由比敬介のブログ
日米野球
日米野球

日米野球

 今日から日米野球が始まった。定食屋に夕飯を食いに入ったらやっていた。今日は巨人対MLBで、どうやら同点で終わったらしい。
 明日から日本代表と1週間で5試合するらしい。
 Yahoo!の関連記事などで、出場辞退選手が、名前の判っている選手以外にも居て、25人くらいが辞退しているらしい。
 今シーズン限りで辞めてしまう新庄や、直後のアジアシリーズに出場する日ハムの選手はともかくとして(野手だからだろうが、小笠原はそれでも途中まで出るらしいが)、それ以外の多くの選手は、だいたいが怪我だったりする。
 Yahoo!のアンケートでは、7割くらいが出場すべきと考えている。そして、おそらくはこれが世論というものだろうし、口ではファンファン、と連呼するのであれば、その試合の価値云々は別にして、多少の無理は押して出るべきだろう。少なくともファン投票で選ばれた選手は、その義務があるし、そのための高額年俸でもある。
 ましてや日本シリーズや、直前まで、自分たちが優勝するための試合にはがんばって出ていた選手がその中にたくさんいる。もちろん、その選手たちにとっての優先順位なのだろう。
 私は、あらゆる職業は客商売だと思っている。行政や芸術家でも同じだ。貨幣経済社会の中で、飯を食うためには何らかの形で金を稼がなくてはならない。金を稼ぐと言うことは、何らかの側面で対価を払う「顧客」が居るということで、行政であればそれは税金だし、芸術家であってもパトロンやスポンサーではなくとも、売れなければのたれ死にするしかない。
 スポーツ選手もまた同様、彼らの給料は最終的には多くのファンやスポンサー起業にお金を落とす一般人から出ているのだ。ファン投票の多くは、彼らにそこで活躍して欲しいと感じているファンの気持ちだ。ファンというのは身勝手だが、でも彼らが金を払い、その金で、通常よりも高い給料を彼らは得ている。
 よくスポーツ選手は選手寿命が短いから、高い年俸をもらうのは当然だということを言う人があるが、それは全く当たっていない。彼らが高い年俸をもらうのは、それに見合う活躍、平たく言えば総合的な意味でのファンサービスへの対価として評価を得ていると言うことに過ぎない。選手を辞めた後の生活など、勝手に考えればよい。それは、定年後のサラリーマンだって同じだ。
 政治家には退職金がないから議員年金があるようなことを言っている議員がいたが、退職金が欲しいのなら、議員を辞めてサラリーマンになれと言うだけのことだ。
 スポーツ選手には年俸として数千万、数億を得るだけのサービスをすべき義務がある。もちろん、命をかけて行う必要は全くないと思うし、怪我を治したいという気持ちも分かる。あるいは、シーズンの最後の試合が限界だったのかも知れない。でも、それが選抜された数十人の中の何割もの選手だと言うことになれば、自ずとこんな試合は出なくても良かろうという、勝手な思いがあると見ないわけにはいかない。
 シーズン中だって怪我を押して、多くの選手はがんばっている。だから、シーズンオフのはじめくらいは休めるなら休めばいいと思うが、でも、日頃ファンが大切と、言っているばかりでは嘘くささも感じてしまう。
 かなりの人が、そもそも日米野球なんて、と思っているのかも知れない。まあ、私もそのうち野一人だ。おもしろさという意味では、ペナントの方が面白い。でも、日米野球だって楽しみにしている人はたくさんいるし、現にチケットを買って見に行く人が大勢いるのだ。
 ファン投票12名の内7名が辞退って、おかしすぎないだろうか?
 おかしいと言えば、読売がスポンサーだからだと思うが、日米の選抜の前になぜかMLB対巨人を1試合だけやる。これもおかしな話だ。こういうところで、アンチジャイアンツは、さらにそのアンチ度を増すのである。

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