レス・ポール

 先日、レス・ポールが亡くなったというニュースを電車内で知った。
 なんだか最近、大御所の死が続く。もちろん、いつだって誰か死んでるし、その中に著名な人物も数多い。
 だが、世間でどんなに有名でも、自分がどれほど驚くかというのは、また別の話である。

 5月の末に作家の栗本薫が亡くなり、翌日作詞家の石本美由起が亡くなった。無くなった時間にもよるのか、ニュースは同日に流れたケースが多かった。
 石本美由起は昭和を代表する日本の作詞家で、「悲しい酒(美空ひばり)」や「矢切の渡し(ちあきなおみ他)」などを書いた人だ。
 一方栗本薫は中島梓名義で評論なども書く、ミステリとSFを中心に活躍した作家だ。
 まあ、ニュースの扱いが磯本美由起の方が非常に大きかったのはテレビ局などとしては当然のことかも知れない。でもまあ、言っちゃ何だが、85歳まで生きて天寿を全うした方に比べ、まだ56歳という若さでなくなった栗本薫の扱いは、その作家としての仕事に比べて小さかった。

 ぼくは実は、栗本薫は1冊しか読んだことがない。だが、グイン・サーガという、130巻近い大著を著した作家は、おそらく世界でも以内に違いない。どうやらギネスに申請もしていないのか、載っていないらしいか、まさにギネス級の作品だ。どんな本屋でも、新刊(文庫書き下ろし)は必ずといっていいほど平積みされている。

 早川書房はローダンとグインで食っているという噂を聞いたことがある。
 この2作は、方やギネス認定の世界最長編小説(先日ドイツで2500巻を超えた)と、ギネス未認定の個人による世界最長編小説だ。ローダンは最初から複数作家で書かれているし、すでに最初の巻を書いた作家は二人とも死んでいる。ローダンは売れ続ける限り、書き続けることができる小説だが、グインはそうではない。栗本薫無くしてグイン無し、なのだ。

 これだけのものを書いた作家としては、無くなったときの扱いがきわめて小さいし、テレビのクイズ番組でもおなじみのみたいな扱いは、きわめて悲しい。読んでなくてもそう思うのだから、ファンはさぞやがっかりしたろう。

 さて、レス・ポールだが、レス・ポールと聞いて、最初に思い浮かぶのはギター以外のなにものでもない。個人的には、エリック・クラプトンが真っ先に浮かぶ。
 まったくもって、ぼくはフェンダーのストラスキャスターにあこがれた側なので、ギブソンのレスポールの音ではなく、ストラトなのだよ、などともしかしたら昔は、弾けないくせに語ったこともあるかも知れないが、ローダンとグインの比較ではないが、やはりレスポールは素晴らしいわけで、その名を冠したギーターはともかく、本人が死んでしまったのだな、と思ったわけだ。

 というより、「えっ!まだ生きてたの?」というのが実感だった。
 後で調べると94歳だそうなので、大往生というところか。
 だが、なんか感慨はあるのだ。ストラトキャスターが死ぬことはないし。

 ここで取り上げた3人の故人、全てのご冥福をお祈り致します。

大御所の死

 大御所との死と言ったって、徳川家康ではない。
 先日、若杉弘が亡くなった。ちょっと前に黒田恭一も亡くなり、演奏家と評論家、クラシック界の大御所が二人も相次いで亡くなった。

 若杉弘の体験は、ぼくは一度しかない。東京文化会館だったと思うが、30年ほど前のマーラーの5番だ。正直もう、演奏もどんなだったか忘れた。ただ、感動したことだけは覚えているが、まだクラシックを聴き始めて日も浅いぼくが、生で聴いた若杉のマーラーというだけで、たぶん当時は感動したに違いない。同じ頃、やはり小澤の千人を聴いて感動したのと同じだ。
 小澤は、指揮者らしからぬ服装で、ステージぎりぎりに置かれた指揮台の上で、これまた指揮者らしからぬ構えから演奏に入ったのを記憶しているが、それとは正反対に、若杉はタキシードで、きれいな動きだった。

 CDは持っていないので、実際のところ僕の若杉体験はその一度きりだ。いや、実はレコードでむかし聴いたことがあるような気もするのだが、その程度の記憶はないのと同じだ。

 ぼくの認識としては、世界の小澤と言われるように小澤征爾は日本の指揮界でNo1だと思う。で、若杉弘はやはりその次に位置するとずっと思っていた。確かに朝比奈とか、有名どころでは岩城宏之とか、小林研一郞とか、いろいろ居ると思うが、小澤と若杉は、世界、特にヨーロッパで活躍した最初期の日本人指揮者ではなかったかと思う。
 今でこそ、大野和士とか佐渡裕とか海外の名の知れたオケを振る指揮者も増えてきたが、その先駆けがこの二人だったように思う。
 小澤は、サンフランシスコやボストンというアメリカのオケを経て、ついにはウィーン・フィルを振るまでになったが、若杉の場合は、ぼくはケルンしか知らない。

 最近オーケストラコンサートにあまり行っていないので、ちょっと寂しいが、生前にもう一度聴きたかった指揮者だったなあ。

 もう一人の黒田恭一は、時々NHKで見たり、昔はよくNHK-FMで解説を聞いた。しかし何より、レコ芸などを通じて、特に交響曲や管弦楽などの評論を多く読んだ。印象としては、カラヤンの好きな人という印象だったが、CDを買う際などには結構参考にもさせて頂いた。

 演歌や歌謡曲でも大御所と言っていい人が最近多くなくなるし、まだ若いので大御所などとは言えないかも知れないが、マイケル・ジャクソンだって死んだばかりだ。彼の「Beat It」は、当時から今でも、愛聴曲の一つだ。「thriller」でも「BillyJean」でもない、「Beat It」だ(あ、「Eat It」も好きだ)

 彼ら全てにご冥福を祈りたい。

私の16才

「私の16才」と言えば、小泉今日子のデビュー曲だ。
小泉今日子は1982年のデビューで、この年にぼくは初めて社会に出た。勤めた会社がレコードの卸売業だったので、小泉今日子は、言ってみれば商品だった。小泉今日子は3月のデビューだが、5月にデビューした中森明菜は営業部に挨拶しに来たのを、当時経理だったぼくは、遠目に見ていた。
その中森明菜はデビュー当時から好きで、アルバムは毎回購入していた。ハードロックとクラシックに混じって、当時は自分のレコード棚では珍しいアイドルアルバムだった。
小泉今日子は、あまり歌がうまい印象がなくて(実際下手だったと思う)、ほとんど聴かなかった。経理から翌年希望を出して小売店へ配属になったとき、聴く音楽の幅が一気に広がった。それまでほとんど聴かなかったジャズを聴くようになったのもその頃からだ。
小泉今日子は、その年にブレイクする。
「私の16才」や2枚目の「素敵なラブリーボーイ」はオリコンのベストテンには入っていない。2枚目の「少女A」でブレイクした中森明菜よりは遅かった。

「素敵なラブリーボーイ」は林寛子のカバーだが、高校時代に聴いたことがあった。林寛子は歌手としてはそれほど成功したとは言えないと思う。この75年前後は、スター誕生で森昌子、桜田淳子、山口百恵がデビューした頃から、アイドルはこれでもかというほどデビューし、訳が分からない。

さて、ぼくはよく知らなかったのだが、小泉今日子のデビュー曲「私の16才」もカバーだったらしい。たまたまYouTubeでオリジナルを見つけた。
79年の森まどかという歌手の「ねえ、ねえ、ねえ」という曲のようだ。
森まどかのデビュー曲だという(13歳)「ひまわりの夏」というのもあったので聴いてみたが、なるほど、これでは売れなかっただろう。楽曲も面白くないし、演歌歌手がポップスを歌ったような感じだ。

ところが翌年に出されたという「ねえ、ねえ、ねえ」は小泉今日子の「私の16才」と、アレンジもほとんど変わらないが、歌唱力だけがかなり勝っている。
相変わらず演歌臭はあるのだが、丁寧で安定している。個人的にはこちらの方が全然いいのだが、当時素人くさかった小泉今日子が、僅か3年後にカバーし、その後の活躍を見れば、プロモーションだけの問題ではないだろう。

まあ、オリジナルに切り替えた「ひとり街角」「春風の誘惑」は、カバーの2曲よりも良かったし、「艶姿ナミダ娘」あたりからの小泉今日子のプチカリスマな雰囲気は、やはり才能だったのだろうと思う。単純にレコードを売っていたときの印象だけでもそう思う。


森まどかオフィシャル
まだ歌手をやっていらっしゃる。

白い靴下は似合わない

アグネス・チャンの「白い靴下は似合わない」は、これまでも何回か曲名だけ出した記憶がある。
この曲は、1975年、ぼくが高校1年の時の曲だ。作詞作曲ともユーミンで、当時は、「いちご白書をもう一度」や「まちぶせ」など、言ってみれば「あの日に帰りたい」の延長線上にある、マイナーコードの名曲を、ユーミンは量産していた。

アグネスは、「ひなげしの花」でその数年前にデビューしていたが、中学の友人の一人がとてもファンだった。ぼく的には、中学生だし、聴かないわけではなかったが、この曲に出会うまでのアグネスは、あまり興味の沸かない歌手だった。
だが、この切ない名曲は、アグネスのちょっとたどたどしい日本語と、線の細いきれいな歌声で聴くと、何とも高校生の心を打った。大学時代、友だちからレコードを借り、返し損ねたまま30年が過ぎてしまい、大変申し訳ない思い出もある。
また、この頃失恋したことも相俟って、この曲の思い出は35年経った今でも、鮮烈な何かがあるのだ。オヤジでもそういう時代があるのだな。

失恋の歌だ。胸の奥をぎゅっと掴まれるような、そんな気分を、忘れてしまった気分を思い起こさせてくれる。当時も結構売れた曲だ。

たまたまYouTubeで見つけた。素晴らしい。

お年を召されてからのアグネスのものもあったが、どうしてこんなに歌が下手になってしまったのか、と愕然とする内容だった。
また、別の歌手が歌ったものもあったが、全くだめだ。

まあ、思い出と共にあるから素晴らしいと思っている曲に関しては、まったくその記憶が邪魔をして、冷静な判断ができない場合もあるからやむを得ない。

ギタリスト

 たまたま、NHKのBSなんちゃらいう番組を、地上波で再放送をしているのを途中から見た。3大ギタリストをテーマとした紹介番組だった。

 3大ギタリストと言えば、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジだが、ぼくはこの3大ギタリストという呼称が嫌いだ。極論すれば、元ヤードバーズというだけのことで、敢えて3大という風に祭り上げる意味がよく分からない。

 ということで、自分にとってギタリストという場合、どういうラインナップになるのだろうか?と考えてみた。
 例えば、ぼくはスコーピオンズが好きだが、スコーピオンズのギタリストという意味では、あまり意識したことがない。この人が弾いているという認識だ。同様に、ホワイトスネイクも「ホワイトスネイク」というアルバムの前後では、まったく方向性が違うが、でも、違うというだけだ。

 ぼくがギタリスト、として第一に名前を挙げるとすれば、それは、マイケル・シェンカーだ。
 前述したスコーピオンズの初代ギタリストではあるが、そのキャリアは置いておくとして、UFOの「現象(Phenomenon)」に収録された「ロック・ボトム(Rock Bottom)」のギター・ソロが、ぼくにとってはギターソロの最高傑作だ。曲全体としては、フィル・モグという人の声がそれほど好きではないので、どうかなと思うが。マイケル・シェンカーは、まったくボーカリストを選ぶ目がない、とぼくは思っている。尤も、モグは、彼が選んだわけではないので、縁がない、という方がいいかもしれない(UFOファンには怒られるな・・・)。

 次は、リッチー・ブラックモア。ある意味この人は別格なのだが、リッチー自体が好きかと言われると、ソング・ライターとしては、僕の好みの曲をたくさん書いてくれているので好きだし、ギター・プレイもすごい。だが、すげーぜとは行かない。実は、マイケルもすげーぜではない。好きなだけだ。

 ここからは3位以下だか、すげーぜとなる。
 ジェフ・ベック、カルロス・サンタナ、ロリー・ギャラガー、ロビン・トロワー、ニール・ヤング、テッド・ニュージェント、デイヴ・メイソン、ジミ・ヘンドリックス、ジミー・ペイジ、ポール・コゾフ、アルヴィン・リー
 順不同だが、こんな感じになる。

 もちろん、エリック・クラプトンだって、今これを書くときかかっているサンタナバンド時代のニール・ショーンだって、ゲイリー・ムーアだって、デヴィッド・ギルモアだって、スティーヴ・ハウだって、ロバート・フリップだって場合によっちゃ、マーク・フファーナーだって、他にも素晴らしいギタリストは大勢いる。だが、ロバート・フリップが好きでクリムゾンを聴いているのではなく、イエスも、ピンク・フロイドも、GFRもそうじゃないんだな。
 ジェフ・ベック以下のギタリストは、彼らのギターの音が好きなのだ。
 デイヴ・メイソンなんて、彼にしか出せない音色だし、メロディーだ。
 今更ジミ・ヘンでもないが、ジミ・ヘンは外せない。
 インペリテリがいくら速くても(すでに古いか)、速弾きははアルヴィン・リーだ。
 マイケルとリッチーは、どうやら作曲家としてのなにやらぼくにフィットする世界が、ギタリストとしての株も上げているのだ。

 今日は名前を挙げただけ。続きはいずれ。
 

つちやかおり

 今更つちやかおりでもない。
 つちやかおりは、たぶん80年代くらいのアイドル歌手で、しぶがき隊のふっくん、布川某の奥様のはずだ。
 当時レコード店に勤めていたので、知識はある。だが、唯一聴いたことがあるのは「もう家なんて帰らない」という曲で、これは秋元康と高橋恭司という人の作曲だ。実はこの高橋恭司、虎舞竜の高橋ジョージだ。レコード店にいる利点の一つは、レコード会社から頂けるサンプル盤だった。尤も、本来は貸与で、しかもレコード店に対してだが、欲しいものがあると営業マンにねだったものだ。もちろん、店頭で繰り返しかけるので、むしろ店員が気に入って欲しいという盤の方が宣伝効果はあったかも知れない。
「もう家なんて帰らない」はそうではなく、まとめて送ってきた中にあったレコードだった。
 ただ、記憶は曖昧で、自分で買った可能性も高い。アイドルでも気に入ると買っていたから。
 まあ、今更どちらでもいいのだが、この曲は気に入っていて、現在ではパソコンに取り込んで聴いている。当時のシングル盤で同様になぜか気に入っているのは、秋山絵美という歌手の「太陽のアラベスク」という曲だ。これは、今は亡きブルーコメッツの井上大輔の曲だ(井上忠夫の方がしっくり来るな)。大西結花の「シャドウ・ハンター」という曲も井上氏の作曲で、似たような曲調だ。こちらは浅香唯が主演をしていた当時の「スケバン刑事」の挿入歌だった。実はこれもレコードを持ってたり。

 さて、そんなわけで、つちやかおりはぼくにとって「もう家なんて帰らない」だけの歌手だったのだが、そのつちやかおりの曲をパソコンに取り込むに辺り、元々レコードからはめんどくさいわけで(結局レコードから取り込んだのだが)、ネットで探していたら、デビューアルバムが再発売されていた。しかも、YouTubeで見ると、その曲が聴ける。というか見れる。そこで物は試しに聴いてみるとなかなか面白い。
 60,70,80年代のアイドル歌謡曲、あるいはもっと大きく歌謡曲というのは、演歌とも違い、ニューミュージックやフォークとも違う、メロディ偏重の(というと語弊があるが)、こてこての日本人向けポップスが多い。
 現在の、グローバルでアメリカンというか、音と詞の関係がとても外国風な音楽ではなかなか生まれてこない、ベタな音楽がたくさんあった。
 だから、どんな歌手の曲でも、アルバム何枚か聴けば、たぶん1曲や2曲は気に入る曲がある。そんなわけで、つちやかおりのアルバムを借りた。到底買う気にはならないから(だって25年前の、しかも聴きたいのは1曲だけで、2,236円。信じられない値付けですよ)レンタルで借りた。
 実際には「オリエント急行」以外にもちょっと面白い曲が2曲ほど入っていた。とは言っても、ちょっと続けて聴くのはやはり1曲だ。

「もう家なんか帰らない」はなかなか時代のギャップを、当時でさえ感じる曲だったが、「オリエント急行」の方は、何ともアイドルらしからぬ内容の曲だった。
 この頃のアイドルは、歌はへたくそというイメージがあるが、そんなことはない。結構うまい人が多いし、つちやかおりもなかなかうまい。

 

 アイドルもなかなか侮れないということだ。

ルトスワフスキ-管弦楽のための協奏曲

ルトスワフスキ(1913-1994)はポーランドの作曲家だ。ポーランドの作曲家として思いつくのは、ペンデレツキとシマノフスキくらいだ。あ、ショパンがいるか。どうでもいいが、ショパン。あとは関係ないがシェーンベルクの「ワルソーの生き残り」か。

1913年生まれということから解るように、明らかに現代音楽の作曲家だ。 だが、この「管弦楽のための協奏曲」は、それほど現代音楽的でない現代音楽だ。

「オケコン」というと大概はバルトークのそれを指す。 だがルトスワフスキのそれも同じくらい名曲だと思うが、有名ではない。「オケコン」というからには、管弦楽の各楽器を協奏曲的に使っているということなのだろう。実はこの辺りのオーケストレーションに関して言えば、ぼくにはさっぱり解らない。バルトークのものも、ルトスワフスキのものも、作曲のテクニックという意味ではここがこう優れているという技術的な部分は、あまり興味がないので、ただ聴いていて極論すれば、好きか嫌いかで好きなだけだ。

実際のところ、ルトスワフスキがバルトークの影響を受けていないのか、と言えば、とても受けていると言っていい内容の曲だ。バルトークがオケコンを書いていなければ、「あたかもバルトークのような」みたいな表現を使っていたかも知れない。

5楽章でもあり、全体の構成を考えても、交響曲第1番と言われれば、そういうものかと思ってしまう。

冒頭の弦が奏でるちょっと不気味なメロディが全体を支配していて、明るいところはほとんど無い。1954年という作曲時期を考えれば、第2次大戦後のポーランドの作家が、それほど明るい曲を書かなくても不思議ではない。この曲に、悲惨なポーランド侵攻から始まった戦争の影を見るのは決して難しくはない。

そういう意味で、ぼくは自分で持っているドラティの演奏は少し物足りない。 きれいすぎて。他の演奏も持っていたと思うのだが見つからない。どうやら3年前の引っ越しの折、ダンボール一箱分くらいのCDが行方不明で、その中にあったように思う。ペンデレツキも入っていたし、ジャニス・イアンも入っていたのになあ。捨てちゃったのかなあ。

今回これを書く気になったのは、実はmixiのradioという機能を使っていたら、いきなりバレンボイムの演奏でこの曲が流れたからだった。久しく聴いていなかったので、改めてきてみた。

やっぱ名曲だと思うのだが・・・

マーラー:交響曲第10番

 マーラーは、生涯に11曲の交響曲を書いている。

番号付きの1~9番と、「大地の歌」、そして未完の第10番だ。 「大地の歌」というカンタータか連作歌曲のような作品を交響曲と銘打った経緯は、有名な逸話だ。ベートーヴェン以来、シューベルト、ブルックナーと交響曲の大家はみな9番で交響曲が終わっているのを恐れて8番の後に「大地の歌」を持ってきているというのだ。

だが、ブラームスは4曲だし、モーツァルトだって40曲以上、ハイドンに至っては100曲を超えているのだから、そこへ思いを致せば・・・。ちなみに、 ドヴォルザークも9曲だが、9番目の交響曲(新世界より)は、亡くなる10年近く前に書かれているので、関係ないと思ったのだろうか?それとも、ドヴォルザークが亡くなったことが一番の原因だったりして・・・

ともあれ、「大地の歌」の後に、器楽だけの第9番を書き、10番の途中でなくなってしまったため、かつてはオーケストレーションがある程度済んでいる第1楽章(アダージョ)だけが、他の曲とのカップリングでレコードになっていたものだった。唯一、ジョージ・セルとクリーヴランドオーケストラが、第6番イ短調「悲劇的」 とのカップリングで、第1楽章「アダージョ」第3楽章「煉獄(ブルがトリオ)」というのを出していて、購入した記憶がある。CDになったときに、悲劇的が1枚に入ってしまうせいか、ぼくが購入したCDには10番は入っていなかった。

この組み合わせは、マーラーの死後、エルンスト・クルシェネクが、アルマ(マーラーの奥さん)から依頼されて補筆したヴァージョンではないかと思う。

しばらくしてからクック盤の存在を知り、初めて購入したクックによる全曲盤がザンデルリンクとベルリン交響楽団のものだった。

以降、インバルとシャイーの盤を購入し、スラットキンによるマゼッティ版、バルシャイ自身の指揮によるバルシャイ版と買い進めた。

調べてみると、他に、カーペンター版、フィーラー版、サマーレ/マッツーカ版というのがあるらしい。いずれ揃えたい。

そもそも、曲の草稿というか、総譜の状態で残っていたらしい。

第1楽章はオーケストレーションもある程度済んでいたということで、聞くとマーラーらしい音が鳴っている。ただし、途中に入る大きな不協和音はこれまでのマーラーにはなかったものだし、 完全に現代音楽の響きが聞こえる。

個人的には、ここをこれほどか、というくらい絶望的にならしてくれる演奏が好きだ。何かすべてが瓦解し、崩れ去っていく音に聞こえる。ただうるさいだけの演奏は好みではない。

ところで、この曲は全5楽章、器楽のみの交響曲ということを考えると、5番、7番と同じ構成だが、 非情にシンメトリックで、第1楽章が終楽章で回帰しているような、不思議な交響曲に見える。5番や7番にはなかった。5番も7番も、暗いところから明るいところへ出るような、いずれにしても終楽章は勢いがある。

10番は、9番の香りがする。静かに始まって静かに終わる。

何よりぼくが最初に聞いて驚いたのは、第4楽章の終わりから、第5楽章の始まりにかけての大太鼓の連打(連打という表現は違うけど)だった。

そしてその後に出てくる木管の美しくも儚い響き。悲劇的の第3楽章がかわいく思えてしまうほどの胸を締め付けられるようなメロディー。

ここは特にクック版が秀逸で、他の版は、いろんな音を鳴らしすぎる。

ここを聴くだけでも、補筆してもらって、しかもそれが演奏で聴けてよかった、と思わせる。

マーラーの10番を作曲家自身が、死後燃やしてくれと言ったことや、マーラー自身の完成版でないことから、マーラーの交響曲と数えなかったり認めなかったりする立場の人もいるようだが、実際のところそんなことはどちらでもよい。

この曲はすばらしい曲だし、誰が書いたかという以前に、もっと評価されてしかるべきだ。

これまで聴いた中では、全曲版は、ザンデルリンクのクック版が最も好みだが、 アダージョだけで言えば、レヴァインのフィラデルフィア管弦楽団との演奏が好きだ。

バルシャイのは演奏以前にいろんな楽毅をならしすぎている気がするし、スラットキンのは、ぼく的には平板に聞こえる。インバルのはきれいすぎて面白くない。シャイーのは・・・記憶にない。また聴いてみよう。

ぼくはマーラーを聴くとき、どうも両端楽章に偏りすぎる嫌いがある。10番も、中の3楽章を抜いてしまうことの方が多い。いや、マーラーのスケルツォ楽章がつまらないだなんて・・・口が裂けても・・・・しょせん好みだ(開き直りか!)

Vehicle – The Ides Of March

 最近なぜか、今更ながらThe Ides Of Marchの「Vehicle」にはまっている。

The Ides Of Marchは、60年代に結成されたバンドで、1970年にこの「Vehicle」で大ヒットを飛ばして有名になっている。このバンド名を調べてみると、ソーントン・ワイルダーという人の書いた「三月十五日」という作品が出てくる。この3月15日というのは、実はシーザーの暗殺された日であるらしく、「ides」というのはローマの暦で3,5,7,10月の15日、残りの月は13日をいうのだそうだ。だから、「Ides Of March」は、3月15日という邦訳になる。「Ides of February」だったら、2月13日ということか、ちょっと面白い。

だからバンド名が小説なのか、そもそも3月15日という名前を付けたかったのかはよく分からない。

いわゆるブラスロック、シカゴみたいなやつだが、この曲しか知らない。

「Vehicle」は乗り物のことだが、歌詞の内容は女の子をナンパする歌だ。だがかっこいい。

オフィシャルサイト を見ると、まだ活動しているらしい。まあ、60歳は過ぎているに違いない、皆さん。いきなりかかるのがVehicleなので、まあ、最大のヒットなのだろう。いわゆる一発屋というのかも知れない。

でも、この機会にサイトにある音を聞いてみたら悪くない。リストを見ると「Eye of the Tiger」のカバーなんかもやっていたりする。まあ、オフィシャルに載っているベストが出たら考えてもいいかな。

このVehicleという曲も、いろいろカバーされている。 最近ではBo Biceという人がカバーしているのがYouTubeに出ていた。他にもJo Lyn Ternerやシャーリー・バッシーまで歌っている。

[youtube:http://jp.youtube.com/watch?v=_EBMo8xHGNs]

とにかくかっこいい。70年代の初期はこういう曲が結構あるから侮れない。

Hey, well I’m the friendly stranger  In the black sedan
Oh won’t you hop inside my car?
I got pictures, got candy, I am a lovable man
I’d like to take you to the nearest star
I’m your vehicle baby
I’ll take you anywhere you wanna go
I’m your vehicle woman
By now I’m sure you know
That I love ya (love you)
Need ya (need you)
I want to, got to have you child
Great God in heaven, you know I love you
Well if you want to be a movie star
I got the ticket to Hollywood
Well if you want to stay just like you are
You know I think you really should
I’m your vehicle baby
I’ll take you anywhere you wanna go
I’m your vehicle woman
By now I’m sure you know
That I love ya (love you)
I need ya (need you)
I want to, got to have you child
Great God in heaven you know I love you
Oh you know I do
Well I’m the friendly stranger
In the black sedan
Oh won’t you hop inside my car?
I got pictures, got candy, I am a lovable man
I’d like to take you to the nearest star
I’m your vehicle baby
I’ll take you anywhere you wanna go
I’m your vehicle woman
By now I’m sure you know
That I love ya (love you)
I need ya (need you)
I want to, got to have you child
Great God in heaven you know I love you
And I’m your vehicle babe
Oooh
You know I love ya (love you)
I need ya (need you)
I want to, got to have you child
Great God in heaven you know I love you

浜田省吾

 一時期、「はましょう」というと、浜田翔子のことがあったが、昔も今も、「はましょう」と言えば浜田省吾だ。とはいえ、生粋の浜省ファンに比べれば、ぼくなどはとっても甘い。ライブも行ったことないし。

ほんとに浜省を聞き始めたのは、「Money」からだ。ぼくにとっては、たぶん浜田省吾は1枚のアルバムに収まる。・・・2枚組かな。

「路地裏の少年」「涙あふれて」「片想い」「愛を眠らせて」 「青春のビジョン」「終わりなき疾走」「東京」「傷心」「愛の世代の前に」「ラストショー」「マイホームタウン」「Money」「Dance」「Mainstreet」「J.Boy」「Blood Line」「Darkness In The Heart」「MY OLD 50’S GUITAR」「詩人の鐘」「境界線上のアリア」「傷だらけの欲望」「裸の王様」「君の名を呼ぶ」「モノクロームの虹」「PAIN」

思いつくままにピックアップしたら25曲もあった。びっくりした。でもたぶん、全体から言えば1割に過ぎないし、実際これ以外はほとんど聞かない。でも、特にこの中の数曲は、年中聴いているので、やはり好きなアーティストなのだ。

数えていないが、たぶんアルバムは20枚以上出しているし、ベテランだし、ロッカーだし、でもなんだかちょっと野暮ったいし、アメリカン・テイストで、英語もたくさん使うけど、思い切り「しゅみれいしょおん」と歌い上げる、浜田省吾が好きだ。

最近、「Money」とか「愛の世代の前に」のような曲がほとんど無くなって、ちょっとお年を召したかな?なんて考えていたり・・・