スペースシャトルが明後日帰還する。無事に帰ってきて欲しいものだ。チャレンジャーが爆発し、コロンビアが空中分解し、スペースシャトルが被った2度の大事故によって、今回のディスカバリーの打ち上げ時の延期や、軌道上に乗ってからの様々な問題が、不安材料として報道などで大きくクローズアップされることがある。
 ソ連がスプートニクを宇宙に上げたのが1957年、ほぼ半世紀前のことだ。ガガーリンが宇宙に飛んだのが1961年。そしてその年に月旅行を計画したアメリカが、始めて人類を月に降り立たせたのが1969年。60年代前半に始まったペリー・ローダンシリーズでは、1971年にアメリカの空軍少佐ローダンが、始めて月面に降り立つというのが始まりなので、SFよりも2年も早く月旅行を実現させたことになる。
 映画「2001年宇宙の旅」は1968年の映画だ。これは人類が月へ行く前に、木星への宇宙飛行を描いた映画だ(クラークの小説では、土星の衛星を目指していたが)。映画ではこれが2001年のことだ。
 スペースシャトル「コロンビア」が始めて地球周回軌道に乗ったのは1981年のことだ。人類が月に行って22年、アポロ計画が17号で終了した1972年から9年後のことだ。
 チャレンジャーの爆発事故が1986年。コロンビアの空中分解が2003年。それ以来止まっていたスペースシャトルが、今回2年半ぶりに打ち上げられたのだ。今回が114回目の打ち上げだ。
 アポロは17回の打ち上げで、死亡事故はない。地上での事故で3人が無くなっている。シャトルは繰り返し使えるために、それまでとは違い、基地に帰還する。使い捨てで無い分、何回も使うのだから方が来ることもあるのかも知れない。
 いずれにしても、100回以上の打ち上げで、大きな事故が2回というのは、宇宙開発ということを考える上では、極端に多いわけではないと思う。もちろん、無事故であることは大切だが、飛行機だってあれほど事故に遭うのだ。ましてやより過酷な条件に晒される宇宙飛行は簡単にはいかないだろう。
 ところで、アポロ計画は、どんなメリットがあったのだろう?そして、100回以上に及ぶシャトルのメリットは?
 様々な科学実験や、見知らぬ場所の解明以外には、多分あまりメリットはないだろう。まして、大航海時代、多くの航海士が新たな大陸や土地を見つけ出したときと違って、その場所に一般人が簡単に行くことも叶わない。もちろん、シャトルないでの実験により開発された商品なども多数あるだろうが、実感としては、軍事的な目的などの方が大きかったのでは?などと疑いたくなるくらい、100回という飛行回数に比べて、「そんなに沢山飛んでいるのか?」という認識しかない人が多いだろう。
 
 そこに山があるからだ、とは、イギリスの登山家ジョージ・マロリーの言葉だが、そこに宇宙がある限り、そこに夢を馳せ、行きたいと思う人間の欲求は、無くなりはしない。尤も、最初からそんなことはどうでもいい人の方が、実は多いのかも知れないが。
 この世で何が有益で何が無駄かを測る尺度というのは、意外に難しい。食物を作らないと、人は食べ物がないと生きていけないから、どうしても必要であることは解るが、ディズニーランドの営業と、スペースシャトルの開発は、実は同じように大切なことなのだ。どちらもなくても生きては行けるが、生きるためだけに人間が生きているわけではないからだ。
 沢山のお金をかけて、殺し合いをするよりは、その分を宇宙開発に向ければ、今頃人類は火星にも到達していたのではないか?人が宇宙に飛びだして既に50年が経とうとしている、月に行くまで10年くらいしかかかっていないのに、残りの40年で、スペースシャトルが100回の行ったり来たりをしただけだ。なんだか寂しさを感じる。
 もちろん、月までの距離は38万キロ、火星は最も近くに来たときでも5000万キロ以上離れている。おいそれとは、月の次は火星という簡単な一段ではないことは確かだ。
 人の命が大切なのは何よりもそうだが、時には命がけで宇宙への夢を求めていくのも人間だ。子供心に憧れた宇宙への気持ちは、お金や幾多の犠牲をもその中に含みつつ、どんどん前に進む科学への憧れだ。
 アインシュタインが見つけ出した質量とエネルギーの等価則を、爆弾ではなく、宇宙開発などに有効に使っていこうという、人類全体の意識みたいなものっていうのは、やはり難しいのだろうな。

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