3ヶ月ぶり、そして今年最初の書き込みが「謝罪」というタイトルだからと言って、何か謝るわけではないのだけれど・・・
 今日のニュースで、菅家利和さんの謝罪要求に対して、当時の取り調べをした元検事が謝罪はしなかったというのがあった。いずれかのタイミングで彼が謝罪するのかどうか(無罪判決が出た後など)、不明だが、おそらく彼の立場から言えば、自分は確信を持って有罪だと信じていた(少なくとも当時は)ということで、自分は精一杯やったし、間違ったことはしていないという気持ちがあるのかも知れない。たとえ結果が間違っていたとしても。
 だがどうだろう、普通の事柄に置き換えてみれば、その時の思いや理屈はどうあれ、謝罪するのではないだろうか?小学生にだってそう教える。
 ところが大人になるとなかなかこの謝罪というのが難しいらしい。
 特に政治家はどうだろう。なかなか謝らない。また、謝り方が姑息だ。自らが間違っていたという謝り方をする人が非常に少ないように思う。誤っている方向が違うので、国民の怒りを買う。
 例えば上記の検事、無罪を出すための裁判をやっているということなのだから、最初から菅谷さんは無実で、えん罪だったという結果が出ることは解っている審議だ。であれば、自分はあのとき、こういう理由で間違いなく菅谷さんを犯人だと思った、証拠もそれを示していた。だが、結果は冤罪で、今となっては大変申し訳ないことをした、あなたの人生を取り戻すことはできないが、大変申し訳ないことをしたと謝れば、一応は終わる話だ。
 菅谷さんのような異例の件で、社会も国も、彼の人生を再び返すことはできない。過ぎてしまったことは最早取り戻しようがない。
 もちろん、だからこそ捜査や取り調べは慎重を期すべきではあるはずだが、それとは別に、最大限彼に対して誠意ある対応と謝罪が、事件捜査や裁判に関わったものができる唯一のことである。もちろん、それでも尚彼が今でも犯人に違いないと確信しているのなら、話は別だが。
 同様に、政治家もまた、謝罪すべきは謝罪すればいいのだ。政治家は、謝ってしまったらおしまいだと思っているのかも知れないが、そんなことはない。そこから始まることもあるのだ。
 自分がしでかしてしまったことへの反省や謝罪というのは、新しいことを始めるための一つの区切りであり、対象者への許しの請いだ。もちろんそれでも許せないことはある。謝れば何でも解決するわけではない。だが、せめて謝れ、という部分はないわけではないのだ。
 謝れないのは、実は人間の弱さだと思う。自分自身が同じ立場に立たされ、では謝れるかと言えば、その状況に陥ってみないと解らない。だから、謝らない人間を必ずしも責めようとは思わないが、それでも尚、相手が被った被害や、その人の立場などを考えれば、強く謝罪すべきではないのかという意見を、時には言うべきなのだろう。
 鳩山総理が、故人献金や、母親からの多額の譲渡などについて、言葉を濁しながら、謝っているのは、それを知らなくて申し訳なかったとか、お騒がせして申し訳なかったといったことなどだ。国民はまだ我慢して民主党の自民とは違う何かをしてくれるというかすかな糸に望みをつなげている。それが、下がったとはいえまだ50%近くある支持率のゆえんだ。
 一例を挙げれば、日本郵政の人事は全くもって天下りでした。申しわけございません。すぐに変えますと言って人事を刷新すると化すれば、そんなことを朝令暮改などと責める人はほとんどいないはずだ。
 
 小泉純一郎が何故人気があったかと言えば、果断さと言ったことを行うという部分が、他の政治家よりも秀でていたからだ。彼の政策だって、誰もが支持していたわけでhない。だが郵政選挙は勝った。
 鳩山政権が今後も4年間の地位を盤石にするためには、次の参議院選挙に勝たなくてはならない。そのためには、今の政権に残る、自民党の翳を払拭すること、つまり亀井静香を切り、小沢一郎を黙らせることだ。亀井はただの反小泉であって最も自民党らしい議員だし、小沢はまさに田中角栄の亡霊だ。田中角栄がロッキード事件で罪になったとしても、彼は偉大な政治家だった。だが今はそういう政治家の時代ではない。
 
 民主党はまず思惑の違いを謝罪し、できることから順次、そしてなにより天下り根絶などを頑張ればいい(個人的には天下りそのものは全く反対ではない。天下りはどんどんさせてもいいし、その方が、官僚機構は常に刷新されるはずだ。むしろ直すべきは、天下りしても、普通の職員と同じ待遇にするような仕組みを作ることだ。2,3年で数千万円の退職金や、そもそも最初から高い地位に就けたり、年俸で一千万以上などを規制すればいい)。
 まさに謝辞をしないで先へ進もうとすることが、ある意味自民でも民主でも同じ「朝三暮四」たるゆえんかも知れないのだが。
 

1 コメント

  1. 単に事柄についての謝罪では意味がありません。
    本人のプライド、つまり心の内に対し謝罪をしなくては意味がありません。
    菅家利和さんの場合、国もしくは検察は事実&事柄に対しての謝罪のみです。つまり事実の検証、当時のDNA結果が悪いとゆう言い訳がセットであり、菅家利和さん本人対してでなく誰に対しての謝罪なのかと疑いたくなります。
    間違った方向の謝罪や上辺だけの謝罪は、更に最悪な結果を招くことはよくあることですからね(笑)
    謝罪ひとつも恐いものです。

    淳さん

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