フランスの山人の歌による交響曲 / ダンディ

 フランスの作曲家 ヴァンサン・ダンディによる3楽章のピアノ付き交響曲だ。交響曲と書いていなければ、一見協奏曲だが、一応交響曲。
 一番最初に聴いたのは大学生の時だから、ずいぶんと前の話になる。確か、シャルル・ミュンシュのレコードを買った。ピアニストは調べてみるとシュバイツァーという女性のようだ。

 ダンディはフランス人なので、フランス語表記だと「Vincent d’Indy」ど・あんでぃをリエゾン的に読んでいるのかな?とか勝手に思ったりする。
 原題は『Symphonie sur un chant montagnard français』

 「フランスの山人の歌による」というだけあって(とはいえフランスの山人の得体が知れないが)、何となく民謡っぽいメロディを、洗練させてみましたみたいな雰囲気が漂っている。そしてそれが小気味いい。
 牧歌的なメロディで始まる第1楽章と、跳ねるようなピアノをバックに、キャッチーなメロディをオケが奏する第3楽章が特に面白い。

 しかし改めて別の演奏を探しても、せいぜいオーマンディのCDくらいしか出てこない。YouTubeにはペーター・マークのものがあったが、ミュンシュにオーマンディって・・・・ずいぶん前に他界された指揮者ばっかで、最近の人は演奏しないのかな。試しにHMVで検索したら、クリュイタンスが出てきた。全部故人かよ!
 ただググるとHMVのデュトワとかフィストラーリとかも出てくる。どうなってんだ?HMVの商品検索って??
 しかしそれでも生きているのはディトワばかり。
 最近流行らないのかな。楽しい曲なのに。

白い小鳩 / 朱里エイコ

 朱里エイコは昭和の歌手で、何と言っても有名なのは『北国行きで』だと思う。ついでに言うならアニメ『アニマル1』の主題歌も歌っていた。
 その朱里エイコの『白い小鳩』はまさに昭和の歌謡曲なのだが、まず歌が上手い!
 声は出る、音程は安定している、これだけでももう、そんじょそこらの歌手の追随は許さない。
 よくパンチがあるという表現を使うが、さすがアメリカで活躍していただけのことはある。
 山上路夫の歌詞もなかなかいいが、何より都倉俊一の曲がいい。山口百恵といい、ピンクレディーといい、山本リンダといい、どうしてこういう曲が書けるのかと感心する(横審の委員としてはどうか知らないが)。
 「いつかはき~っと」というところの歌声がしびれる。素敵だ。

この町で 生れたのよ
悲しみだけ うずまく町
どこか遠く 逃げたいわ

私は白い小鳩
生毛(うぶけ)さえ 消えぬうちに
夜の酒場 つとめ出して
流れ者に だまされた
あわれな そうよ 小鳩
いつかな きっと みじめな 私も
この羽根 広げて 遠く遠く 旅立つわ
あの汽車に 乗れる時を
夢に抱いて 生きているの
いつか きっと とび立つわ
私は白い小鳩

泣きながら 生きて来たわ
想い出せば いつも私
ここの町は 泥沼よ
私はもがく小鳩
世の中に 出ておゆきと
死んだママが 言っていたわ
そうよ けして 負けないわ
私は 負けはしない
いつかは きっと みじめな 私も
この羽根 広げて 遠く遠く 旅立つわ
あの汽車に 乗れる時を
夢に抱いて 生きているの
いつか きっと とび立つわ
私は白い小鳩

 この歌は椎名林檎もカバーしているが、個人的には朱里エイコに軍配を上げる!
 もう10年以上前に亡くなっているが、惜しい!
 下のアルバムは『ジョーのダイヤモンド』も入っていて、お勧め。

 

閉ざされた町 / カルメン・マキ&OZ

カルメン・マキといえば『時には母のない子のように』。寺山修司作詞のヒット曲だ。
僕はまだ小学生だったが、よく覚えている。『山羊に引かれて』などは、成人して、レコードを店頭で売り始めてから知ったように思う。
だが、その間に、高校時代からいきなりハードロックを聴くようになった僕は、大学時にカルメン・マキ&OZと出会った。GODAIGOの『DEADEND』と共によく聴いていた日本のバンドが『閉ざされた町』だった。

アルバムのタイトルでもあるこの曲は、アルバムの6曲目にある。尤もアルバムの構成が、1~2分程度の『Introduction』と『Epilogue』を前後に置いているので、実質は5曲である。1枚のアルバムで5曲だから、自ずと1曲は長いものが多い。B面は『Lost Love』と『閉ざされた町』9分と10分の曲だ。

ぎゅううんというギターの唸りから、重くて暗いリフが始まる。
おどろおどろしいというほどでもないが、何かこう沈み込んだような、ちょっとファンタスティックなイメージも絡めた歌詞が続く。
何より最初に印象に残った歌詞が「川原の土手に腐った猫が横たわり」というところだった。
こういった詩は実は、何度聞いてもイメージ以上の何かは理解できない。
何となく、ただの失恋の歌にも聞こえるわけだが、何より、春日博文の書いた曲とギターがいい。

ギタリストとしてすごく上手いとかは思わないが、うねるような感じで、ヘヴィな音を出している。あ~ハードロックっていいなぁと感じるフレーズの一つだ。
また、カルメン・マキの声量たっぷりなアルトな歌声もいいのだ。

閉ざされた町に今日も 夕焼けが
あの空から落ちてきたよ 私の上にも
夕焼け空に腰かけながら あなたの町を
眺めてみると あなたの家は 赤く染まり

珍しく丘の上は 風も吹かず
川原の土手に 腐った猫が 横たわり
早くお帰り 楽しい夢は 終わったはずだと
飛ぶのを忘れた極楽鳥が 無理に笑う

途切れ途切れに吹き鳴らす誰かの草笛 今日も聞きながら
私はいつも思い続けてた この町の色をいつか変えようと
そんな思い出 満ちた町が 輝きだしたよ鏡の色に

あの空をと指さすその手に 微笑めば
何事もなく あなたの家は沈みこむ
いつのまにか 私の体も 夕焼け色に
地平線に 悲しいしぐさ 少し動いて

YouTubeにこんなライブ影像があった。

カルメン・マキ&OZといえば、世間的には『私は風』なのだろう。中森明菜でさえカバーしてる(ちょっとあのアレンジは頂けないが)。でも僕にとっては『閉ざされた町』なんだな。
このアルバムは『火の鳥』や『Lost Love』もいい感じ。

Federkleid / Faun

今日の1曲2日目。危ない、忘れるところだった!

今日は Faunの「Fererklied」という曲。
Faunはドイツのバンドで、Wkiによれば「pagan folk, darkwave and medieval music」ということになるようだ。キリスト教ではない宗教のフォーク、ダークウェーブは、ゴシックロック的な感じで、最後のは文字どおり中世音楽。

Youtubeを見ていただければ、当にイメージ通りだが、音楽は当にフォークというか、ヴォーカルのフィオナが吹くリコーダーのいい雰囲気で始まるのだが、歌が始まると「ポーレシュカポーレ」のパクリじゃね?と一瞬びっくりする。
だが似てるけど、全体を聴けば違うことが解る。そもそも音楽って、こういうにたメロディーっていうのはたくさんあるんだろうなと思う。最近の『天国への階段』の例もあるけれど、世の作曲家は、よっぽどでない限り、もっと鷹揚に構えてもいいのではないかと思ったりする。

さて、Faunは、いわゆるパーン(パン、牧羊神)のことだが、当に牧歌的な雰囲気もあり、素敵な音楽なのだ。
最近はゴシックメタルとかをよく聴くのだが、こういう、ある意味プログレライクな最近の曲は、あまり知らなかったので、YouTubeで発見できて幸せだ!

2002年から活動しているバンドということなので、既に15年もキャリアがあることになる。
追々古いのも聴いてみたい。

faun
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Captain of the Ship / 長渕剛

今日の一曲というカテゴリーを作り、毎日ブログを書いてみようという、相変わらず自分に合わないけどついやってしまう三日坊主的なエントリーの第一弾が標題の長渕剛の曲。

以前『家族』という長渕の曲をやはりブログに書いたと思う。ある意味最初に好きになった曲だったからだ。この際『順子』と『巡恋歌』は置いておくわけだが、長渕剛というのは日本の男っぽくて、なかなか好きになれないというか、何か踏み込めない。まあ以前も似たようなことは間違いなく書いているに違いないが、長渕剛という、ギターを持った後ろ姿は一見浜田省吾とさほど違わないように見えて、その実全く違う日本の漢(これはおとこだ)というイメージがある。

いや、まさにこのCaptain of Shipは、そういう曲でもあるわけだが、何よりかっこいいのだ。
「つっぷした」「ひしゃげた」「えげつなさ」「ひっかけられた」「純情が激烈な情熱に変わる」・・・何だろう、すごく日本語だし、使わないわけでもない言葉の羅列が、こう積み重ねられたとき、押しつぶされた人生と社会に反骨をぶちまけるような、強烈な何かを投げつけてくる。
元々音楽は、「リズム」「メロディー」「ハーモニー」の三要素があると音楽の授業で習う。・・・こういうので音楽が嫌いになったりするわけでもあるが、それはそれとして、この要素の中に「歌詞」は入っていない。

  歌というのは音楽の一つのジャンルで、クラシックの作品名辞典などを見ても決して「歌詞」付きの作品は少なくない。現代のポップミュージックは。ジャズなどを除けば8割以上は歌詞付きではないだろうか。
現代人にとっては、「歌詞」は音楽の大事な要素の一つなのだと思う。どこか、空間3次元+時間1次元の4次元時空をイメージした。
さて、その上で僕は、どこか3次元に住んでいて、「歌詞」は二の次なのだ。詩から入る音楽はほとんど無く、曲から入って、しかもしばらくして何度も聞いたとき、初めて詩の良さに気づく、というのがほとんど・・・というか全てだ。いや、極論すれば歌詞なんてどうでもいい。でなければ、こんなに洋楽やクラシックばかり聴いていない。

ほとんど何を歌っているか解らない曲の方が、意味が分かる曲よりも、少なくとも僕のPC内には圧倒的に多い。
その上で日本語の歌というのは、嫌でも歌詞を聴く(結構聞いてない場合も多いが)。そういう意味では、長渕剛の歌詞というのは、少なくとも僕が聴く数曲においては、メッセージ性が強い。高校時代だったら、結構ハマっていたかな~なんて気もするが、今聴くと、その単語のチョイスに「面白い!」と単純に思うのだ。

だが何より、かっこいいリフが僕の耳を惹きつける。そして、前述した歌詞が、何だこれ?というか、「当に長渕(といっても少ない知識の内だが)」という勢いで畳みかけてくる。だがこれは序章にしか過ぎず、後半は「よ~そろ」と繰り返す長渕自身のボーカルリフをバックに、暑い熱い歌詞が、怒濤のように続くのだ。13分が決して長くない!

じめじめと暗く腐った憂鬱な人生を 俺は憎んでばかりいた
叩かれても突っ伏したまんま ただ頭をひしゃげて生きてきた
えげつなさを引っかけられ 横なぐりの雨が頬を突き刺したとき

我慢ならねえ たったひとつの俺の純情が激烈な情熱に変わる

正義ヅラしたどこかの舌足らずな他人の戯言(たわごと)など
叩きつぶしてやれ
眉をひそめられ”でしゃばり”と罵られても
『いい人ネ』と言われるよりよっぽどましだ
ガタガタ理屈などあとからついて来やがれ!
街は”自由”という名の留置場さ
「あんな大人になんかなりたかねえ」と
誰もがあのころ噛みしめていたくせに!!

Captain of the ship Oh! 明日からお前が舵を取れ!
Captain of the ship Oh! 生きる意味を探しに行こう
ヨーソロー 進路は東へ ヨーソロー 夕陽が西に沈む前に
ヨーソロー 確かな人生(みち)を ヨーソロー 俺たちの船を出す

こんな理不尽な世の中じゃ 真実はいつもねじ曲げられてきた
だけど正直者がバカをみてきた時代は もうすでに遠い昔の戯言さ
だから差別も拾え! 苦しみも悲しみも拾え!
ついでに神も仏も拾ってしまえ!
根こそぎ拾ったらあの巨大な大海原へ
すべてをお前の両手で破り捨てろ!!

ああ この潔さよ 明日からお前がCaptain of the ship
いいか! 羅針盤から目を離すな お前がしっかり舵を取れ!!
白い帆を高く上げ 立ちはだかる波のうねりに突き進んで行け!
たとえ雷雨に打ち砕かれても
意味ある人生(みち)を求めて明日 船を出せ!

Captain of the ship Oh! こんな萎(な)えた時代だから
Captain of the ship Oh! 噛みつく力が欲しい
ヨーソロー 進路は東へ ヨーソロー 夕陽が西に沈む前に
ヨーソロー 意味ある人生を ヨーソロー ただ生きて帰って来ればいい

いつだってひとつの時代は
たった一夜にしてすべてがひっくり返るものだ
たとえ不安という高波にさらわれても 俺たちは生きる為に生まれてきた
上でもなく下でもなく右でもなく左でもなく
ただただひたすら前へ突き進め
馬鹿馬鹿しい幻に惑わされる事なく ただただ前へ突き進めばいい

あらゆる挫折を片っぱしから蹴散らし
高鳴る鼓動で血液が噴き出してきた
俺たちの魂が希望の扉を叩くとき
太陽よ! お前は俺たちに明日を約束しろ!
そうさ 明日からお前がCaptain of the Ship お前には立ち向かう若さがある
遙かなる水平線の向こう 俺達は今 寒風吹きすさぶ嵐の真っただなか

Captain of the ship Oh! 孤独などガリガリ喰い散らかしてやれ
Captain of the ship Oh! 吠える海の力を生命(いのち)に変えろ
ヨーソロー 進路は東へ ヨーソロー 夕陽が西に沈む前に
ヨーソロー 確かな人生を ヨーソロー 俺たちの船を出す
ヨーソロー 進路は東へ ヨーソロー お前が舵を取れ!
ヨーソロー こんな萎えた時代に ヨーソロー 噛みつく力が欲しい

もっと心で話をしてくれ! もっと本当の事を聞かせてくれ!
怖がらず ためらわず 腐らず ひるまず 自分を信じて自分を愛して
決して逃げるな 逃げるな お前がやれ お前がやれ お前が舵を取れ
死んでいるのか 生きているのか
そんな腐った瞳で人間を見るのはやめろ

生きてくれ! 生きてくれ! 生きてくれ!
おまえの命は生きる為に流れている
人間だ! 人間だ! たかだか俺もお前も人間だ
決して奢(おご)るな 決して高ぶるな 決して自惚(うぬぼ)れるな
一歩ずつ一歩ずつ確かな道を
お前がどうするかだ! お前がどう動くかだ!
お前がどうするかだ! お前がどう動くかだ!!

決めるのは誰だ? やるのは誰だ? 行くのは誰だ?
そう お前だ! お前が舵を取れ
お前が行け! お前が走れ! お前が行くから道になる
前へ 前へ 前へ 前へ ただただひたすら前へ突き進めばいい
わかるか! わかるか! お前が決めろ お前がしっかり舵を取れ

人間をなめるな! 自分をなめるな!
もっと深くもっと深く もっと深く愛してやれ
信じてくれと言葉を放つ前に 信じきれる自分を愛してやれ
感じてくれ! 感じてくれ! 幸せはなるものじゃなく 感じるものだ
早く行け! 早く行け! 立ちはだかる波のうねりに突き進んで行け

今すぐ 今すぐ 今すぐ 今すぐ 白い帆を高く上げ
お前はお前の弱さを叩きつぶせ
先ずは自分に打ち勝て 打ち勝て! 打ち勝て!
行け 行け 行け 行け お前の命は生きる為に流れている
行け 行け 行け 行け お前の命は生きる為に流れている

生きて 生きて 生きて 生きて ただただ生きて帰ってくればいい
生きて 生きて 生きて 生きて 生きて 生きて 生きて 生きまくれ!
生きて 生きて 生きて 生きて お前の命は生きる為に流れている
生きて 生きて 生きて 生きて お前の命は生きる為に流れている

お前が決めろ お前が決めろ お前が決めろ お前が舵を取れ!
お前が決めろ お前が決めろ お前が決めろ お前が舵を取れ!
お前が決めろ お前が決めろ
そうさ 明日からお前がCaptain of the ship
お前が決めろ お前が決めろ
そうさ 明日からお前がCaptain of the ship

ヨーソロー ヨーソロー ヨーソロー ヨーソロー
ヨーソロー ヨーソロー ヨーソロー ヨーソロー

この曲は「Tsuyoshi Nagabuchi All Time Best 2014 傷つき打ちのめされても、長渕剛。」というCDで知ったのだが、ベスト盤に入るくらいなので、長渕自身もよくできた曲だと思っているわけだろう。
音楽はあくまで好みなので、人に勧めるということはしない。だからこれも薦めないが、個人的には長く聴き続けたい名曲である。

しかし歌詞を見るとビジュアル的にすごいな。
あ、ちなみにこの記事のカテゴリー、歌謡曲に入っているが、日本の歌のほとんどは僕はJ-pop=歌謡曲というくらいの認識なので。演歌のMP3タグもJ-popだし。
Tsuyoshi Nagabuchi All Time Best 2014 傷つき打ちのめされても、長渕剛。 (通常盤)

Civil War と Powerwolf

シビル・ウォーといっても内戦とかの物騒な話ではない。音楽の話だ。といってもGuns’n’Rosesの曲の話でもない。
この二つのバンドは、どちらもナパーム・レコーズというオーストリアのレーベルに所属するバンドで、Powerwolfの方がキャリアは長い。

たまたまYouTubeでCivil Warの「Bay of Pigs」という曲を知って、聴き始めた。年取ったマイケルジャクソンみたいな巨大なおじさんがヴォーカルを務めるこのバンドは、Wikipediaでもドイツ版にしか掲載がない。2012年にデビューしているようなので、キャリアは既に3年はあるはずで、アルバムも2枚出している。
この二つのバンドは、ジャンル的にはパワー・メタルと呼ばれるバンドで、Judas PriestやIron Maidenなどがその嚆矢と言えるらしい。どちらのバンドも、これまでさほど、特にMadenは、未だに良さが解らないので聴かない。そもそもヘヴィメタルというジャンルが出てきた頃、ハードロックとは微妙に違う印象があり、あまり聴こうとはしなかった。昔はディープ・パープルをうるさいと思っていたくらいなので、メタルがもっとうるさいと思っても不思議ではないのだが、今となっては不思議な気がする。

さて、まずCivil Warの「Bay of Pigs」だが、ツインギターにヴォーカル、キーボード、ベース、ドラムの6人構成のバンドで、見た目はあまり若い感じがしない。だが、なんかすごくいい。久々にYouTubeを毎日再生している。
タイトルの「Bay of Pigs」は豚の入り江とかではなく「ピッグス湾事件」という歴史的事実を歌っている。

ピッグス湾事件(ピッグスわんじけん、スペイン語: Invasión de Bahía de Cochinos、英語: Bay of Pigs Invasion)は、1961年に在米亡命キューバ人部隊「反革命傭兵軍」がアメリカ合衆国の支援の下で、フィデル・カストロ革命政権の打倒とアメリカ傀儡政権の再興を試みた事件。 by wiki

ということのようで、そのままこの事件について歌っている感じだ。
歌詞の内容はともかくとして、メロディアスだし、ギターソロに至っては、あたかもロシア民謡のようなメロディを奏でる。バンド自体は、メタルが大好きなスウェーデンのバンドで、ハイトーンを持ったヴォーカルはNils Patrik Johanssonと、まさに北欧の名前だ。
このバンド、他の曲を見てみると、ナポレオンの歌やローマ帝国の歌や、スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスを歌った歌などがある。ウィリアム・ウォレスは、まさに「Braveheart」という名でメル・ギブソンがアカデミー作品賞を取った作品と同じタイトルだ。タイトルをBraveheartにしたのは、この映画へのオマージュ的な何かがあったのだろう。

 

アルバムも2枚出している。

もっと有名になってもいいのにな~。せめて英語版のWikiには載って欲しいと思うのだが・・・

 そしてPowerwolfだが、こちらは2003年から活躍しているようだ。「Bay of Pigs」の次にYouTubeで流れるのが、このPowerwolfの「Army Of The Night」という曲だから、自ずと聴くことになったわけだ。昔の曲は知らないが、やたらとアーメン、ハレルヤ、マター・マリアを使いたがる印象だ。必ずしも敬虔なキリスト教の歌ではないのは、ヴォーカリストのデーモン閣下的な化粧で解る。
 この曲も悪くはないのだが、実はここでCivil Warと並べて書く気になったのは、別の曲「Armata Strigoi」を聴いたためだ。これは全体のリズムや曲のメロディもさることながら、
2種類のギターのリフと、やはりロシア民謡的なギターソロに尽きる。そしてこの「Armata Strigoi」という意味の分からないタイトル。

In Romanian mythology, strigoi (English: striga, poltergeist)[1] are the troubled souls of the dead rising from the grave. Some strigoi can be living people with certain magical properties. Some of the properties of the strigoi include: the ability to transform into an animal, invisibility, and the propensity to drain the vitality of victims via blood loss. Strigoi are also known as immortal vampires. – wiki

要するに、ルーマニアの神話に出てくるゾンビみたいなものらしい。血を吸うらしいし。
Armataの方はイタリア語というか、それも古い言葉で軍隊を指すらしい。つまり、平たくいえばゾンビの軍団?
まあ、そんな感じの内容なのだが、歌詞はともかく、この曲もいい。ヴォーカルも伸びやかで歌もうまい。
いみじくもなぜかこのPowerwolfの2曲は「Stand up…」で歌詞が始まる。どうしても立ち上がらせたいらしい。

まあ、確かにCivil WarもPowerwolfもうるさい。でも、こういうメロディー好きなんだなぁ。
日本にはこういうバンドいないなぁ。でも、昔の歌謡曲って、こんな感じだったな、と思う。

関係ないが、AmazonのPrime Musicで、一部聞き放題になった音楽の中にジェニファーという歌手がいるのだが、どうやらアメリカ人らしいが、日本の歌謡曲をカバーしていて、中でも「みずいろの雨」は良かった。八神純子とは別の透明感のある声で、聴いていて気持ちがいい。Prime Music自体はPrime Videoと一緒で、少しだけいい物もあるが残りは返品在庫の寄せ集め的な内容なのだが、年間4000円弱で、これらのおまけは美味しい。まだまだいろんな知らない言い音楽はたくさんありそう。

東京室内歌劇場『モーツァルトの旅』

 標題の作品を昨日、あ、日が変わって正確には一昨日だが、南大塚ホール(東京大塚)で観てきた。
 素晴らしい作品に出会えたので、久々にブログを更新。

 内容は、モーツァルトの一生をストーリーの軸にモーツァルトのオペラアリアを聴かせるものだが、単純にこう書いてしまっては申し訳ない。なぜなら、物語と音楽が、元々のオペラそのものでもないのに、極めて融合し、意味のある選曲になっていて、ある意味これが一つのオペラとしても成立しているからである。
 脚本・構成・訳詞・ステージングをモーツァルト役の中川美和が一人でこなしている。この一作を見る限りにおいて希有な才能というべきである。

 物語はモーツァルトの子供時代の説明から始まるが、既にこの時に伏線が用意されている。それは幼いモーツァルトが自ら弾くパパゲーノのアリアの単旋律だ。
 この作品には多くの伏線や場面と歌詞の絡み合い(オリジナルの歌詞を付けているわけではなく、元々のアリアの訳詞だ)など、非常に練られていて、正直一回の観劇ではそのすべてを解って観ることは難しいかも知れない。

 そのほとんどをモーツァルトの音楽で構成しているため、当然のことながら使われる音楽の時代設定は前後する。中には敢えて「ケッヘル」という単語を使って笑いを取る場面もある。モーツァルト以外の音楽は、ギャグとして使っている「運命」と「人知れぬ涙」(この2曲はシカネーダーに作曲者を言わせることで笑いをしっかり取っている)そして、メンデルスゾーンの結婚行進曲だ。この辺りのモーツァルトにこだわりながらも拘泥しすぎないという姿勢も実は評価したい。

 恐らくこの作品が最も評価されるのは、(個人的にはそこではないのだが、)モーツァルトの一生を描いた物語をモーツァルトの音楽で構成し尽くしているという点だと思う。

 古今、モーツァルトを描いた作品というのはたくさんあるに違いないが、ぼくが知っていて比較対象となるのは、アカデミー賞受賞作でもある映画『アマデウス』と、東宝かな?のミュージカル『モーツァルト!』なのだが、今回の『モーツァルトの旅』はそのどちらとも立ち位置が違っていて、さすがにクラシック音楽家が(恐らく矜持を込めて)作ったであろうこだわりが、モーツァルト作品としてこの作品をほかの2作と比較しても遜色ない高みに上げている。

 音楽の使い方としては『アマデウス』に近いが、極論すれば『アマデウス』の音楽は、どこまで行ってもBGMである。この時代にこの音楽が作られたその表現プラス、シーンを装飾するために音楽が使われる。『モーツァルト!』に関しては、そもそもオリジナル音楽を使った作品なので、モーツァルトの音楽はほとんどおまけである。ただこれはこれで良い。モーツァルトを描くからといってモーツァルトの音楽を使わねばならぬという決まりは無いからである。
 ただ今回の『モーツァルトの旅』に関していえば、東京室内歌劇場という団体が上演するに相応しい、実力派歌手がアリア等を存分に聴かせた上での劇になっているという点が、大きく他作品と音楽の扱いを画す点である。モーツァルトの音楽がまさに作品と融合し、その物語の一部になっているのである。

 今回の作品を観て思ったのは、俳優と歌手が分離していてはこういった作品の実現は難しいし、かといってオペラ歌手にここまでの台詞のやり取りをさせる困難というのは、恐らくオペレッタの比ではなかったであろうということだ。
 しかし、であればこそだが、『アマデウス』や『モーツァルト!』では実現できない、モーツァルトの人生をドラマとして体験しながら、なおかつモーツァルトの音楽を堪能できるという新しい地平を切り開く作品なのだということだ。
 尤も、なぜこれまでこういった類いの作品はなかったのだろうか?という疑問がすぐ浮かぶが、考えてみると実はハードルの高い類の作品なのだ。

 まず、前述したようにモーツァルトの音楽を演奏しなくはいけないので、優れた素養を持った音楽家が演じなくてはならない。歌唱の出来は作品の完成度を大きく左右する。次に、同じ歌手が俳優としての技量を兼ね備えていなくてはいけない。でなければ芝居がへたってしまう。だがこの二つだけならば決してクリアすることはそこまで難しくないであろう。

 問題は、脚本とそれを含めた上での構成を誰がやるのかと言うことだ。恐らくこういった作品が企画に上がる時点で、今回のような形ではなく概ねは「新作」が企図されるであろう。なぜなら、優れた作品を描く脚本家は、モーツァルトの音楽と自らの脚本を融合させるなどということに、それほど長けていないだろうし、今回のように実は音楽を抜いたとしても一つの芝居として完成されている作品にとっては、音楽の役割はやはり『アマデウス』的なBGMになってしまう可能性が高いからである。
 敢えて『アマデウス』的と書いたのは、『アマデウス』でも音楽は単なるBGMではないからであるが、いずれにせよ、芝居と音楽が対等に伍する作品にはなりにくい。
 つまり、優れた脚本とそこに音楽を融合させる試みができる作家がいなくては、まず作品が成立しないし、既存の音楽を使ってそれをやろうとするなら、オリジナルを作った方が楽だし(話には合わせやすくなる)、話題性もあるのじゃないだろうか?などといった思惑が働き、同時に、作っても誰が上演するの?という危惧が最初からあるために、これまでこういった物を作ろうとした人はいなかったのだと思われる。
 似た作品はきっとある。だがここまでこだわった作品は、残念ながらぼくの知識にの中にはない。
 と同時に、この作品のような形態はそれが持つ可能性と危うさがそこにはある。

 これだけ面白いのだから、どんどん新たな作品も観たいと思うが、一つには、クラシックの中でも「歌」という他の楽器とは一線を画するツールではなく、すなわち、いわゆる器楽を使ってこれが成立するだろうか?と考えた時、恐らくは難しいだろうと思えるのだ。
 歌と器楽が持つ最大の違い、それは歌詞という意味を持ったコミュニケーションツールがそこに存在するかどうかという点だ。今回も場面展開などのために『後宮からの誘拐』や『魔笛』の序曲などがピアノ演奏で使われていたが、では歌のほとんどを器楽演奏に変えて、ここでは「アイネクライネ」、ここでは40番の交響曲と言った感じで音楽を挟んでも、それは劇の合間にモーツァルトの音楽を聴いただけに過ぎなくなってくる。つまりはこの感覚が『アマデウス』の音楽を、どうしてもBGM的に思わせてしまう(そうでないのは百も承知だが)最大の理由なのだ。
 器楽で何かを表現するというのは、極論すれば、「雰囲気作りはできるが、芝居の一部にはならない」と言うことで、ここまで書いた「融合」という言葉が一切白々しいものとなってしまう予感がするのである(いや、もちろんそれはそれで、そういった形態の作品があっても楽しめる可能性はあるわけで、それを否定するものではないので念のため。)

 歌の持つ力はそれとは次元が少し違うところに存在する気がするのだ(器楽を低く見ているわけではなく、声楽はちょっと立ち位置が違うと言うことだ)。そしてそれが今回の作品を、芝居+音楽というだけの作品ではないものに仕上げている本質的な点ある。雰囲気を演出する音楽ではなく、意味を持った音楽、言ってみればミュージカルそのものなのだが、それを既存の作曲家が作った歌を利用して行うと言うこと自体が、ある意味離れ業なのだと思う。

 そして、では同じ形態の別の作品を観たいと考えた時に、ではそういったものは可能なのか?と疑問に思う。
 取りあえず他の作曲家で、と思うと、ヴェルディ、プッチーニ、ロッシーニ、ドニゼッティ、ワーグナー、R.シュトラウス……
 オペラ作曲家の名前を挙げても、物語になりそうなのはワーグナーくらい?
 ワーグナー歌手を5人も10人も並べる大変さもさることながら、そもそもむちゃくちゃ重い作品で、面白くなるのだろうか?という疑問がわく。ではベートーヴェンは?ショパンは?マーラーは?と考えていくとモーツァルトほど扱いやすくないことがよく解る。そもそもこの3人で思い浮かぶオペラは『フィデリオ』しかない!
 まあ、作曲家の一生シリーズである必要は必ずしも無いので、他人事として新作には期待なのだが……

 さて、そういった評価はあるとしても、ぼくが今回絶賛してやまないのは、前述の意味も若干込めた上での脚本そのものである。ストーリーはある意味単純だ。というより、概ねは史実に基づいているので、大きく変えるのは難しい。だがその上で、面白く見えるためには音楽の成立時期などにはこだわらず、大胆に前後させ、何より物語の進行と構成がうまく結実した脚本になっている。文章力としての脚本力もあるとは思うが、むしろその構成力に感服する。
 オーソドックスではあるが、よく考えられていて、1幕と2幕のコントラスト、様々な伏線、キャラクターのかき分けと、よくぞまあ、こんな作品をものしたなと思う。
 その構成がよくできているからこそ、相俟ってモーツァルトの作品が際立っているのだ。

 一つ例を挙げれば、モーツァルトが妻と弟子に裏切られたことへの憎しみを吐露する場面で、もちろんモーツァルト/中川の慟哭のような叫びだけでもいいのだが、すっと脇から出てきたソプラノ歌手が歌う「オレステスとアイアスの」で始まるオペラ『イドメネオ』のアリア。極めて効果的にモーツァルトの心情を描き出している。モーツァルトの音楽もそうだし、ソプラノ田中紗綾子の歌唱も、余すところなく表現していた。

 我々は名前のある人たちが作り上げたものを信じる。定評のあるものを尊ぶ。だが、その第一歩は常に無名、無冠の状態から始まる。東京室内歌劇場も、他の歌手たちも、あるいは既にそれないりのネームバリューはあるに違いない。ただ恐らくは、歌手としてではない脚本家としての中川美和に関しては、間違いなく無名であろう。だが、こういう所にも才能はあるのだと言うことを実感させてくれる作品であった。

 ミュージカルと違いロングランを課すのはクラシック歌手には酷である。だが、間をおいて再演、再再演と続け、一人でも多くの人にこの作品を観てもらいたい。それだけの価値がある作品だとも思う。
 本来は感想として、内容や曲について触れるつもりで書き始めたのだが、なぜか作品論のようになってしまった。

 あ、YouTubeにでも上げて見せてくれるとうれしいのだが……なぜかみんなあまりやらないよな。

mozart

ジョン・ロード

 ジョン・ロードが亡くなった。
 まだ71才だという、若いなぁ。
 
 言わずもがな、ジョンはディープ・パープルのオリジナルメンバーでイアン・ペイスと共にほぼ全てのDP作人に参加していると思う。
 DPのメロディーメーカーはその多くがリッチー・ブラックモアに負っているところが多いと思うが、初期の3枚のアルバムでは、作曲もかなり担当していただろうし、何より、グループとオーケストラのためのコンチェルトは、彼の最大の作品だと思う。

 以前にも書いたが、このロックバンドとオーケストラのための作品は、かなりいけていると思う。他のロックバンドとオーケストラの共演とはひと味違う。
 展覧会の絵をELPが演奏したり、オケとバンドが分担して演奏するのとはわけが違い、最初から協奏曲として企図された作品だからだ。これは純粋に協奏曲だし、面白い。
 歴史的なクラシカルな作品と比べて作曲技法などのテクニカルな部分については、それなりの見方があるだろうが、個人的には非常によくできた作品だと思っている。
 惜しむらくはこの曲が、ディープ・パープルの曲として存在するため、クラシックのように、様々なオケや指揮者演奏家によって取り上げられることがないことだ。
 実際の所、オケとロックバンドといのは音量的な問題や、演奏スタイルの問題はあると思うが、実に惜しい。

 DPは2度この曲のライブ盤を発売していて、1回は作品を発表した69年のロイヤル・フィル(指揮:マルコム・アーノルド)で、少々粗い演奏だが、熱気があっていい。
 2度目は1999年、ギタリストがスティーヴ・モーズに変わったので、だいぶ印象も違うが、曲としてのまとまりや、オケの質は上がったように(ロイヤルフィルがだめなわけじゃないが)思えるが、69年の熱気はない。

 いずれにしても、他のオケとバンドの組み合わせでも聴いてみたいと思うのだ。
 現代音楽としては、かなりこてこてだが、バルトーク辺りの香も少しするし。

 追悼に・・・・ホワイトスネイクの「Walking in the Shadow of the Blues」を。
 あ、これもジョンのオルガンなかなかよいですよ。

尾崎紀世彦

 先日、尾崎紀世彦が亡くなった。69才だという。まだ若いなぁ。
 尾崎紀世彦は小学校のころから聴いていて、今でも聴いている。声量があって、歌も上手だ。

 尾崎紀世彦と言えば、「また逢う日まで」が定番だが、個人的には「あなたに賭ける」しかない。
 ちょうど中学のとき、修学旅行先だったと記憶しているが、「あなたに賭ける」がチャートの1位になったのをラジオで聴いて、喜んだ記憶がある。大好きな曲だ。
 阿久悠 + 筒美京平・・・ほとんど外れがなさそうな黄金コンビだ。
 彼自身が好んでいたかどうかは知らないが、尾崎は「あなたに賭ける」!なのだ。

いずれにしても、ご冥福をお祈りします。

フィッシャー=ディースカウ

 バリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが亡くなった。86才だそうだ。
 20世紀の後半ドイツ・リートと言えばまず、ディースカウが他を圧倒している。
 
 クラシック歌手の恐らく多くは、歌曲よりもまずオペラを歌う。もちろんどちらか片方だけという人も少ないだろうが、仕事もそちらの方が多いのではないだろうか?
 オペラと歌曲というのは、その存在の仕方も、オペラの方が華やかだし、歌曲は地味である。一つには、その演奏形式が、多くピアノ伴奏によると言うことも一因だろうし、オケを使うと言うことばかりでは無く、演奏のために必要な人数もその原因としてはあるだろう。

 オペラというとまずどうしても、イタリアオペラが浮かぶ。それはヴェルディやプッチーニ、ロッシーニなど、小学校の音楽室に並ぶオペラ作曲家の多くがイタリア人だし、モーツァルトの昔(そしてそれ以前)からオペラはイタリア語だったのだからやむを得ない。
 もちろん、ドイツ語やフランス語、ロシア語、英語、日本語、各国語のオペラや作曲家もいるがどうしてもオペラ=イタリアというイメージはつきまとう。
 同様に、歌曲と言えば「リート」という表現がふと浮かぶように、ドイツなのだ。
 シューベルト、シューマンはまさに、オペラのヴェルディとプッチーニのように歌曲の大家だ。二人とも歌曲以外に、交響曲や室内楽、オペラも書いているが、歌曲の数が半端ではない。このリートの流れは、マーラーやR。シュトラウスなどにも流れていくわけだが、何より、フーゴー・ヴォルフが受け継いでいる。

 このドイツ・リートを、レコードやCDを通じて、誰でも簡単に聴けるようにしてくれた最大の功労者がディースカウだ。
 シューベルトやシューマンのの歌曲全集、ヴォルフの膨大な歌曲集など、ドイツ・リートを網羅していると言ってもいいくらい録音されている。

 個人的には、フルトヴェングラーの指揮で歌ったマーラーの「さすらう若人の唄」や、ソプラノのシュワルツコップと一緒に録音したケンペ指揮の同じくマーラー「子供の不思議な角笛」の歌曲、バレンボイムのピアノで歌ったヴォルフのゲーテ歌曲集などが、非常に印象深く、好きな演奏だ。後はシューマンの「詩人の恋」などをよく聞く。

 高齢なので、仕方ないという気持ちの方が大きいが、不世出のバリトンに合掌。