Civil War と Powerwolf

シビル・ウォーといっても内戦とかの物騒な話ではない。音楽の話だ。といってもGuns’n’Rosesの曲の話でもない。
この二つのバンドは、どちらもナパーム・レコーズというオーストリアのレーベルに所属するバンドで、Powerwolfの方がキャリアは長い。

たまたまYouTubeでCivil Warの「Bay of Pigs」という曲を知って、聴き始めた。年取ったマイケルジャクソンみたいな巨大なおじさんがヴォーカルを務めるこのバンドは、Wikipediaでもドイツ版にしか掲載がない。2012年にデビューしているようなので、キャリアは既に3年はあるはずで、アルバムも2枚出している。
この二つのバンドは、ジャンル的にはパワー・メタルと呼ばれるバンドで、Judas PriestやIron Maidenなどがその嚆矢と言えるらしい。どちらのバンドも、これまでさほど、特にMadenは、未だに良さが解らないので聴かない。そもそもヘヴィメタルというジャンルが出てきた頃、ハードロックとは微妙に違う印象があり、あまり聴こうとはしなかった。昔はディープ・パープルをうるさいと思っていたくらいなので、メタルがもっとうるさいと思っても不思議ではないのだが、今となっては不思議な気がする。

さて、まずCivil Warの「Bay of Pigs」だが、ツインギターにヴォーカル、キーボード、ベース、ドラムの6人構成のバンドで、見た目はあまり若い感じがしない。だが、なんかすごくいい。久々にYouTubeを毎日再生している。
タイトルの「Bay of Pigs」は豚の入り江とかではなく「ピッグス湾事件」という歴史的事実を歌っている。

ピッグス湾事件(ピッグスわんじけん、スペイン語: Invasión de Bahía de Cochinos、英語: Bay of Pigs Invasion)は、1961年に在米亡命キューバ人部隊「反革命傭兵軍」がアメリカ合衆国の支援の下で、フィデル・カストロ革命政権の打倒とアメリカ傀儡政権の再興を試みた事件。 by wiki

ということのようで、そのままこの事件について歌っている感じだ。
歌詞の内容はともかくとして、メロディアスだし、ギターソロに至っては、あたかもロシア民謡のようなメロディを奏でる。バンド自体は、メタルが大好きなスウェーデンのバンドで、ハイトーンを持ったヴォーカルはNils Patrik Johanssonと、まさに北欧の名前だ。
このバンド、他の曲を見てみると、ナポレオンの歌やローマ帝国の歌や、スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスを歌った歌などがある。ウィリアム・ウォレスは、まさに「Braveheart」という名でメル・ギブソンがアカデミー作品賞を取った作品と同じタイトルだ。タイトルをBraveheartにしたのは、この映画へのオマージュ的な何かがあったのだろう。

 

アルバムも2枚出している。

もっと有名になってもいいのにな~。せめて英語版のWikiには載って欲しいと思うのだが・・・

 そしてPowerwolfだが、こちらは2003年から活躍しているようだ。「Bay of Pigs」の次にYouTubeで流れるのが、このPowerwolfの「Army Of The Night」という曲だから、自ずと聴くことになったわけだ。昔の曲は知らないが、やたらとアーメン、ハレルヤ、マター・マリアを使いたがる印象だ。必ずしも敬虔なキリスト教の歌ではないのは、ヴォーカリストのデーモン閣下的な化粧で解る。
 この曲も悪くはないのだが、実はここでCivil Warと並べて書く気になったのは、別の曲「Armata Strigoi」を聴いたためだ。これは全体のリズムや曲のメロディもさることながら、
2種類のギターのリフと、やはりロシア民謡的なギターソロに尽きる。そしてこの「Armata Strigoi」という意味の分からないタイトル。

In Romanian mythology, strigoi (English: striga, poltergeist)[1] are the troubled souls of the dead rising from the grave. Some strigoi can be living people with certain magical properties. Some of the properties of the strigoi include: the ability to transform into an animal, invisibility, and the propensity to drain the vitality of victims via blood loss. Strigoi are also known as immortal vampires. – wiki

要するに、ルーマニアの神話に出てくるゾンビみたいなものらしい。血を吸うらしいし。
Armataの方はイタリア語というか、それも古い言葉で軍隊を指すらしい。つまり、平たくいえばゾンビの軍団?
まあ、そんな感じの内容なのだが、歌詞はともかく、この曲もいい。ヴォーカルも伸びやかで歌もうまい。
いみじくもなぜかこのPowerwolfの2曲は「Stand up…」で歌詞が始まる。どうしても立ち上がらせたいらしい。

まあ、確かにCivil WarもPowerwolfもうるさい。でも、こういうメロディー好きなんだなぁ。
日本にはこういうバンドいないなぁ。でも、昔の歌謡曲って、こんな感じだったな、と思う。

関係ないが、AmazonのPrime Musicで、一部聞き放題になった音楽の中にジェニファーという歌手がいるのだが、どうやらアメリカ人らしいが、日本の歌謡曲をカバーしていて、中でも「みずいろの雨」は良かった。八神純子とは別の透明感のある声で、聴いていて気持ちがいい。Prime Music自体はPrime Videoと一緒で、少しだけいい物もあるが残りは返品在庫の寄せ集め的な内容なのだが、年間4000円弱で、これらのおまけは美味しい。まだまだいろんな知らない言い音楽はたくさんありそう。

東京室内歌劇場『モーツァルトの旅』

標題の作品を昨日、あ、日が変わって正確には一昨日だが、南大塚ホール(東京大塚)で観てきた。
素晴らしい作品に出会えたので、久々にブログを更新。
内容は、モーツァルトの一生をストーリーの軸にモーツァルトのオペラアリアを聴かせるものだが、単純にこう書いてしまっては申し訳ない。なぜなら、物語と音楽が元々のオペラでもないのに極めて融合し、意味のある選曲になっていて、ある意味これが一つのオペラとしても成立しているからである。
脚本・構成・訳詞・ステージングをモーツァルト役の中川美和が一人でこなしている。この一作を見る限りにおいて希有な才能というべきである。

物語はモーツァルトの子供時代の説明から始まるが、既にこの時に伏線が用意されている。それは幼いモーツァルトが自ら弾くパパゲーノのアリアの単旋律だ。
この作品には多くの伏線や場面と歌詞の絡み合い(オリジナルの歌詞を付けているわけではなく、元々のアリアの訳詞だ)など、非常に練られていて、正直一回の観劇ではそのすべてを解って観ることは難しいかも知れない。
そのほとんどをモーツァルトの音楽で構成しているため、当然のことながら使われる音楽の時代設定は前後する。中には敢えて「ケッヘル」という単語を使って笑いを取る場面もある。モーツァルト以外の音楽は、敢えてギャグとして使っている「運命」と「人知れぬ涙」(この2曲はシカネーダーに作曲者を言わせることで笑いをしっかり取っている)そして、メンデルスゾーンの結婚行進曲だ。この辺りのモーツァルトにこだわりながらも拘泥しすぎないという姿勢も実は評価したい。

恐らくこの作品が最も評価されるのは、(個人的にはそこではないのだが、)モーツァルトの一生を描いた物語をモーツァルトの音楽で構成し尽くしているという点だと思う。
古今、モーツァルトを描いた作品というのはたくさんあるに違いないが、ぼくが知っていて比較対象となるのは、アカデミー賞受賞作でもある映画『アマデウス』と、東宝かな?のミュージカル『モーツァルト!』なのだが、今回の『モーツァルトの旅』はそのどちらとも立ち位置が違っていて、さすがにクラシック音楽家が(恐らく矜持を込めて)作ったであろうこだわりが、モーツァルト作品としてこの作品をほかの2作と比較しても遜色ない高みに上げている。
音楽の使い方としては『アマデウス』に近いが、極論すれば『アマデウス』の音楽は、どこまで行ってもBGMである。この時代にこの音楽が作られたその表現プラス、シーンを装飾するために音楽が使われる。『モーツァルト!』に関しては、そもそもオリジナル音楽を使った作品なので、モーツァルトの音楽はほとんどおまけである。ただこれはこれで良い。モーツァルトを描くからといってモーツァルトの音楽を使わねばならぬという決まりは無いからである。
ただ今回の『モーツァルトの旅』に関していえば、東京室内歌劇場という団体が上演するに相応しい、実力派歌手がアリア等を存分に聴かせた上での劇になっている。モーツァルトの音楽がまさに作品と融合し、その物語の一部になっているのである。今回の作品を観て思ったのは、俳優と歌手が分離していてはこういった作品の実現は難しいし、かといってオペラ歌手にここまでの台詞のやり取りをさせるのは、恐らくオペレッタの比ではなかったであろうということだ。
しかし、であればこそだが、『アマデウス』や『モーツァルト!』では実現できない、モーツァルトの人生をドラマとして体験しながら、なおかつモーツァルトの音楽を堪能できるという新しい地平を切り開いている作品なのだということだ。尤も、なぜこれまでこういった類いの作品はなかったのだろうか?という疑問がすぐ浮かぶが、考えてみるとハードルの高い作品なのだ。
まず、前述したようにモーツァルトの音楽を演奏しなくはいけないので、優れた素養を持った音楽家が演じなくてはならない。歌唱の出来は作品の完成度を大きく左右する。次に、同じ歌手が俳優としての技量を兼ね備えていなくてはいけない。でなければ芝居がへたってしまう。だがこの二つだけならば決してクリアすることはそこまで難しくないであろう。
問題は、脚本とそれを含めた上での構成を誰がやるのかと言うことだ。恐らくこういった作品が企画に上がる時点で、今回のような形ではなく概ねは「新作」が企図されるであろう。なぜなら、優れた作品を描く脚本家はモーツァルトの音楽と自らの脚本を融合させるなどということに、それほど長けていないだろうし、今回のように実は音楽を抜いたとしても一つの芝居として完成されている作品にとっては、音楽の役割はやはり『アマデウス』的なBGMになる可能性が高いからである。敢えて『アマデウス』的と書いたのは単なるBGMではないからであるが、いずれにせよ、芝居と音楽が対等に伍する作品にはならない。
つまり、優れた脚本とそこに音楽を融合させる試みができる作家がいなくては、まず作品が成立しないし、既存の音楽を使ってそれをやろうとするなら、オリジナルを作った方が楽だし、話題性もあるのじゃないだろうか?などといった思惑が働き、同時に、作っても誰が上演するの?という危惧が最初からあるために、これまでこういった物を作ろうとした人はいなかったのだと思われる。
似た作品はきっとある。だがここまでこだわった作品は、残念ながらぼくの知識にの中にはない。
と同時に、この作品のような形態はそれが持つ可能性と危うさがそこにはある。

これだけ面白いのだから、どんどん新たな作品も観たいと思うが、一つには、クラシックの中でも「歌」というほかの楽器とは一線を画するツールではなく、すなわち、いわゆる器楽を使ってこれが成立するだろうか?と考えた時、恐らくは難しいだろうと思う。歌と器楽が持つ最大の違い、それは歌詞という意味を持ったコミュニケーションツールがそこに存在するかどうかという点だ。今回も場面展開などのために『後宮からの誘拐』や『魔笛』の序曲などがピアノ演奏で使われていたが、では歌のほとんどを器楽演奏に変えて、ここでは「アイネクライネ」、ここでは40番の交響曲と言った感じで音楽を挟んでも、それは劇の合間にモーツァルトの音楽を聴いただけに過ぎなくなってくる。ここまで書いた「融合」という言葉が一切白々しいものとなってしまう予感がするのである(いや、もちろんそれはそれで、そういった形態の作品があっても楽しめる可能性はあるわけで、それはそれでよしとしよう。)だが、だとしても歌の持つ力はそれとは次元が少し違うところに存在する気がする。そしてそれが今回の作品を、芝居+音楽というだけの作品を大きく分けている点である。雰囲気を演出する音楽ではなく、意味を持った音楽、言ってみればミュージカルそのものなのだが、それを既存の作曲家が作った歌を利用して行うと言うこと自体が、ある意味離れ業なのだと思う。

そして、では同じ形態の別の作品を観たいと考えた時に、ではそういったものは可能なのか?と考えた時、取りあえず他の作曲家でと思うと、ヴェルディ、プッチーニ、ロッシーニ、ドニゼッティ、ワーグナー、R.シュトラウス……オペラ作曲家の名前を挙げても、物語になりそうなのはワーグナーくらい。ワーグナー歌手を5人も10人も並べる大変さもさることながら、そもそもむちゃくちゃ重い作品で、面白くなるのだろうか?という疑問がわく。ではベートーヴェンは?ショパンは?マーラーは?と考えていくとモーツァルトほど扱いやすくないことがよく解る。まあ、作曲家の一生シリーズである必要は必ずしも無いので、他人事として新作には期待なのだが……

さて、そういった評価はあるとしても、ぼくが今回絶賛してやまないのは、前述の意味も若干込めた上での脚本そのものである。ストーリーはある意味単純だ。というより、概ねは史実に基づいているので、大きく変えるのは難しい。だがその上で、面白く見えるためには音楽の成立時期などにはこだわらず、大胆に前後させ、何より物語の進行と構成がうまく結実した脚本になっている。文章力としての脚本力もあるとは思うが、むしろその構成力に感服する。オーソドックスではあるが、よく考えられていて、1幕と2幕のコントラスト、様々な伏線、キャラクターのかき分けと、よくぞまあ、こんな作品をものしたなと思う。
その構成がよくできているからこそ、相俟ってモーツァルトの作品が際立っているのだ。

一つ例を挙げれば、モーツァルトが妻と弟子に裏切られたことへの憎しみを吐露する場面で、もちろんモーツァルト/中川の慟哭のような叫びだけでもいいのだが、すっと脇から出てきたソプラノ歌手が歌う「オレステスとアイアスの」で始まるオペラ『イドメネオ』のアリア。極めて効果的にモーツァルトの心情を描き出している。モーツァルトの音楽もそうだし、ソプラノ田中紗綾子の歌唱も、余すところなく表現していた。

我々は名前のある人たちが作り上げたものを信じる。定評のあるものを尊ぶ。だが、その第一歩は常に無名、無冠の状態から始まる。東京室内歌劇場も、他の歌手もあるいは既にそれないりのネームバリューはあるに違いない。ただ恐らくは、歌手としてではない脚本家としての中川美和に関しては、間違いなく無名であろう。だが、こういう所にも才能はあるのだと言うことを実感させてくれる作品であった。
ミュージカルと違いロングランを課すのはクラシック歌手には酷である。だが、間をおいて再演、再再演と続け、一人でも多くの人にこの作品を観てもらいたい。それだけの価値がある作品だとも思う。
本来は感想として、内容や曲について触れるつもりで書き始めたのだが、なぜか作品論のようになってしまった。

あ、YouTubeにでも上げて見せてくれるとうれしいのだが……なぜかみんなあまりやらないよな。

mozart

ジョン・ロード

 ジョン・ロードが亡くなった。
 まだ71才だという、若いなぁ。
 
 言わずもがな、ジョンはディープ・パープルのオリジナルメンバーでイアン・ペイスと共にほぼ全てのDP作人に参加していると思う。
 DPのメロディーメーカーはその多くがリッチー・ブラックモアに負っているところが多いと思うが、初期の3枚のアルバムでは、作曲もかなり担当していただろうし、何より、グループとオーケストラのためのコンチェルトは、彼の最大の作品だと思う。

 以前にも書いたが、このロックバンドとオーケストラのための作品は、かなりいけていると思う。他のロックバンドとオーケストラの共演とはひと味違う。
 展覧会の絵をELPが演奏したり、オケとバンドが分担して演奏するのとはわけが違い、最初から協奏曲として企図された作品だからだ。これは純粋に協奏曲だし、面白い。
 歴史的なクラシカルな作品と比べて作曲技法などのテクニカルな部分については、それなりの見方があるだろうが、個人的には非常によくできた作品だと思っている。
 惜しむらくはこの曲が、ディープ・パープルの曲として存在するため、クラシックのように、様々なオケや指揮者演奏家によって取り上げられることがないことだ。
 実際の所、オケとロックバンドといのは音量的な問題や、演奏スタイルの問題はあると思うが、実に惜しい。

 DPは2度この曲のライブ盤を発売していて、1回は作品を発表した69年のロイヤル・フィル(指揮:マルコム・アーノルド)で、少々粗い演奏だが、熱気があっていい。
 2度目は1999年、ギタリストがスティーヴ・モーズに変わったので、だいぶ印象も違うが、曲としてのまとまりや、オケの質は上がったように(ロイヤルフィルがだめなわけじゃないが)思えるが、69年の熱気はない。

 いずれにしても、他のオケとバンドの組み合わせでも聴いてみたいと思うのだ。
 現代音楽としては、かなりこてこてだが、バルトーク辺りの香も少しするし。

 追悼に・・・・ホワイトスネイクの「Walking in the Shadow of the Blues」を。
 あ、これもジョンのオルガンなかなかよいですよ。

尾崎紀世彦

 先日、尾崎紀世彦が亡くなった。69才だという。まだ若いなぁ。
 尾崎紀世彦は小学校のころから聴いていて、今でも聴いている。声量があって、歌も上手だ。

 尾崎紀世彦と言えば、「また逢う日まで」が定番だが、個人的には「あなたに賭ける」しかない。
 ちょうど中学のとき、修学旅行先だったと記憶しているが、「あなたに賭ける」がチャートの1位になったのをラジオで聴いて、喜んだ記憶がある。大好きな曲だ。
 阿久悠 + 筒美京平・・・ほとんど外れがなさそうな黄金コンビだ。
 彼自身が好んでいたかどうかは知らないが、尾崎は「あなたに賭ける」!なのだ。

いずれにしても、ご冥福をお祈りします。

フィッシャー=ディースカウ

 バリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが亡くなった。86才だそうだ。
 20世紀の後半ドイツ・リートと言えばまず、ディースカウが他を圧倒している。
 
 クラシック歌手の恐らく多くは、歌曲よりもまずオペラを歌う。もちろんどちらか片方だけという人も少ないだろうが、仕事もそちらの方が多いのではないだろうか?
 オペラと歌曲というのは、その存在の仕方も、オペラの方が華やかだし、歌曲は地味である。一つには、その演奏形式が、多くピアノ伴奏によると言うことも一因だろうし、オケを使うと言うことばかりでは無く、演奏のために必要な人数もその原因としてはあるだろう。

 オペラというとまずどうしても、イタリアオペラが浮かぶ。それはヴェルディやプッチーニ、ロッシーニなど、小学校の音楽室に並ぶオペラ作曲家の多くがイタリア人だし、モーツァルトの昔(そしてそれ以前)からオペラはイタリア語だったのだからやむを得ない。
 もちろん、ドイツ語やフランス語、ロシア語、英語、日本語、各国語のオペラや作曲家もいるがどうしてもオペラ=イタリアというイメージはつきまとう。
 同様に、歌曲と言えば「リート」という表現がふと浮かぶように、ドイツなのだ。
 シューベルト、シューマンはまさに、オペラのヴェルディとプッチーニのように歌曲の大家だ。二人とも歌曲以外に、交響曲や室内楽、オペラも書いているが、歌曲の数が半端ではない。このリートの流れは、マーラーやR。シュトラウスなどにも流れていくわけだが、何より、フーゴー・ヴォルフが受け継いでいる。

 このドイツ・リートを、レコードやCDを通じて、誰でも簡単に聴けるようにしてくれた最大の功労者がディースカウだ。
 シューベルトやシューマンのの歌曲全集、ヴォルフの膨大な歌曲集など、ドイツ・リートを網羅していると言ってもいいくらい録音されている。

 個人的には、フルトヴェングラーの指揮で歌ったマーラーの「さすらう若人の唄」や、ソプラノのシュワルツコップと一緒に録音したケンペ指揮の同じくマーラー「子供の不思議な角笛」の歌曲、バレンボイムのピアノで歌ったヴォルフのゲーテ歌曲集などが、非常に印象深く、好きな演奏だ。後はシューマンの「詩人の恋」などをよく聞く。

 高齢なので、仕方ないという気持ちの方が大きいが、不世出のバリトンに合掌。

山河

小椋佳作詞、堀内孝雄作曲の「山河」という曲がある。
この曲を初めて耳にしたのはたぶん、2000年の紅白だったと思う。五木ひろしがそこで歌っているとき、丁度家に帰り、曲の名前もよく解らず、暫く経ってから探したのだ。実は、いい歌だと思っただけで、歌詞すら覚えていなかった。
YouTubeで見つけたときはうれしかった。いい時代だ。
そしてこの曲は、書いたとおりの作詞・作曲なので、当然その二人も歌っている。


五木ひろしバージョン

小椋佳バージョン。この人にこの歌は向いてない気がする。

堀内孝雄バージョン。3人の中では、実は一番これが好きだ。

だが、この3人を圧して、感動的ですばらしい歌を歌っているのが島津亜矢という演歌歌手だ。
島津亜矢は、かつて私がCDをお店で販売しているときには既に歌っていたので、20年選手ではあると思う。今までほとんど聴いたことはなかった。上手いという話は聞いたことがあったが。
その動画が現在YouTubeにない。NHKの番組の一部を上げてあっただけで、歌手の宣伝以上の効果はないと思うのだが、なぜか削除されている。投稿者が単に消したのか、著作権がらみで消されたのか解らないが、寂しい限りだ。
それほどすばらしい歌唱だった。上の3人では泣けなかったが、島津亜矢のは涙が流れた。
ダウンロードしてあるので、上げてもいいし、完全に個人のブログなら上げるだろうが、一応仕事のブログなのでやめておく。
しかし彼女がCDにしているか、探したのだが無かった。残念。
また上がれば、ここでご紹介したいとも思う。

ドイツ・グラモフォン創立111周年記念 コレクターズ・エディション2

表題のようなCDセットを先日購入したのだが、

新旧交えて、56枚のドイツグラモフォン・レーベル傘下のCDがまとめて入ったお得版だ。
既に持っている盤も当然ながら何枚も含んでいたが、それでもこの枚数で10,000円ちょっと(HMV)は安いので、購入した。1枚単価200円弱だし、名盤もかなり入っている。ここに表示しているのはアマゾンのリンクだが、いつの間にかこっちの方が安くなっている。おかしいなあ、HMVの方が安かったはずなのに・・・
実はこれ、111と書いてあり、これはグラモフォンの111年記念らしいのだが、第2弾で、もう一つ別の、55枚セットというのが出ている。足して111枚ということのようだ。
56枚の内訳は、基本は1アーティスト1CDで、一番古い録音が、デ・サバタという人のブラームス「交響曲第4番」で、逆に2009年録音というのが何枚かある。オペラなどは2枚組などがあるので、1:1になっているわけでは、必ずしもない。
実は個人的には、ずっと欲しくて買っていなかったクライバーの「椿姫」が、最後の一押しになったのだが、これまであまり持っていなかったショパン(単に好みではないからだが)や、実はレコードで持っていたので、持っていると思い込んでいたものなど、意外に、隙間を埋めてくれた。
イエペスのアランフェス協奏曲なんて、持っていそうで持っていなかった。
シューベルト、美しき水車小屋の娘だって、今回持っていないことに初めて気づいたくらいだ。
実はまだほとんど聴いていない。
でもお目当ての「椿姫」はやはり買って良かった。テンポもいいし、コトルバスの声も美しい。昔レコードの時、5,000円くらいで出たやつだったはずだ。これで半分は元が取れた。
新しい録音でなくていいので、よく日本でも1,000~1,500円くらいで、いわゆる廉価版というシリーズで出ているものを箱詰めして、20枚セット4,000円くらいで出してくれれば、ありがたい。
クラシックの輸入盤CDは、安値の嵐だが、しかし今これを書くためにHMVのサイトを訪れたら、このセット、なんとこれまでにHMVだけで2,500以上売れてるらしい。驚きだ。
1セット1万円で2,400万円の売り上げだ。下手をすれば、この中に含まれる1枚が、通常版で売り上げたい売り上げよりも、単価200円でも、むしろ売り上げで上回ってる商品があるのではないかとさえ思えてくる。
クラシックならではの世界かもしれないな。

DRMフリーのMP3 アマゾンで販売開始

 というニュースが本日発表された。

 DRMフリーとは、暗号化されたキーなどで保護されていないファイルで、つまり、音楽がこれまで特定の機械でないと聴けなかったり、コピーができなかったりということから解放されるということだ。
 海外では既に多くがそうだし、日本でも増えつつあったが。既にiTunes Storeでは始まっていて(iTunesは形式がAACというやつなので、MP3よりは汎用性が今のところ低い)、アマゾンで始まれば、本格的に「昔に戻れる」。
 なぜなら、一部のCDを除き、ネット環境が出てくるまでの音楽はほぼDRMフリーだったからだ。若い頃、買ったレコードから、あるいはラジオのエアチェックで、多くの音楽をカセットに録音し、聴きまくった。私の場合はあまり多くなかったが、人との貸し借りも大分あった。
 そして、おそらくだが、こうやって育った世代が、自分たちの利益を過剰に保護することになるDRMを生み出したのだ。
 そもそも著作物は著作者のものだ。著作権は著作者にある。音楽の場合は、隣接権といって、演奏する人間にも一部の権利が存在する。これらの権利は当然守られるべきだし、勝手にコピーした音楽を売って儲けるのはれっきとした犯罪だ。
 だが、この犯罪抑止を、正当なユーザーの利益に押しつけてきたのが、これまでのDRMというシステムだ。
 現にこれまで購入して、今は再生できないファイルがいくつかある。改めて買うのも片腹痛い。
 世の中のバランスが、すぐに演奏家→エンドユーザーになることはまず無い。音楽には作詞・作曲・演奏の他に、レコーディングと編集作業が必ず伴うからだ。だが、そこから先の制作は割と早くなくなる可能性はある。CDもDVDもネットワークで手に入るなら資源の無駄という議論はいずれ起こってくる。紙の本もそうだ。森林伐採と結びつけられる時代が必ず来る。
 この世から紙がなくなることはないが、紙に印刷しなくても問題がないものというレッテルを貼られてしまえば、それで終わりだ。
 そしてそういった本や音楽はネットを通じて手に入り、いくらでも複製ができるようになる。
 海外に比べると全然高額な日本の配信の理由がどこにあるのかは分からないが、日本最大で11,000曲という規模なので、なかなかCDに取って代わるのは難しいだろう。CDが無くなるというのは、このオーダーが、今の1,000倍くらいになるということではないか?少なくとも、これまで販売された楽曲と現在発売されている楽曲が手に入るようになって初めて、CDは駆逐される(別のメディアが出てくる可能性はあるが、比較的マイナーチェンジだろう)。
 クラシックなどは、なかなかそこに追いつくのは難しい。それでもいずれはなるのだ。
 さて価格だが、1曲150~200円というのはこれまでとさほど変わっていない。
 かつてレコードはシングル2曲で一番高い時代に700円だった。アルバムは10曲程度で2,800円。CDに代わりシングルCDは4曲入で1,000円、アルバムは12~16曲くらいと増え、日本版で3,000円、海外アーティストのものが2,500円。もちろんこれが平均でもないだろうが、おおよそはあたっていると思う。つまり1曲あたり、150~350円で売られていたわけだ。印税はおおよそ10%くらいだと聴いたことがある。これが楽曲に係わったアーティストなどで分けられるわけだ。その差額が、制作会社、配送会社、ショップなどの利益になる。
 印税を15円から30円と考えれば、ネット配信の場合、150円は高額すぎる。せいぜい50~100円だろう(実際アメリカでは1$くらいらしい)。
 100万ダウンロードでベストセラーだとすれば、50円でも売り上げは5千万円。10曲で5億になる。
 音楽ビジネスというのは、ラジオとレコードというメディアができて以来、実は一攫千金ビジネスで、クラシックでさえそれは例外ではない。カラヤンが、何であんなにお金があったかは、今更考えるまでもない。その反対に、演奏だけで仕事をしている人たちは、苦労を強いられる。
 だがそれがビジネスで、ネット社会はこれまで機会を与えられなかった音楽家にも、日の目を見る機会を与えてくれる。よりミュージシャン・ドリームでもあるわけだ。同時に、価格を安価にすることで、購入は楽になるから、数が出ることになる。
 もちろんそれでもただで手に入れたい人たちがこの世からいなくなるわけではないが、安価であれば、買ってもいいという人たちは増えるはずだ。音楽業界には、是非そういう考え方をして欲しい。買う側にも、楽曲を手に入れるときの損益分岐点があることを、実は売る側は気づいていない。
 いや、それでもなお、DRMフリーは犯罪を増やすはずだが、そこは警察の領分だし、これまでもCDから落とせば問題なかったので、増えるのはそうは多くないだろう、ファイル交換ソフトなどは今後もなくなるはずはない。だが、それでつぶれるほど音楽は脆弱ではない。自ずとボーダーラインはある。
 
 さて次は、コピー10という忌まわしい仕組みをいつまでも入れている映像業界だ。
 
 

ディオ、永遠に!

 ロニーが死んだ。享年67歳。
 ロックなどほとんど聴かなかったぼくに、ロックを開眼させたヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオ。
 ああ、なんという喪失感。
 エルフ、レインボー、ディオ、ブラック・サバス、・・・・どれも好きだった。
 身内以外が亡くなって受けたショックで一番大きい。
 ああ、あの歌声が大好きだった。今でも年中聞いている。
 あの小さな体で、あのパワフルで、彼以外には歌えない歌を歌い続けた。他のヴォーカルは、似たタイプが必ずいるが、ロニーはオンリーワンだ。
 
「A Light In The Black」
 これが、ぼくにとっての、ロニーのレクイエムだ。
 「Heaven And Hell」でも、「We Rock」でも「Holy Diver」でもない。
「A Light In The Black」
 なのだ。
 リッチーのギターが延々続くのも解っている。ロニーであれば、「Stargezer」の方じゃね?
 みたいなのもあると思う。
だがそれでもなお
「A Light In The Black」
 なのだ。しかもリマスターじゃない方の。この8分11秒は永遠だ。
 ロニー、本当にありがとう。
 安らかに。

大御所の死

 大御所との死と言ったって、徳川家康ではない。
 先日、若杉弘が亡くなった。ちょっと前に黒田恭一も亡くなり、演奏家と評論家、クラシック界の大御所が二人も相次いで亡くなった。

 若杉弘の体験は、ぼくは一度しかない。東京文化会館だったと思うが、30年ほど前のマーラーの5番だ。正直もう、演奏もどんなだったか忘れた。ただ、感動したことだけは覚えているが、まだクラシックを聴き始めて日も浅いぼくが、生で聴いた若杉のマーラーというだけで、たぶん当時は感動したに違いない。同じ頃、やはり小澤の千人を聴いて感動したのと同じだ。
 小澤は、指揮者らしからぬ服装で、ステージぎりぎりに置かれた指揮台の上で、これまた指揮者らしからぬ構えから演奏に入ったのを記憶しているが、それとは正反対に、若杉はタキシードで、きれいな動きだった。

 CDは持っていないので、実際のところ僕の若杉体験はその一度きりだ。いや、実はレコードでむかし聴いたことがあるような気もするのだが、その程度の記憶はないのと同じだ。

 ぼくの認識としては、世界の小澤と言われるように小澤征爾は日本の指揮界でNo1だと思う。で、若杉弘はやはりその次に位置するとずっと思っていた。確かに朝比奈とか、有名どころでは岩城宏之とか、小林研一郞とか、いろいろ居ると思うが、小澤と若杉は、世界、特にヨーロッパで活躍した最初期の日本人指揮者ではなかったかと思う。
 今でこそ、大野和士とか佐渡裕とか海外の名の知れたオケを振る指揮者も増えてきたが、その先駆けがこの二人だったように思う。
 小澤は、サンフランシスコやボストンというアメリカのオケを経て、ついにはウィーン・フィルを振るまでになったが、若杉の場合は、ぼくはケルンしか知らない。

 最近オーケストラコンサートにあまり行っていないので、ちょっと寂しいが、生前にもう一度聴きたかった指揮者だったなあ。

 もう一人の黒田恭一は、時々NHKで見たり、昔はよくNHK-FMで解説を聞いた。しかし何より、レコ芸などを通じて、特に交響曲や管弦楽などの評論を多く読んだ。印象としては、カラヤンの好きな人という印象だったが、CDを買う際などには結構参考にもさせて頂いた。

 演歌や歌謡曲でも大御所と言っていい人が最近多くなくなるし、まだ若いので大御所などとは言えないかも知れないが、マイケル・ジャクソンだって死んだばかりだ。彼の「Beat It」は、当時から今でも、愛聴曲の一つだ。「thriller」でも「BillyJean」でもない、「Beat It」だ(あ、「Eat It」も好きだ)

 彼ら全てにご冥福を祈りたい。