NHKが「新・三銃士」というタイトルで、月曜日から人形劇の放送を開始した。
 NHKの人形劇と言えば、個人的には「新・八犬伝」が記憶にある。もちろん、「ひょっこりひょうたん島」も記憶にあると言えばあるが、鮮烈な印象という意味では、近石真介が声をやっていた犬塚志乃とナレーションの坂本九、そして何より玉梓の怨霊だ。
 それ以降の「三国志」や他の作品は全く見ていない。
 さて、今回「三銃士」ということもあって、見ようと思った。取り敢えず好きなので。
 しばらく前に、「巌窟王」というアニメについて書いたが、これはデュマの「モンテクリスト伯」が原作のアニメで、賞なども取っている大作だった。
 今回、NHKは相当入れ込んで「三銃士」を放映しているようだ。ただ、脚本・三谷幸喜ではなく、脚色・三谷幸喜となっているところがくせ者で、「巌窟王」とは別の意味でやってくれている。
「三銃士」「モンテクリスト伯」というのは「レ・ミゼラブル」と共に、ぼくが小学生の頃から慣れ親しんだ数少ない世界文学の一つだ。そもそも読書が大嫌いだった僕にとって、小学6年生で友人からSFを教えてもらうまで、ほとんど面白かったという読書の記憶がない。
 上記のフランスもの3作品は例外中の例外だ。
 しかもこの3作は、何度も繰り返して読むという、ぼくの読書にあっては、比較的珍しい作品に属している。他には、「三国志」「水滸伝」「新書太閤記」「幼年期の終わり」「氷点」「編笠十兵衛」くらいだ。大概は1回読んで終わりだ。
 さて、それだけ思い入れがあるということなのだが、映画などでは、比較的原作に忠実な(それでも改編は多いが)作品のような気がする。ディカプリオの「鉄仮面」や、ソフィー・マルソーが主演の「三銃士(原題は「ダルタニアンの娘」)」などは、かなりオリジナリティーが高く、前者はなかなかよくできている。
「モンテクリスト伯」や「レ・ミゼラブル」に比べると、制作者のポイントと、ぼくのポイントにずれがないのかな?と思ったりする。前記の「巌窟王」などは作品そのものの質はともかく、腹立たしい結末だった。これらの、原作に手を加えることで、何がしたいのかよく分からない作品群は、その話が書きたいのならオリジナル作品を作れ!という制作者のレベルの低さを伺わせる。
 これは、例えば太閤記や豊臣秀吉の話が複数あるというのとは訳が違う。秀吉は実在した人物で、彼を主人公、乃至は登場人物の一人として描く作品は、作家それぞれのオリジナリティーを生かした作品としての価値がある。だが、そもそも創作に手を加えるというのは、その原作に与えられた作家の力量を利用し、自己満足の世界を実現させているに過ぎない。
 最近「アトム」のハリウッド版が公開されたが(これからかな?)、これだって所詮は人のふんどしで相撲を取っているのだ。原作を歪めて作品化するというのは、原作者が生きているならいざ知らず、はっきり言って興ざめな感じは否めない。ただし、それを凌駕して素晴らしい作品に仕上げてくれるのであれば、それはそれとしての価値はあると思うが。
「新・三銃士」の第1回を夕べ見た。
 ダルタニアンの父が、ロシュフォールと知り合いだった。ロシュフォールは彼を殺した。つまり、ロシュフォールはダルタニアンと共に天を頂かぬ仇敵となった。これで、ラストシーン、リシュリューの薦めでダルタニアンがロシュフォールと手を握ることはなくなった、そして彼らのその後の友情も葬り去られた。
 第2回以降の録画を全て解除した。
 この時点で見るのを止めることができた点で、「巌窟王」よりはましだな。
 映画化や漫画化というのは、オリジナル作品に手を加える必要が必ずあると考えているに違いない制作者に言いたい。完璧に原作通りの作品を、たまには作ってみろよ!
 

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