったことも多々あるに違いない。ファンはプレイをも古田に期待するし。・・・・ほとんど出てこないが。
 
 古田が今回対談を決意したのは、現状ではとても理にかなった決断なのだ。
 やがて、一流監督となって戻ってくることは間違いないので、ここは一旦、球団を離れてもやむなしと思うわけだ。
 
 他のチームのコーチとかにはなってくれるなよ・・・・

インターネットの速報性

 国内のインターネットの利用者数は、4千万人近いらしい。携帯電話は1億人(台)近いから、倍くらいになる。もちろん、携帯電話は電話なので、情報端末としての利用は、やはりインターネットの方が高いだろう。
 最近、続きはウェブでという安直なCMが増えた。商品を宣伝しようというのに、消費者に手間を取らせようというのだ。オリコカードのはつい見てしまった!
 情報端末という意味で、PCはテレビに変わるのかどうかは知らないが、テレビの普及台数と、インターネットの利用者数が同じくらいになる日はそう遠くないだろう。
 さて、今日、ミズノ・クラシックをテレビで見ていたのだが、結果を知りたくてネットを検索した。日米野球と違って、これは録画なので、すでに結果は出ているはずだからだ。同じ理由で、女子バレーも結果を探した。
 どちらもネット上の新聞で見つけた。但し、そこに行き着くまでは少々面倒だった。ほんとに少々だが。
 当然、テレビ放映されているので、公式サイトでは結果を出していない。
 しかしちょっと待てよ?
 テレビの放送と、ネット上の情報が、どうしてリンクしなくてはならないのだ?
 すでに結果が出てるなら、出ている段階でネット上に掲載すれば良いではないか。少なくともニュース速報では(ネット上で)見ることができるわけだから。
 もし、テレビでわくわくしながら見ているかも知れない視聴者への配慮なら、そもそもおかしい。わざわざネットで探してまで見ようという人間は、取り敢えず結果が知りたかっただけで、その後の試合はあまり観ない。当然今日の私も観なかった。
 結果が分からなかったら観たかというと、可能性としてはあるが、それとは別の理由で観なかったりするわけで、あまり関係ない。
 テレビというのは、自身や大きな事件以外では、あまりニュース速報などをながすことはない。先日テレビ朝日の「太閤記」の時に、北朝鮮が六カ国協議に出席することになったというニュースが出た。これこそ余計なニュース速報だ。「太閤記」をそれほど面白く観ていたわけではないが(今回の太閤記はそれほど出来がいいとは思えないので・・・千利休が信長に始めて会ったのがいつかは知らないが、桶狭間の前ならきっとまだ30代か40代くらいのはずだ。あの藤田まことでは、秀吉が太閤になる頃にはとっくに死んでるぞ。)、
 北朝鮮がミサイルを撃ったとか、2回目の核実験を行ったというのなら話は別だが、六カ国協議に参加するといった程度なら、ニュースの時間で十分だ。
 
 これは、利用者にとって、いかにテレビが受動的なメディアであるかという典型だ。
 いや、Web2.0だろうがなんだろうが、基本的にメディアは、利用者にとって受動的であることは、基本的に変わらない。メディアの発信側という意味では全く違うが。
 ゴルフの結果やバレーボールの結果が、リアルタイムに更新されてこそ、その受動性は非常に緩和され、ある意味、ネットも次の世代へと入っていくのだ。テレビと妙なコラボレートをされたのでは、全くネットの意味がない。
 
 もちろん、ニュースでも何でも、事が起きてからそれがメディアを通じて伝わるまでにはタイムラグがある。それだ、といってしまえば、今回のこともそうではないと、断言できるわけではない。実際に、ニュースも、ネット配信よりはテレビの方が速報性が高い。
 しかし、そのあたりの利便性を高めていくことが、今後のネットの融通性であり、展望を明るくしていくのだ。
 ネットが本当に便利で、あらゆる意味で使いやすくなるためには、発信者側がより大変になっていくのかも知れない。どうしたって、全て機械ではできないわけで、最終的には人の力なのだな。
 頭にチップ埋め込んで、記者が思考でニュース配信なんていう時代もくるかも知れないけど。

日米野球

 今日から日米野球が始まった。定食屋に夕飯を食いに入ったらやっていた。今日は巨人対MLBで、どうやら同点で終わったらしい。
 明日から日本代表と1週間で5試合するらしい。
 Yahoo!の関連記事などで、出場辞退選手が、名前の判っている選手以外にも居て、25人くらいが辞退しているらしい。
 今シーズン限りで辞めてしまう新庄や、直後のアジアシリーズに出場する日ハムの選手はともかくとして(野手だからだろうが、小笠原はそれでも途中まで出るらしいが)、それ以外の多くの選手は、だいたいが怪我だったりする。
 Yahoo!のアンケートでは、7割くらいが出場すべきと考えている。そして、おそらくはこれが世論というものだろうし、口ではファンファン、と連呼するのであれば、その試合の価値云々は別にして、多少の無理は押して出るべきだろう。少なくともファン投票で選ばれた選手は、その義務があるし、そのための高額年俸でもある。
 ましてや日本シリーズや、直前まで、自分たちが優勝するための試合にはがんばって出ていた選手がその中にたくさんいる。もちろん、その選手たちにとっての優先順位なのだろう。
 私は、あらゆる職業は客商売だと思っている。行政や芸術家でも同じだ。貨幣経済社会の中で、飯を食うためには何らかの形で金を稼がなくてはならない。金を稼ぐと言うことは、何らかの側面で対価を払う「顧客」が居るということで、行政であればそれは税金だし、芸術家であってもパトロンやスポンサーではなくとも、売れなければのたれ死にするしかない。
 スポーツ選手もまた同様、彼らの給料は最終的には多くのファンやスポンサー起業にお金を落とす一般人から出ているのだ。ファン投票の多くは、彼らにそこで活躍して欲しいと感じているファンの気持ちだ。ファンというのは身勝手だが、でも彼らが金を払い、その金で、通常よりも高い給料を彼らは得ている。
 よくスポーツ選手は選手寿命が短いから、高い年俸をもらうのは当然だということを言う人があるが、それは全く当たっていない。彼らが高い年俸をもらうのは、それに見合う活躍、平たく言えば総合的な意味でのファンサービスへの対価として評価を得ていると言うことに過ぎない。選手を辞めた後の生活など、勝手に考えればよい。それは、定年後のサラリーマンだって同じだ。
 政治家には退職金がないから議員年金があるようなことを言っている議員がいたが、退職金が欲しいのなら、議員を辞めてサラリーマンになれと言うだけのことだ。
 スポーツ選手には年俸として数千万、数億を得るだけのサービスをすべき義務がある。もちろん、命をかけて行う必要は全くないと思うし、怪我を治したいという気持ちも分かる。あるいは、シーズンの最後の試合が限界だったのかも知れない。でも、それが選抜された数十人の中の何割もの選手だと言うことになれば、自ずとこんな試合は出なくても良かろうという、勝手な思いがあると見ないわけにはいかない。
 シーズン中だって怪我を押して、多くの選手はがんばっている。だから、シーズンオフのはじめくらいは休めるなら休めばいいと思うが、でも、日頃ファンが大切と、言っているばかりでは嘘くささも感じてしまう。
 かなりの人が、そもそも日米野球なんて、と思っているのかも知れない。まあ、私もそのうち野一人だ。おもしろさという意味では、ペナントの方が面白い。でも、日米野球だって楽しみにしている人はたくさんいるし、現にチケットを買って見に行く人が大勢いるのだ。
 ファン投票12名の内7名が辞退って、おかしすぎないだろうか?
 おかしいと言えば、読売がスポンサーだからだと思うが、日米の選抜の前になぜかMLB対巨人を1試合だけやる。これもおかしな話だ。こういうところで、アンチジャイアンツは、さらにそのアンチ度を増すのである。

ワールドカップ初戦

 先ほど、ワールドカップドイツ大会の日本対オーストラリアの初戦が終わった。1-3で負けた。
 私は、基本的に普段はサッカーはあまり観ない。野球よりは少なくとも観ない。一つには、テレビ放送も少ないというのもあるが、全てのチームが阪神タイガースのような、サポーターという名のファンの集団に、性格的になじめないという部分もある。
 それでもオリンピックやワールドカップという舞台になると、やはり日本人としてその試合をテレビで観る。観戦に行くという選択肢は全くないのだが、何となくテレビでは観る。そして勝って欲しいと、心から応援している。まあ、それでもこのときばかりの庭かファンであることは間違いない。
 あまり遊びでもやったことがないばかりでなく、知識としてもあまり優れたファンでもないと思う。
 さて、言い訳を書いたので、今日の試合の感想を。
 まずは残念。オーストラリアはFIFAのランキングでは日本に比べてずいぶん下のチームで、夕方のニュースでは、木村太郎が、それを根拠に大丈夫だと言っていた。しかし前回の大会で躍進した韓国や日本の例もあるので、事前のランキングなどそれほど当てにはならない。むしろワールドカップに出場してきた実力を見るべきだろう。
 前半は1-0でリードしたまま折り返したわけだが、川口のいわゆるファインセーブのおかげで0点に抑えられていたので、実際には圧倒的にオーストラリアが押しているように見えた。ボールを持っている時間はオーストラリアの方が多かったと思う。
 サッカーというのは、実力差がないと、さほど点が入るスポーツではない。1点が重いゲームだ。オーストラリア・サイドからすると、「シュートが入った」わけではなく、「センタリングが入ってしまった」失点で、非常にいやだったに違いない。日本にとってはラッキー・シュートだ。運もあるようにここでは見えた。
 しかし後半に入って、結構攻撃の機会が増えたようにも思えたが、その都度シュートが決まらない、あるいはシュートに至らないという、昔から日本チームが抱えている問題がここでも露呈したように見えた。確実なシュートをねらって、その前のシュートチャンスを失っているように、少なくともカメラを通してみている私などには、そう見えるシーンが多かった。
 それと、駒野のセンタリングは、ほとんど合っていなかったのが気になった。これで何回かのチャンスを失っていたように思える。
 また、今日の試合は、日本選手のパス・ミスが非常に目立った。二本て、こういうのすごく上手かったような記憶があるのだが。
 同点にされた原因を探ると、ロングスローを川口が取りに行って、失敗した点に見えるし、それはその前のファインセーブで妙な高揚感が川口にそうさせたようにも見えた。だがその前に、終了10分ぐらいのところで、中澤がゴール前でファウルをしたからその流れがある。
 もちろんスポーツなんて、後から考えればここでこれがとか、どこに原因があるかなんて言うのは、実は無意味という見方もあるが、見ていた人間が「ああ、ここで」と思う瞬間というのは、それはそれで意味がないわけではない。
 ただ、全体を俯瞰するなら、あそこで点が入らずに負けてしまったら、オーストラリアはフラストレーションのたまる試合だったと思える。それくらい押していた。
 そういう意味では、流れとしてはある意味順当な結果なのかも知れない。同点にされた時点で、日本には焦りが見えたし、2点目の時は、選手全体の意識が「攻撃」に向いていたように映った。
 しかし、前述のFIFAの順位のこともあるが、スポーツは水物だ。弱いからと言って、素人ではない。日本チームがワールドカップ前に高校生と練習試合をやったときのような実力差があるわけではない。
 この後、クロアチア、ブラジルに連勝する可能性だってあるのだ。
 今年は野球でも、韓国に連敗し、アメリカに負け、それでも優勝した。あんな事だってあるわけで、最後まで希望は捨てない方がいい。まあ、私などが言うことでもないが。
「死中に活」そんな感じかな。

新庄の襟

 先日の日本ハムとソフトバンクの一戦で新庄がシャツの襟を大きく出して出場し、王監督やソフトバンク側からクレームが出た。結局審判団が「マナーの問題」という、何ともオールマイティな言葉を使って今後はだめという判断を下した。
 元々新庄は、続けて同じことをするつもりはなかったかもしれないが、「もうやらない」ということになったらしい。審判団は「違和感」を感じたらしい。
 私の印象は、「髪を黒く染めてこい」という高校生と教師の会話のように見えた。
 曰く、「青少年に与える影響・・・・」
 などというあたりがどうにも解せない。どちらかというと、新庄めあんなことばかりやりやがってという、単なる腹立ち紛れにしか見えない。
 新庄のファンサービスが、野球をショーにしてしまっている部分は確かにあると思う。定めし星一徹なら、「男たる者、浮き足だって、ちゃらちゃらした女みたいなことをする出ない!命をかけた男と男の勝負、試合が全てぞ」とでもいうかもしれない。
 今度のことは、ネクタイをしないで、評論家の怒りを被ったかつての堀江と似ていなくもない。
 私は野球をしないし、ほとんどしたこともこれまでない。しかし観るのは好きだし、ヤクルトファンだ。そして少しだけアンチジャイアンツ。巨人阪神戦を伝統の一戦などというのを聞いていると、古けりゃなでも伝統かい、とヤジを飛ばしたくなるような、心の狭い男だ。
 だが、今回の新庄のスタイルは、個人的には「違和感」は感じないし、シャツの襟のボタンを外し、なぜかきんきらのネックレスをしている選手などよりも、「きちっと」して見えた。
 しかしそもそも、そんなことが大事なのではなく、あんなことで青少年への悪影響をいうなら、この世の報道などは、なべて悪影響を及ぼしている。
 球場で両軍選手が入り交じって乱闘をしたり、相変わらず巨人中心主義の野球放送や、細かいところはともかく、体質そのものは何も変わったようには見えない野球界こそ、糾弾されてしかるべきだ。
 むしろ新庄の様々な(やり過ぎがあったとしても)パフォーマンスは、日ハムに関する限り、ファン獲得の大きな動力源であるし、それに簡単に水を差してしまう世界の王が、少し小さく見えた。

WBC

 WBC2次リーグで、日本は韓国に負け、事実上準決勝への進出の道を閉ざされた。イチローが一人、なぜか感情を爆発させ、気を吐いた。
 
 考えてみれば、アジア予選でも韓国に負け、2次リーグでも誤審があったにせよアメリカに負け、さらには再度韓国に負けた。
 原因はきっといくつもあるだろう。大リーグで活躍する一流選手を中心にチームを作る韓国に対し、松井や井口が参加を拒否する日本チーム。理由はどうあれ、これは韓国と日本の国民性の違いが非常に大きいと思う。国際試合などで、おそらくは太平洋戦争の敗戦後、挙国一致ということへの反動が、日本という国家の牙を抜いたのは否めない事実であろう。
 国家を称揚する韓国チームと、日本という御旗が非常に形骸化している我が国とでは、こういった国際試合などでの選手も、国民も意識は低い。もちろん、それが悪いというわけではない。
 バレンタインが日本チームを応援するように、ところ変われば立場も変わるし、所詮はスポーツだ。
 結果的に今江のエラーが敗北の最も大きな、直接的な原因に見えても、そんなことで今江を責める人は余りいない(おそらくいるのが事実で、そのことは個人的には悲しむべき現実、という気がする)。
 あるいはヒットを打たれた藤川を責める人もいるかもしれない。また、9回裏にホームランは期待できても、安打可能性としてはそれほど高いとは言い難い新井をピンチヒッターに送った王監督を責める人もいるかもしれない。個人的には、松中の代走に青木ではなく、ピンチヒッターに青木を使ってほしかったのだけれど。
 全体的に、手堅い野球ではなかった気はする。アジア予選は、韓国意外にはイケイケだったので、そのせいもあるのかもしれない。
 スポーツだから、しかも団体戦だから、勝敗は自ずとある。楽天だって全敗するわけではないし、以下の強いチームでも全勝はしない。勝敗は兵家の常とも言う。
 韓国チームはベスト4にはいると兵役が免除になるから必死だったという話も聞く。そういう側面も全くないわけではないだろう。
 ただふと見ていて思ったのは、トリノオリンピックで金メダルを取った荒川と、必死で金を追い求め、転倒してしまったスルツカヤの姿が、地道な韓国と、最初から優勝優勝と言い過ぎる日本に重なって見えたのは、私だけだろうか?

オリンピック

 トリノオリンピックが始まり、既に多くの競技が終わっている。メダルが期待されていた(のかどうか詳しくは知らないが)日本の選手の多くが、惨敗している。
 ハーフパイプなどは話題になって知っている名前の選手は決勝にも残れず、それ以外の選手ががんばった。ジャンプの原田は、失格したり、モーグルの里谷もまったく精彩を欠いていた。
 オリンピックは参加することに意義があるという言葉を聞いたのは子供の頃のことだ。確かにそういう国もあるだろう。雪も降らない国から多くが参加している。
 しかしオリンピックに限らず、競争ごとというのは、買ってナンボなのであり、メダルを取れて始めて意味をなすのだ。なぜかと言えば、ほとんどの選手がメダルを手にすることができないから、だからこそ貴重であり、意味がある。参加することにももちろん意味はあるだろうが、意義はそこで表彰台に登ることだ。
 全ての選手は、それが叶わなかったときに悔しがっていいと思う。
 日本の選手がメダルを取れない理由は、日本選手の技量が低いというより、メダルを取る選手の技量が図抜けている感じがする。女子のハーフパイプなどを見ていると、上位3選手の高さはちょっと違う。
 これはジャンプの距離などとは別の世界があるような気がする。
 何でもそうだが、1番がいればビリもいる。その中で1番を目指そうとすることができる能力を持っていたり環境にあることは、素晴らしいことだ。普通の人が望んでも得られないことだからだ。
 その高尚なレベルでの戦いでも、その違いを見ると、「なんだあ」というような感想が漏れる。見る側というのはお気楽なものだ。そう思いながら、今日もテレビを点けている。