2007年4月30日

昭和の日

 今日は(正確には昨日は)、昭和の日だ。今年からそうなったらしい。
 そもそも4月29日は昭和の頃は、天皇誕生日だったのが、天皇が亡くなったためにみどりの日になった。それが、今回、法律が改正され、昭和の日となったと言うことだ。
 みどりの日は、これまで国民の祝日という怪しいタイトルだった5月4日に移った。
 いずれ、12月23日は平成の日になるときが来るのかも知れない。
 同様にと言うわけではないが、11月3日は文化の日だが、これは明治天皇の誕生日だったらしい。
 なぜか大正天皇の誕生日、8月31日は祝日になっていない。せっかくだから休みにすればいいのにと思うが。

 歴代の天皇の誕生日を祝日にすると、一体どのくらい休みが増えるのだろう?
 現在の天皇が、神武以来125代目のようだが、誕生日が判らない天皇もいるかも知れないし、同じ日の天皇もいるかも知れない。だが、1年の3分の一くらいは祭日になったりして・・・

 昔の人は天皇の名前を神武、綏靖、安寧、懿徳・・・・と覚えたらしいが、自分では記憶がない。日本史は世界史に比べて苦手だったし。

 まあ、いずれにしてもゴールデンウイークの一角を担う昭和の日だから、大切だ。
 今年は、5月の最初の二日間が土日と重ならないので、出勤する人も多いのではないだろうか。この前3日とうしろ4日の連休はしかし、その時こそ忙しく働く人がたくさんいて始めて成り立っているわけだ。
 逆に言えば、国民の祝日はあっても、国民の休日というのは基本的にあり得ない概念ということになる。

 多くの人が休む元旦でさえ、働いている人は大勢いるし、それがなければ成り立たないのが現代社会だ。
 今日は新宿に出かけてきたが、それでも日曜日と言うこともあり、多くの人でごった返していた。
 あまり昭和の日という祝日の内容は関係ないわけで、基本的に「お休み」以上のものではないのだな・・・・という風に感じたわけだ。改めて。

投稿者 keisuke : 社会的 | 00:04 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月21日

統一地方選

 先々週の都知事選に続き、渋谷区では渋谷区長と区議会議員の選挙が明日に迫った。
 今も、窓の外を、昭和を感じさせる議員の名前だけを連呼する囂しい選挙カーが行き過ぎていった。そしてお願いされるのだ、あなたの一票で議員にさせてくれと。・・・議員とはよっぽど楽しい職業らしい。

 街宣車で名前を連呼することで行う選挙運動は、ぼくが子供の頃から変わらない。これを旧態依然というのだろう。うるさいだけで、意味を感じられない。国会議員と違って、ただでさえ興味薄な地方議員の選挙だ。こう芸がないと、いささか「若者の選挙離れ」など責められたものではない。

 ホームページで渋谷区役所を見てみると、候補者の一覧だけが出ている。
 知事選の時にも見た「ザ・選挙」というホームページは、7割くらい、写真が載っている。実際のところ、区議会議員の顔など判らないし、名前も知らない。渋谷へ越してきてまだ2年経っていないので、これまでの区議が何をしてきたのかもよく分からない。

 そんな中で45人の内、マニフェストを掲載しているのはわずかに2名。ホームページが掲載されている議員もほんの数名だけだ。実際にはホームページを持っている人はいるようだが、このサイトからリンクされていない人が多い。

 このサイトはJanJanというNPOの運営のようだが、数少ないまとまった情報サイトの活用すらしようとしない立候補者を見ていると、やはり個々にも旧態依然の言葉を持ち出したくなる。
 
 郵便受けには各候補者・・・と言っても一部だが、・・・が無作為にビラをつっこんでいく。
 それすらない候補もいるわけだ。

 マニフェストそのものを作る行為は、確かに大変なことだが、言ってみればそれこそが立候補者のなんたるかを知る核となるわけだから、ないと困る。横文字使わなくても、選挙公約だ。
 それが見えない議員に投票などしたくもない。
 駅前での演説も、ごく一部しか耳にすることはない。
 マニフェストを作ったら、せめてそれをホームページに上げることくらい、たいしてお金も手間もかからないと思うが、何故やろうとしないのだろう?

 公職選挙法で、ホームページを使っての選挙運動ができない・・・つまり選挙中はホームページを更新できない・・・というのは、空しい制度だが、制度である以上仕方がない。しかし、選挙に入る前に用意して、掲載しておけばいいだけの話だ。その時間がなかったというのなら、立候補に値しない人物だ。

 いずれにしたところで、そういった基準も、投票を決める一つの要素だということだ。

 ところで、同日の渋谷区長選挙に、宅八郎が立候補している。
 区長の立候補者は4名だが、さすがにこちらはマニフェストが判りやすくなっている。但し現職はよく分からない。
 意外に宅八郎のマニフェストは充実している。もちろん、できるかどうかは別の話だが。
 何となく現職が強い感じはする。都政と同様、渋谷区のこの4年はそれほど不満は少なかったに違いないからだ。

 ちなみに、全く関係ないのだが、ぼくの家は世田谷区との区界が近いために、世田谷区議の立候補者の選挙カーも付近を通る。
 ・・・・あおぞらこうじ・・・って議員だったのか。改めて知った。・・・げろげーろ

 

 
 

投稿者 keisuke : 政治・経済・行政 | 17:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月14日

クールな恋

 このところ、ずっとレンタルで「巨人の星」を借りている。TSUTAYA DISCASというネットレンタルだ。
 現在、大リーグボール1号が完成し、オズマが登場したあたりだ。

 巨人の星というこのつっこみどころ満載のアニメは、しかし日本のアニメの歴史で、とても大きな役割を持っている。
 かくいうぼくも、小学生時代に夢中になって見た口だ。星飛雄馬の巨人軍在籍は、1968年から1970年までの3年間だという。彼は高校入学の年に甲子園に出場し、その後退学、巨人軍のテストを受けて入団している。だから、巨人入団の年齢は恐らく16才で、1軍登録は17才。そこから20才までの3年間を巨人軍で活躍したということになるのだ。

 巨人入団の1年目は巨人が4連覇した年だ。ここから巨人はあと5連覇する。そんな川上監督下の巨人だ。
 巨人の星が幕を開ける長嶋の巨人入団は1958年のことなので、星は当時7〜8才と言うことになる。その時出会った花形満は、ブラックシャドーズという不良少年野球団のキャプテンだったが、すでに車を乗り回していた。金田正太郎もかくやという早熟ぶりだが、この花形は、高校ではわずかに星の1年年長に過ぎない。つまり車に乗っていたのは10才に満たない時期だ。昔のマンガはすごい。

 さて、直球しか投げられないのだから、いくら速いとはいえ、巨人が喜んで穫るとは思われないのだが、そんなこととは全く違う理由でテストを受けて入団した星には、川上自ら、永久欠番である背番号16を飛雄馬に譲った。

 カーブもフォークも(この頃は落ちるたまはドロップだったが、投げ方がフォークとは違う)投げられない星が、体重が軽いという理由でボールも軽いという、あまり物理学的な根拠のありそうにない理由で、それまでほとんど打たれることの無かった豪速球を、花形にわずか1回ホームランされただけで、野球生命を絶たれたと思いこんでしまう。

 せいぜい変化球を学ぶくらいの頭を働かせて欲しいが、金田正一でさえ、マンガの中で、変化球を覚えたいという星を怒鳴っている。何ともかわいそうな男だ。
 ところが、カーブもスライダーも投げられないのに、大リーグボールという驚異的な変化球をひっさげて星は帰ってくる。考えてみれば、父親の一徹が巨人を追われる原因となった魔送球は驚異的な変化球だ。
 後にその技術を使った消える魔球では、落ちたあと再びホップするという、驚異的な変化球を星は投げまくっている。だが彼にはカーブは投げられない。スライダーも、シュートも、フォークも。なぜなら勉強したことがないからだ。・・・それ以上の変化球は投げているのに。

 大リーグボール1号だけでも、きっと名球会に入れる。2号が有れば鬼に金棒だ。しかも針の穴を通すコントロール。きっと世界一の名投手だし、17才からやっていれば、200勝は軽いはずだ。
 しかし正確が災いして、20才という早い時期に野球界を去ることになる。

 尤もあとで復帰しているが。

 さて、そんな飛雄馬が、オズマに野球人形と言われ、野球以外に能がないと言われるのだが、彼は実は星雲高校へはいるときも、それほど成績は悪くない。日雇い人夫の子だという理由で、入学を断られそうになるのだ。
 この日雇い人夫という言葉は、一時期作品から削除されていた。差別用語らしい。日雇い人夫と日雇い労働者、あるいは日払いバイト、時給労働者・・・・人夫というのが差別なのだろうか?よく分からない。
 確か星は、大リーガーに「リトルジャイアント」と言われて、伴に意味を訊くシーンがある。伴は「高校中退は悲しむべき」みたいなことを言って意味を教えてやるみたいな行だったと思うが、リトルジャイアントはたぶん中学生レベルの単語だろう。たとえ昭和30年代でも。ましてや読売ジャイアンツの選手だ。

 しかも、このときの伴の高校中退者に対する見方の方が、日雇い何とかよりも、よっぽど差別的な気はするが・・・・
 これは、片手落ちなどという言葉が、差別用語と言いながら、ブスを差別用語とはしない社会と似ている気がする。片手落ちという表現を使っている人が、片手を失った人のことを考えていることなど、ほとんど無いと思うが、ブスは直接的だ。よく考えてみれば、どちらも身体的特質に係わる言葉だが、敢えて言えば、後者は主観が入るという点だけだろう。

 閑話休題。
 今回は差別用語について書くつもりなど無かったのだが。
 おれは野球人形じゃないという星が、悩みつつ町で知り合ったファンだという男とドライブに行く。
 こんなシーンがあったのは覚えていなかったが、野球人形でないことを証明するために飛雄馬は、このあと、年俸のつり上げや、アイドルとのおつきあいなど、無理をして、直後日高三奈という、一生に二度と恋などしないと言える相手に巡り会うことになる。

 その前のアイドルの名前がオーロラ三人娘の橘ルミだが、この3人は「クールな恋」という歌を歌っている。彼女たちのヒット曲だ。・・・・この「しゃらららら」は一度聴いたら忘れられない、ものすごい歌だ。
 最近ではテレビで何かの番組で使っているらしい。

 実はぼくもこの歌は巨人の星の中では、オーロラ三人娘以外は歌っていないと思っていた。
 ところが、前述したファンの男が、星を乗せて、さらにそのあと女の子をナンパし、海までドライブし、ギターを弾きながら「白い珊瑚礁」を歌い、これが青春だ、象徴的に演じたあと、当時流行っていたゴーゴークラブに星を連れて行った。実は橘ルミとのデートでも飛雄馬はゴーゴーを踊るし、最後の方では、不良番長のお京に惚れた左門豊作までが、ゴーゴーバーでモンキーダンスを踊るのだが。

 そのクラブで、実は本家本元のゴールデンカップスの「クールな恋」が流れているではないか。
 いや、ただそれを発見してうれしかった。
 それ以上のことではないのだが・・・・

投稿者 keisuke : | 21:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 9日

PASMOとか

 PASMOが誕生して半月、Suicaとの乗り入れで、関東圏の鉄道とバスは、だいぶ便利になった。
 関東圏というのは、単に他を知らないからだが。

 しかし、前から感じているし、前にも書いたように思うのだが、私鉄対JRという構図は、やはりおかしいように思う。東日本旅客鉄道株式会社だって、元は国鉄とはいえ、れっきとした私鉄だろう。
 最初から、私鉄というくくりでこういうユーザーフレンドリーな企画は考えてくれば良かったのにと思う。
 まあ、今となっては結果は一緒なので、改めていっても詮がないのだが。

 ぼくが利用しているのは京王線なのだが、京王は、パスポートカードという独自のカードを出していて、ぼくが持っているのは、京王グループでのみクレジットカードとして使えるものだ。提携カードの類があるのかどうかは知らないが、今時無いわけ無いのできっとあるのだろう。入会するとき、全く勧められなかったので、持っているのは京王オンリーのものだ。
 駅では今でもオートチャージのできるPASMOに、というキャンペーンというか、勧誘を行っている。
 実際最初は、京王のカードでPASMOを作ろうかとも、ちょっと考えた。そこで、聞いてみると、京王では(小田急とか、他の私鉄各社は知らないが)PASMOを発行してそこにオートチャージができるが、パスポートカードすなわちクレジットカードそのものをPASMOとして使うことはできないという。
 説明書をざっと見ると、チャージの方法も、2,000円だか3,000円を切ると3,000円のチャージという決まりがあるらしい。これがシステム的な問題だとはあまり思えないのだが、そういう決まりらしい。

 ところで、この非接触型ICカードの草分け的な存在でもあるSuicaは、しばらく前からVIEWカードと組み合わせて、VIEWスイカというサービスをやっている。これは、Viewカードを持っていれば、そのカードにSuicaとしての機能を付加できるというもので、今回、オートチャージにも対応した。
 つまり、ViewSuicaを持てば、別のSuicaはいらなくなるということだ。
 実はこの機会に、モバイルSuicaに変えてしまおうと考えていたのだが、モバイルSuicaは、オートチャージができないというので断念した。
 このオートチャージというサービスは、使ってみると非常に便利で、Suicaやパスネットの時は残額を気にしながら載っていたのが、必要なくなった。これができないのは痛い。

 Suicaでは、オートチャージの金額も自分で設定できる。
 まあそんなことで、京王のPASMOかJRのSuicaかという選択は、自ずとSuicaに軍配が上がり、現在はViewSuicaを使っている。
 ところが、財布に入れてそのまま財布で改札を通過しようとするのだが、うまくいかないことが多く、現在はカードを裸にしてタッチしている。さて、そうなるとこのカードがクレジットカードであることが逆に不安になる。さすがにクレジットカードを裸でポケットに入れて、無くしたりしたらどうしようという不安だ。

 クレジットカードに限らず、キャッシュカードやら、振り込みカード、ポイントカードなど、財布の中は、お金よりもカードの方が多いのじゃないかと思えてくる。診察カード何ていうのもある。
 だから、PASMOとして1枚カードが増えるのを嫌った訳なので、できれば銀行のキャッシュカードなんて、1枚で全銀行の分が済むようにならないものかなどと考えている。

 あるいは、ポイントサービスも、共通カードが1枚あって、各店バラバラでもいいから、その中に情報だけは入ってくれないかなとか、色々考える。
 もちろんそうしたときのディメリットは、簡単に思いつくだけでもいくつかあるし、簡単にはいかないだろう。しかし、それを超えても、カードは増えるばかりだ。

 クイーンズ伊勢丹のポイントカードがあるのだが、それには家族カードというのがあって、それは非常に小さい。つまりは、そのくらいのサイズにできるのかな?とも思わないではない。

 いや、クレジットカードなどの方が情報はたくさん詰まっているのかも知れないが、クレジットカードが生まれて何十年も経っているのだ、同じ情報を、もっと小さなカードに入れることも可能だろう。

 この黄金比率のようなサイズのカードを、もっと小さなカードにして砕けでも、少し違うのでは・・・・・と思っても見たが、所詮は付け焼き刃だ。
 やはり、1枚のカードに、複数の情報を入れて、簡単にできるのが望ましい。

 SuicaはViewSuicaという形で、少しだけそれを実現している。モバイルSuicaでもそれができたらもう一歩前進だ。
 
 京王のカスタマーサービスは、その点でJRに後れを取っているように思える。
 まあでも、なくさないように気をつけないとな。・・・・どのカードもだが。
 

投稿者 keisuke : 社会的 | 01:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 6日

Youtubeの政見放送

 昨日の続きのようだが、Youtubeに対して選挙管理委員会が掲載された政見放送の削除を求めたという。
 これは外山恒一のものだが、過激というか荒唐無稽というか、まさにエキセントリックではあるので、投稿されたものだろう。

 さて、削除依頼の理由がちょっと引っかかる。政見放送は、公職選挙法で回数が定められており、不公平だというのだ。
 そもそも、限定された時間に放送される政見放送は、偶然か、よっぽど興味を持って見ようとしなければ、特に地方選挙などの場合、見逃す。回数も決して多いわけではない。
 インターネットの普及率もこれだけ上がっている中、選挙委員会が選挙期間中、ストリームで流すくらいの事はして欲しい。
 不公平といえばむしろ、特定の候補者しか放送しないマスコミの報道の方が不公平だ。但しこの不公平は、必ずしも公平な報道を、国民も求めているとは言えないので、やむを得ない側面はある。

 選挙が大切だの何だのといいながら、投票率を上げるために行われているのは芸能人を使ったCMだったりする。
 ネット上で、個々のホームページではなく、選挙管理委員会が、立候補者の経歴だけでなく、マニフェストや政見放送を、いつでも自由に見られる環境を整えることの方が、より公平性も保たれるし、見たいときに見られる。
 選挙に行って欲しいのなら、行く側の立場に立った選挙改革が必要だ。いつまでも古い公職選挙法で時代にそぐわないやり方は変えていくべきだ。

 ポスターをぺたぺた街角に貼ったり、フリーペーパーまがいのものをポスティングしたり、それもなくなりはしないだろうが、数を減らして、その分をインターネットに回すべきだ。
 インターネットを使えない人もたくさんいるだろうが、使える人には非常に便利なわけで、少なくともその流れが逆行することはあまり考えられない以上、一日も早く、選挙運動に無駄なお金が、少しでもかからなくなるように、ネットワークを利用してもらいたいものだ。

 ・・・・といっても、お役所のコンピューター関係の予算を見ていると、とうてい世間相場でそれらのことができるとは思えないんだ名これが。ホームページだけで何千万もかかるなんて、考えられないからな。少なくとも現在の機能くらいじゃ・・・・
 
 

投稿者 keisuke : 政治・経済・行政 | 00:16 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 4日

都知事選

 来週の日曜日が都知事選の投票日だ。
 今回は14人も立候補している。立候補する前から100%落ちると解っていても、立候補するのは、果たして意義があるのだろうか?かえって無駄な税金がかかるのじゃないだろうか?何て思ったりする。

http://www.senkyo.janjan.jp/election/2007/13/00005580.html

 が都知事選に関して比較的詳しいページだが、易学者に風水研究家、勝訴証拠評論家(どんな職業だ?)にディレッタント(要するに遊び人?)、Youtubeで見られる外山恒一の政見放送など、思わず笑ってしまう。話題性はあるし、ある意味民主主義の最大の問題点を浮き彫りにもしている。

 今回の都知事選で、そもそもテレビが取り上げるのは、石原、浅野、黒川、吉田の4候補、おまけのようにドクター中松と桜金造、これは、どのテレビ局も同じだ。他の候補やその政策などに、テレビで触れているのを見た記憶がない。もちろん、インターネットでも何もない。街頭のポスターも見たことがない。
 彼らが何のために立候補しているのか、私には全く解らないし、意味も感じない。

 世論調査など出る前から、石原慎太郎と、浅野史郎が本命対抗なのは分かり切ったことだ。
 しかも浅野史郎は当初から煮え切らず、出るのかでないのか解らない。オリンピック問題も、最初は仕切り直しみたいなことを言って、反対と入っていなかったのに、今では堂々と反対し、民主党の支援もついに受けることにしたようだ。絶対に戦略ミスだろう。

 石原都政の悪いと思えるところはたぶんいっぱいある。個人的な発言や、考え方は、どうも自分自身とそぐわないと感じることも多い。でも、青島幸夫より、目に見える形で結果をある程度出してきたことも事実だ。

 桜金造だったか、「私は福祉しかやりません」といっていたような気がするが、それじゃ通るわけがない。東国原さんとは、同じタレントでもだいぶ違う。

 浅野史郎が強く言う情報開示はいいことだと思うが、それだけで都政が変わるとは思えない。
 
 都民としては、なかなか難しい選択だ。昔から、ドクター中松に一度やらしてみたかったのだが、さすがに年を取りすぎた感じは否めない。石原、黒川よりもさらに上だし。
 
 黒川紀章など、自分が金持ちであることを自慢しに来たとしか見えない。

 選挙というのは、国民が政治に参加することだとよく言う。
 しかし例えば現状で、ドクター中松に入れたとしたらどうだろう?その一票は絶対に無駄になる。これは間違いない事実だ。今の民主主義というのは、二つにせよ三つにせよ、それぞれの陣営が拮抗し、尚かつ対立軸がはっきりし、自らがどちらを支持するのか、という観点に立たないと、決してその国の政治に、少なくとも選挙という形で与することは難しい。

 しかも政治家は、当選すると、自分の主義主張が、全て国民に支持されたかのような錯覚に陥る、あるいはそう装う。

 今回の都知事選であれば、マスコミに取り上げられる4人のうちの誰か、もっと言えば、石原に入れるか浅野に入れるかの選択を迫られているわけだ。
 これはまさに、国政で自民党に入れるか民主党に入れるかを迫られているに等しい。それぞれがそれぞれの候補を応援しているからという理由ではなく、自民に入れるも民主に入れるも、ため息が出る難しい選択だというような理由による。

 でもまあ、「係わる」という姿勢、気持ちをなくすと、何も言えなくなるから、取り敢えずは投票に行こう。

投稿者 keisuke : 政治・経済・行政 | 01:17 | コメント (0) | トラックバック (0)