由比敬介のブログ
携帯のパケットというやつ
携帯のパケットというやつ

携帯のパケットというやつ

 http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0706/05/news103.html
 を見ると、若い人の多くはブログやSNSを見るのに携帯を使っているらしい。全体で70%を超えているし、一番少ない50代以上の女性出さえ、46%が見ると答えている。
 携帯でWebをほとんど閲覧しないぼくとしては、非常に驚くべきアンケート結果だ。
 
 もちろん、電車であろうが街中であろうが、携帯を見続けている人は非常に多いので、結果にうなずけないわけではない。
 それに反して、携帯の料金で法外な請求を受けたという例を、ちょっと前のニュースで見た。就職活動のために携帯で企業情報を取ったりして、多額の請求があったというものだった。思っているのとは一桁違った。
 パケット定額というサービスが、全てのパケット通信を対象にしていないからだという。
 とはいえ、ここでいくつか疑問が出てくる。
 まず、そもそもパケットというものの曖昧さだ。データ通信を分割送信することで、可能にするこのパケットという考え方自体は別にかまわないが、これまで、音楽であれ画像であれ、通信をする際に、このファイルは何パケットかなどと、明確にされている例があるだろうか?
 僕はあまりこの通信も行わないので、資料的には薄弱な根拠だが、有料コンテンツなどでも、「別に通信料がかかる」などとは書かれているが、果たしてのその通信料がどの程度かかるのかは明示されていないように思う。
 そもそも、携帯の通信料金は、会話でさえ、現在自分が30秒あたりいくらではなしているのかなど、正確に解っている人はどの程度いるのだろう?確かに料金体系は認識して契約しているが、他社の携帯への通話、あるいは時間によって変わったり、有線の電話よりは遙かに解りづらい。
 このパケットというの、もう少し解りやすくならないだろうか?パケットより、kb単位で課金される方が、まだ理解しやすい。
 これだけネットの閲覧に携帯が使われているというのは、その収入たるや、たいした物だと思わざるを得ない。
 DoCoMo2.0という非常に解りづらいキャッチフレーズは、芸能人をあれだけ使って、大量にCMを流している。あれだけの莫大なCM料金を掛けられるほど儲かっていることの裏付けだ。
 携帯文化というのは一体どのような方向に向かっているのだろう。
 個人的には携帯電話の小さいパネルに表示される情報で、ネットを楽しむ気にはなれない。間違いなく目が悪くなると思うし、そもそもインターネットだけでも、役に立つ反面、何かを失ってきた部分も多くある。
 インターネットを商売にしているので、無くなればいいなど東毛党思わないし、携帯にしても、利用者が好みで使い分ければいいだけなので、敢えて夜の潮流に異を唱えたいとも思わないが、せめて誰もが解りやすく使えて、よりリーズナブルな方向へ進んで欲しいと思うのだ。
 機種変更にしても、高いものは何万円もする。2年程度で変えるとすると、毎月千円、ジャパネットたかたじゃないが、分割料金を払っているくらいの負担はある。
 まあ、あのパケットという、得体の知れない「もの」だけでも、もうちょっと解りやすくして欲しい。
 それとも、単に俺が知らないだけで、世間の常識なのかな?

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