総選挙が終わったので選挙の話題を。
 
 民主308議席、自民115議席と、改選前とはほぼ逆転した。まあ、逆転したということは、いずれ再逆転も十分可能な数字でもあるということだ。
 勝ちすぎだとか、想像を超えるとかテレビのコメンテーターは言っていたが、事前の世論調査などからそこそこ予想が付いた数字だったように思う。もちろん、その世論調査が結果的にどう本番に働くかは未知数だと思うが、その世論調査の結果が信用できないものなら別だが。
 信用できないと言えば、開票速報番組が始まったとたんに、予想が出て、フジテレビなどは320を越える民衆の数字を予想していた。もちろん出口調査の結果だ。実際にはそこまでの数字は出なかった。ただ320という数字は、絶対安定多数の次に重要な衆議院議員の3分の2の数字ではあるから、これを越えるか越えないかは大きな意味を持つ。自公政権が何度も使った再議決が単独でできる数字だし。
 ぼくは、小選挙区比例代表並列という制度に懐疑的というか、どちらかというと反対だったが、今回見てみて、実は悪くないのだと思うようになった。
 人を見てする選挙の場合には、やはりいい制度ではない。何故なら、どんな政党に所属していようと、1票を投じたくないという人はいるわけで、都議選などはそこまで極端ではなかったが、正直自民の候補でも民主の候補でもどちらでも良かった。だから勝ち馬に乗るつもりで民主に入れた。
 小選挙区というのはどの政党を選ぶかということが主眼なので、その政党の誰が出ているかということは実はあまり意味が無く、今回の選挙を見ても、社民の辻本、みんなの渡辺、江田、といったテレビでよく顔を見、ある程度人となりや発言が判っている人は通っているが、それ以外はかなり政党色で選ばれているように見える。
 もちろん、投票する人はそれぞれなので、人物本位や、政策本意、あるいは容姿で選んでいる人もいるはずだ。どんな基準で選ぶかは自由だし、たとえ美人だから1票を入れたとしても、それはそれで、1票の価値には違いない。
 そういう意味で、選挙に行かないというのは、そのときの選挙結果を是認するという選択なので、それはそれでいいと思っている。確たる意志もなく、適当に投票することと、棄権することは、それほどの違いはない。もちろん投票率はアップした方がいいし、どんな理由であれ、投票には自分の意志が反映されるべきだが、海外のどこかのように、罰則規定などを作って投票させるなどというのは愚の骨頂だ。
 今回のように、いわゆる無党派層、しかもこれまで選挙に興味がなかった人たちが投票行動に移るのはいいことだし、それでも昔に比べたら投票率は低いわけで、投票率を上げる努力はすべきだが、それが強制であってはならないと思う。選挙はやはり権利であって義務ではない。
 さて、そんな中で、小選挙区制というのは、言われるように極端に触れることが往々にしてある。それを衆愚と見るか、世論の力と見るかで、民主政治への見方は自ずと変わるだろう。
 だが、今回のように前政権に一旦退場してもらい、新政権による政治を任せたいと考えた場合、この極端なふれというのは意味を持つ。もちろん、得票数で言えば308対115などという比率のはずはないが、多数決というのは民主主義の基本だ。
 せっかく新しい政党にやらせるのであれば、十分な余地を保ってやってもらうべきだ。
 長くても4年後には、また変えることができる。
 
 尤も、衆愚というのは、多数決でヒトラーを選出できる機能のことだから、選挙民一人一人のバランス感覚は大切だ。そういう意味では、民主党に政権を一旦(一旦か、かなりの年数かは今後が決めることだが)委任するというのは、日本人のバランス感覚も捨てたものではないと思う。
 ぼくは、民主がマニフェストで打ち出している、子育て支援も、農業への個別保証も、高速道路の無料化も、全く恩恵がない。だが、本当に官僚が悪いかどうかは別にして、長くやってくれば何事も硬直化するし、いい加減な部分もたくさん出てくる。自分たちの利益が優先されるような風土だって、悪意ではなくできあがるわけだ。であれば、まずは官僚主導の政治の打破ということだけでも、民主に変えてみる価値があると考えた。
 これは前回の郵政選挙の時と同様だ。ここで小泉に入れておかなければ、郵政民営化はできないと判断したので自民に入れた。その他のことでは必ずしも同調していない。今回、郵政民営化の見直しに関しては、あまり賛成していない。見直しは必ず必要だが、例えば国民新党が言っているような見直しは賛成できない。それでも尚、今回はもっと優先順位の高い論点があったので、世論と同じ動向を、ぼくも行った。
 評論家はいう。民主には国家ビジョンがない。成長戦略がない(これは自民党も言っていた)。だが、国家ビジョンや成長戦略なんて、 他の政策から見ていけば十分だ。そもそも大風呂敷を広げたら広げたで、実現不可能だとか、他の批判が出る。
 
 多くの人が、今回、民主党を支持政党とは言わすに民主を支持したと思う。あるいは、今回は民主支持といいながら、次回は自民支持という人たちも多数居るだろう。これらは支持政党無しだ。
 創価学会員が全て公明党を支持しているものかどうか知らないが、今の時代、支持政党というにはイデオロギーの違いがあまりにない。共産党だって民主主義に見える。自由主義の中で、どうなのよ?というところで、保守対社会主義などでは決して無く、保守というなら変革、だが、それも大きな変革には見えない。少なくともイデオロギー的には。
 であれば、政党支持というのは、時の民衆の気持ちにどちらが近いかという選挙なので、そう考えれば、今回のような政権交代ができるというのは、とても健全と見るべきなのだと思う。

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