2006年7月30日

Firefox と Thunderbird

 これまでメインのブラウザにNetscapeをずっと使ってきた。メーラーもそれに付属するものだ。
 かつて主流だったNetscapeが、あれよあれよという間にInternet Explorerにその地位を奪われてしまったのは、なんと言ってもOSとしてのWindowsが、世を席巻し、MacとWindowsしかほとんど一般の人が利用するOSが無く、その上、Office、特にWordやExcelといったビジネスに不可欠のソフトウエアとこみこみで、ビジネス用途として、勢力を伸ばしていったことが大きいだろう。

 アーティストと呼ばれる人たちが多く、Macintoshを利用していたことは、逆にWindowsにそれ以外のパイを取ることを許す結果となったし、GUIがうまくいかなかったUNIXは、結果、サーバマシンにLinuxという形で残る結果となった。Windowsは、今ではそのサーバのOSにもASPというツールで勢力を伸ばしつつある。だがここは、Linuxが、基本的にオープンソースということで、なかなかPCのようにはうまくいかないようだ。
 大手の企業などは、PCもサーバも社内にあったりするので、両方Windowsの方が良いと考える場合もあるようだが。

 さて、その結果、Windowsに同梱され、「インターネットを始めよう」という時点で、選択の余地無くIEが起動するという、もはや戦略と言うよりは、駅前の巨大なホームセンターであらゆるものを販売してしまうような力押しで、ブラウザ市場でIEは天下を取った。同時に、EudoraやBecky!などがあっても、やはりOutlookとOutlook Expressが市場の大半を握っているのだ。

 でも、百貨店が高島屋と伊勢丹だけではないように、ブラウザだって、IEがあれば満足する人たちばかりではない。
 私がネスケを使い続けているのは、ネスケがいいというより、IEがいやだった、という点の方が大きいかも知れない。特にここ最近は。Netscapeは4の頃は非常に良いブラウザだった。もちろん、機能的には現在の方が優れているが、非常に使いやすかった。
 Netscapeは、英語版はとっくに8.1になっているが、日本版は7.1以来アップグレードはない。サポートもない。不具合はある。といった感じで、黄昏れてしまった感じは否めない。

 先日Operaの最新ヴァージョンを導入して、なるほど軽くて使い勝手も悪くはない。しかし、Operaはブラウザだけでメールは移行できいない。
 そこで、ずいぶん前から気にはなっていたFirefoxを入れることにした(今更)。

 FirefoxはそもそもMozillaだから、Netscapeの兄弟なわけで、移行するときに、そのままNetscapeの設定を引き継いでくれる。設定画面もよく似ていて楽だ。
 Firefoxのメールクライアントは今回初めて知ったのだが、Thunderbirdというのだそうだ。これもNetscapeのメールと一緒で、使い勝手が変わらないために導入が簡単だった。メールのアカウントや設定も、ほとんど全て、そのまま引き継ぐことができた。

http://www.mozilla-japan.org/products/firefox/releases/1.5.0.5.html

 Firefoxは前記のLinuxと同じでオープンソースだ。つまり、能力ある一般雄志が、新たな機能を付け加えたりしながら、発展させていくことが可能なアプリケーションだ。IEなどのように、企業の都合で、突然Flashの表示が変になったり、十把一絡げでポップアップを制御したりとか、何だか、私のように少しばかり知識があるが、それほどでもない人間には非常に使いにくいものとは違う。
 もちろん、オープンソースであることにその理由があるのかどうかは解らないが、アップグレードや、拡張などが非常に自由度が高いように思えるので、いい。

 まあ、これからもFirefoxとOpera、IEを併用していくことは間違いないし、ホームページを作るときには、確実にIEでどう見えるかを確認しないといけないので、IEから離れることはできないわけだが、100年後もマイクロソフトがインターネットの世界のトップを走っているのかどうか解らないが、色々新しい技術や、試みが、企業以外のところからどんどん起こってくるところに、インターネットのおもしろさはあるので、ウイルスには注意しつつ、新しい技術には時折、視線をおいておきたいと思うわけだ。

投稿者 keisuke : | 21:54 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月25日

PASMO

 最近、利用している京王線の駅で、改札機の切符を入れる部分の上側に、紙が貼ってあったりする。これはSUICAが使えるようになるのかな?と思っていたが、とっくにニュースで、PASMOなる非接触型ICカードが作られることになったと言うことが発表されていることに、今更気づいた。

 http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/news/sub_n_20051221a.html

 すでにデザインも決まっているようだが、デザインの善し悪しはともかく、バス、私鉄、JR(JRだって私鉄だろう!)のどれでも乗れるらしい。当然SUICAもどちらでも利用できると言うことだ。
 来年の3月から利用開始ということで、これまで私鉄からJR?への乗り換えがめんどくさかったのも、楽になる。

 以前から思っているのだが、クレジット機能付きのSUICAは、クレジット機能と言いながら、SUICAの部分にいちいちチャージしなければSUICAの機能が使えないようだ(たぶん)。しかも、クレジットでチャージできる機械は大きな駅にしかない。しかも一つだったりする。意外にめんどくさいのだ。
 どうせクレジット機能付きなら、乗った分をクレジットで精算してくれれば楽なのに、と思う。明細に、日付とどこからどこまで乗ったという履歴が出れば、後々の管理にも都合が良いので、ぜひそうして欲しいものだ。
 まあ、そこまでするには、改札機での個人情報の管理とか、めんどくさい事があるのかも知れないが、今後PASMOも出るのだから、よりそんな機能が欲しい。

 ただ、普通のクレジットカードよりも紛失する可能性はとても高そうなので、難しいかな。
 これで長距離も乗れると、これ1枚あれば、日本全国旅もできる。ついでなので、国内線の飛行機も乗れると便利だ。クレジット機能があれば、タクシーも乗れるから、旅費はカード1枚でまかなえる。

 ついでなので、カードだが、最近はカードの枚数がやたら増えるので、複数のカード機能を1枚に集約できないものだろうか?
 せめてクレジットカードは会社ごとではなく、1枚にもているカード情報を入れられて、銀行のカードと一緒にできれば、財布が軽くなるのだが。カードばかりたくさん持っていても、百貨店のポイントカードだったり、普段ほとんど使わない銀行のカードだったり、無駄が多い。
 とはいえ、持っていないときに限って使う必要があったりするので、取りあえず携帯はしたい。

 携帯電話に全部付くというのもあるのかもしれないが、そのあたりは選択できるように、とにかくシンプルになって欲しい。どうせなら、近くのパン屋やCDショップのデータも入ってくれて、尚かつ私のような、普通免許証を持っていない人間の、身分証明になってくれたら、言うことないのにな。
 写真が入っていれば、カードが本人のものかどうかも判別しやすいから、サインも不要になると思うのだが。

投稿者 keisuke : | 01:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月20日

冷麺

 冷麺と言えば、韓国冷麺とか盛岡冷麺だが、私はあまり詳しくない。
 ただ最近、時々冷麺が食べたくなる。
 冷麺は焼き肉屋に行けば食べられるが、なかなか身近に、「冷麺屋」というのは見かけない。ラーメン屋でも冷やし中華はあっても、冷麺はなかなかない。

 また、冷麺だけ食べるために焼き肉屋にはいるというのも、なかなかしにくい。こうして、自ずと冷麺は、焼き肉のお供か、ランチで焼き肉屋、韓国料理店ということになる。お手軽そうで、そうでもない。

 盛岡冷麺と言うくらいだから、盛岡には冷麺を食べさせる店は多いと思うし、「盛岡の麺はわんこそばだろう」というつっこみは別にして、実際に多くの店があったように記憶している。

 それでも確かに、冬に冷やし中華がないように、単発のメニューとしての冷麺は、どうしても夏に偏りがちに売れそうだということは、想像が付く。
 たぶん今こんな記事を書いているのも、夏になり、暑い日が続いていたから、ふとそう思ったに違いないのだ。焼き肉を食べた後の冷麺というのなら冬でもいいが、ただ単に冷麺となると、それほど冬は思い浮かばないと言うことだ。

 近所に焼き肉屋が3軒、韓国料理が1軒あるが(探せばもっとあるのかも知れないが)、ランチで冷麺が食べられるのは韓国料理の1軒だけだ。
 わざわざ遠くまで食べに行きたくないという、自分のめんどくさがりがいけないのだ。
 先日、新宿高島屋の近くにある韓国料理で、牛しゃぶ何とか言う冷麺を食べた。美味しそうな名前だし、ちょっとランチには高かったのだが、注文した。キムチとナムル(もやしだけだが)、芥子とコチュジャン、お酢が別添えで付いた。
 不味くはないが、昼から1,300円払ってもう一度食べたいと思わせるものでもなかった。ただ店は綺麗で高級感があったので、店相応の価格ではあるだろう。繰り返すが、不味いわけではない。

 ラーメンとかそばとかパスタとか、麺類も色々あるが、麺というのも奥深いのだな、とこういうときに思い知らされるのだ。とてもうまいものが食べられて当たり前の時代、「たいしたことなかった」と思ったときにこそ、料理は奥深いと感じる。

 確かに世の中、不味いものを食べさせる店もある。味覚は個人差があるので、それでも美味しいと感じる人や、いわゆる味音痴な人はいるだろうから、それでもお店を開いているというのは、お客が来るということで、そういうものなんだろうな、というくらいな感慨がある。
 美味しい店は普通だが、普通と感じる店は、普通よりちょっと落ちるというのが今の感覚だ。
 先日渋谷のパスタ屋でパスタを食べたときも「普通」という感想だった。
 くれぐれも言うが、冷麺もパスタも、「普通」なのだ。・・・ただ、どちらもランチとしては少し高い。ホテルでゴージャスなランチを食べる一部の主婦の方たちから見れば安いかも知れないが、サラリーマン上がりの私には、ランチは高くても1,000円以内という小市民的な感覚がある。

 こういう奇妙な感覚は、女より男に多いような気がする。どうでもいい話だが。

 いずれにしても、「普通」の冷麺を食べたおかげで、「うまい」冷麺が食べたくなったというのがこの記事を書くきっかけなので、まあ、どこかでまた美味しい冷麺に巡り会えれば、その時記事を書こう。但し、あえて冷麺を探して食べ歩いたりしないから、いつのことやら・・・・

投稿者 keisuke : 料理・グルメ | 01:02 | コメント (0)

2006年7月 4日

99.9%は仮説

kasetsu.gif
 表題のようなタイトルの本を読んだ。光文社文庫で、竹内薫というサイエンス・ライターが書いている。結構ブルー・バックスなどにもたくさん書いている人で、気にはなっていた。

 結論から言うと非常に面白かった。
 この世には確定的なことはほとんど無いという理屈は、神の存在から科学万能まで、非常になめらかなグラデーションでこの世の有り様を考えることができるのと同時に、この世のあらゆる事は不可知論的に、実証不可能ということで片付けてしまう可能性を残している。
 
 しかし、ある意味それは、思考の束縛から自身を解放する一つの手段である。
 このほんの帯には「飛行機はなぜ飛ぶのか?」というキャプションがあるが、この本はまず、どうして飛ぶかは解っていないという切り口から入る。

 かつて、「定説です」というカルト団体があったが、この世の定説は、基本的には仮説に過ぎないというこのほんの本質は、だからこそ、新たな発見が毎日あるのであり、自分とは違う他人を尊重することが重要だと説く。

 まさに、ニュートン力学が相対性理論で近似値に格下げされても、日常的にはニュートンが支配しているのだ。それでも宇宙へ出て行くとき、そして将来や宇宙論を見晴るかすとき、ニュートンはアインシュタインに取って代わられる。
 アインシュタインだって、いつ他の誰かに取って代わられるか解らないということを否定できないとすれば、取りも直さず、相対性理論も仮説に過ぎないということの証明になる。

 この世には真理とか真実とか、定理とか公理とか、似たような言葉がたくさんある。
 デカルトが、「方法序説」の中で言った有名な「我思う、故に我有り」だって、それを前提にしなかったら、何も先に進まんだろう、という事であり、証明などできない。
 この世の全ては俺の夢だ!
 と誰かが言ったとしても、反証の余地はあるが、完全に否定はできない。

 何かを疑うという行為は、いい場合とよろしくない場合がある。
 オレオレに始まるような電話の詐欺は、まさに疑わなくてはならない典型だが、愛する人を信じられなくなったらおしまいだ。
 先日、10ヶ月拘留され、起訴までされたが、冤罪であることが解ったという事件があった。これも友人が彼を信じ、助けたということだ。

 この世には、神はいるかいないかとか、といった、ある意味心の問題と片付けるしかない事から、1+1は2のように、確定的なことがある。1+1が2であるのは、それが自然の摂理であるからではない。人がそう決めたからだ。1+1は山と決めていれば、1+1は山だ。
 だが、なぜ1+1が2になるように、この世ができているのかは、おそらく永遠の謎だ。

 あなたはこう考えるが私はこう考える。この世は所詮、それの積み重ねであり、その都度、より多くの支持を勝ち得てきたり、場合によっては力が強かったりで、多くのことが決まってきた。それでも、「盗人にも三分の理」以上に、人の意見には聞くところがあるものだという意識を、改めて強く持ちたいと思わせる書であった。

 読みやすいしお奨め。

投稿者 keisuke : 社会的 | 00:31 | コメント (0) | トラックバック (0)