2006年9月29日
金髪
秋田市の学校法人「秋田経済法科大」が、茶髪とピアスを禁止する規則を作るそうだ。私立学校のようだから、そういう決めごとをすること自体はとやかく言うことではないし、現在の学生でない限り、嫌なら行かなければいいだけの話なので、あくまでこれは、経営者の判断次第のことだ。
さて、同じ日のニュースで、自民党の井脇ノブ子が、竹中平蔵の辞職による繰り上げ当選で、議員になる予定の神取忍の金髪に物言いをつけたというのがあった。
奇しくも学校関係者と議員から、金髪は「ノー」という意見が出たわけで、面白い。
こちらも、秋田経法大と同様、意見を言うのは誠に自由で、井脇議員の意見は意見として承ればいいことだが、さて神取忍が黒髪で来るのか、金髪でくるのか、あるいは奇をてらって別の色に染めてくるのかは、一つの楽しみである。
こういう記事には必ず、髪型よりも、議員としての云々というおまけが付いてくる。神取忍ごときに、いっぱしの政治家の腕を期待しない事を揶揄するような印象を受ける。
だが、それほどこのことは政治とは関係のないことか?
先日、東京地裁が、東京都の教育委員会が、君が代斉唱と国旗の掲揚を教職員に義務づけたり、しない職員に罰則を与えるのは思想の自由に違反するという判断をしたが、全く違うように思えて、実は金髪も国旗国歌も似ているように思える。
秋田経法大の方は、
『頭髪について「周囲に不快感を与える特異な髪形、染色、脱色は禁止」、装身具も「華美を避け、品位を保ち、ピアスは禁止」−読売新聞からの引用』
ということのようで、『指導に応じて改めた学生には褒賞金1万円が付いた学長賞を贈る』という、笑える処置もおまけに付いている。
確かに「いわゆる不良」といわれる人たちの多くは髪を染めたり脱色したりしている。だが、金髪や脱色、カラーの髪の毛の人間の多くは普通の人たちだ。ましてやピアスに至っては、自分がすることは金輪際無いが(痛そうじゃないか!)、今ではごく当たり前のファッションだ。
私には、この学校関係者が、自分たちが育った時代や、自分たちがこれまで身につけてきた価値観、善悪基準で、物事を判断しているようにしか見えない。単純に「古い」とかではなく、この世の中には様々な価値基準があり、それは時代とともに変わる。
新しいものが何でもいいわけではないが、古いものが何でもいいわけではない。
今回の自民党の総裁選挙で、教育改革というのが、国民の関心事項の非常に低い位置にいながら、3人供が非常に重要視をしていた。共通するのは、昔は良かった、だ。いや、言い方は悪いが、確かに昔は道徳教育など、今に比べればしっかりしていたようにも思える。戦前の人たちは修身などと、非常に厳しく教えられたようだ。
だが、今荒廃しているのは、教育現場ではない。世の中全体で、教育現場はその縮図に過ぎない。私が子供の頃も、まだ道徳という授業はあったし、きっと色々教えられてきたのだろう。覚えていないが。
前出の教育委員会と現場の教師の争いを見ていて、子供が規範とできるだろうか?
先日安倍総理の昔の話をテレビで流していて、教師が、日米安保はとんでもないといったようなことを言ったとき、学生の安倍は、経済条項はどうなんですか、みたいなつっこみをしたというのを見た。
そもそも教師、特に昔から日教組と、国は、犬猿の仲だし、日教組は共産主義よりだった。
共産主義がいいか悪いかよりも、人類には不適であることは、いい共産主義国家がほとんど無いことでも解る。少しでも人よりいい生活を願う人間が、共産主義に満足できるはずはない。
さて、話が逸れたが、毎日これだけテレビで放映されても飲酒運転が後を絶たないような社会で、子供たちだけに正しくあれと言っても、全てがそううまくいくわけではない。もちろん、正しく生きることは、必要だし、重要なことだ。
だが、髪を染めたりピアスをすることが果たして正しくないことだろうか?私には全く解せない。ましてや、「子供たちの模範とならなくては」などという、意味不明の関連性では、頭を抱えざるを得ない。
髪を染めることが良くない理由を、しっかりと論理立てて、多くの人が納得するように説明してから、それを禁止するなり、批判してもらわないと、何となく不良っぽいといわれているようで、子供はますます反発するだけだ。自分の子供時代に、そういう反抗をしたことが、彼らはないのだろうか?
染めた髪が不快なのか、金髪が不快なのか、日本人の顔をして金髪が不快なのか、論点も曖昧だし、一体どれほどが不快と思っているのか、それは「慣れ」の範囲ではないのか、ピアスはいけないが、イヤリングならいいのか、訳が分からない。
友人が、昔、「高校では化粧を教えるべきだ」といっていた。卒業して企業に入ると化粧が一気に身だしなみに変わるのに、高校時代はいかにも良くないことのように言われるという。
事ほど左様に、感覚に依存した規範というのは、決める側と守る側のギャップが大きい。あたかも自明のことのように金髪やピアスを否定する前に、もう一度自問自答して欲しい。日常的に哲学してくれないかな、彼らも。
投稿者 keisuke : 社会的 | 21:47 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年9月24日
おかたづけ
今日、片付けをしたのと一緒に、大幅な家具移動をした。・・・・って、大幅でもないか。
ソファと、テレビ、棚の位置を変えただけだ。でも、我が家は薄型ではないので、テレビも重いし、棚は中身を出し、分解しないと動かせない。分解しないと危なくて動かせない棚なのだ。荷物を置いている方が安定するタイプだ。
こういう作業も、確かに若いときほどの体力がない。
あ、でかい机も動かして、パソコンの位置も変えて、新しいプリンタの箱を2ヶ月近く経った今開梱した。
電話の位置も変えた。棚は二つあった。やはり大幅だ。
むかしから、時折こういう事をする。気分が変わるから良いし、合わせて掃除もできる。特に家具の置いてあったところなどは、良い機会だ。
しかし昔は、家具移動した後など、真っ先にオーディオを繋いだものだが、今日は未だに配線していない。テレビだけは見られるようにしたが。
理由は二つ。今はパソコンをまず使えるようにしなくてはいけないのと(これは仕事に差し支えるから)、そうすることで、音楽が聴けるからだ。オーディオ機器を通して音楽を聴くことは稀だ。
聴きたい曲を選ぶにしても、マウスでさっと選べるし、楽でいい。
オーディオの配線が面倒だ、というのはいつものことだが、男というのはそれがやはり楽しくもある。パソコンの裏側は、それに比べると楽だ。特にUSBが出てきてからは、昔みたいにシリアルだ、パラレルだ、SCSIだ、と考える必要がない。ただ、SCSCIのCD-ROMは持っているので繋いだところ、認識しないのでちょっと焦った。
私はパソコンを2台使っているが、仕事で使用する方の負荷を避けるため、常時音楽を流すのはもう1台のサブのパソコンにしているのだが、スピーカーは自分の前にある。今かかっている曲がなんなのだか、解らないときに、これまではちょっと左を見るだけで良かったのだが、今回モニターが遠くなった。
さっきも、聴いたことがない曲がかかっていて、良かったので見たら、ウイッシュボーン・アッシュのチャイルド何とか言う曲だった。自分で持っているCDだって、聴いたことのない曲はたくさんある。ウイッシュボーンは4枚目くらいまでしか出ていなかったのが、ある時期に紙ジャケットで大量に出た。
出ている分は全部買ったが、ちゃんと聞かずに、先日パソコンに入れた。それが掛かったのだ。新鮮だった。しかしほとんど歌謡曲だ。サンタナの歌謡路線をさらに歌謡曲にしたような、昔フレンチポップのような(フランス・ギャルとかの)、そんな曲だった。でもさすがにアッシュのギターはいい。ここまで俗なメロディーラインなのに、やっぱりいい。
さて、おかたづけ、実は終わっていない。でも明日だ。疲れた。
投稿者 keisuke : 日常的 | 01:09 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年9月21日
自民党総裁選
いや、9月初めてなのか。なんと怠惰な!!
自民党の総裁選があって、予定通り安倍晋三が当選した。日本の総理大臣を選ぶのだが、我々は全く関与できない。だが、今回の選挙は、国民投票をしても同じ結果になっただろう。だいたいにおいて選挙というのは雰囲気で、マスコミが報道という媒体で、その空気を伝えるので、だいたいそうなることが多い。
安倍家の家系を見ると、そうそうたるメンバーで、まあ、なるべくしてなったというようにさえ見える。タイのクーデターなどを見ていると、日本というのは、なんだかんだといってもいい国なのだなと実感させられる。
もちろん、その中にあっても、政治の力でもっと良くなることはたくさんあるはずだ。
安倍が繰り返し言っている、美しい国日本という表現は、政治のスローガンとしては、空回りしていて面白くない。自民党をぶっ壊すといった小泉純一郎はやはりすごかったと言うべきか。安倍もせいぜい、行政をぶっ壊すくらいの意気込みが欲しいものだ。ただ、小泉純一郎の後と言うことを考えれば、彼のような穏和そうな人物が選ばれるのもまた宜なるかな、とは思う。
総理が変わり、方針が変わったり、法律が変わったりする。年金問題なんて、これで大丈夫なんて何度も言って、決して大丈夫じゃない。朝令暮改とは言わないが、だんだん悲惨な方向へ進んでいるように見える。
そんな政治の世界で、以前、中曽根が辞めたとき、橋本龍太郎の頃に、比例区終身一位だかなんかのお墨付きをもらった事でぶつくさ言っていたが、そんなお約束をする方がどうかしているし、そもそもそんな非常識な約束など、あってなきがごときものだろう。
総理が変わったという理由で、世の中が極端に大きく変わることなどない。しかし、そう言う意味では、良きにつけ悪しきにつけ、小泉純一郎は大きな変革をもたらした。マイナスのこともたくさんあったが、むしろプラスのことが多かった5年間だったと思う。
竹中に対する風当たりは、野党ばかりでなく与党からも意外に強いというが、格差社会といわれるような世の中を作ったにせよ、バブル崩壊後の悲惨な状況から、それまでできなかった復興に大きく寄与したのだと思う。
世の中というのは、政治によっても個人個人の行動によっても、あらゆる事がいい方だけに進むなどと言うことはないし、いい方向というのも、誰にとっていい方向か、という対象を選ぶことなので、一概に善し悪しは決めつけられない。
最大多数の最大幸福というベンサムの言葉は、真実ではないとしても、間違った言葉ではないのだ。それによって全てが解決はしないが、一つの目的とすべきはその点なのだ。
民主主義の場合、多くは最大多数がいわゆる庶民だし、年収数千万円のごく一部のお金持ちからたくさん税金を取るのは、決して悪いことではない。
いずれにせよ、新総裁には、よりよい社会を目指して欲しい。よりよい社会を目指せば、今よりいろいろな意味で良くなるだろうから。
投稿者 keisuke : 政治・経済・行政 | 00:56 | コメント (0) | トラックバック (0)