2006年5月30日

寿命

 一人も暮らしの男性は寿命が何年とか短くなる・・・というのをテレビでやっていた。ちょっと見ただけなので、何年だったか忘れたし、結果も見ていない。

 よく「寿命が短くなる」とか、「寿命が縮む」などという表現を使う。もちろん、寿命が短くなるなどと言うのは方便だし、表現的には非常に意味がない。
 そもそも寿命というのは、人に限らず、「命の長さ」のことで、「平均寿命」という統計的な年数に意味はあっても、「寿命」単独では千差万別で意味がない。
 あらかじめ決まっているのが寿命なら、そこを基準に短くなるという表現は正しいが、死ぬまで解らない寿命が短くなるとか長くなるというのは、非常に曖昧だ。
 
 死んだときに、この年齢で死んだのは、何と何が原因だった・・・と思われるとしたところで、それが男性の一人暮らしに起因しているとはとうてい思えない。
 この世は因と縁によって成り立つ。原因があって結果があるといった、因果や因縁の律というのは、言葉としては仏教やその前の思想にたどれると思うが、これも実は、結果があって初めてその因果解ると言うことに近い。

 もちろん、屁理屈だ。しかし物事を論理的に考えるというのは、実は屁理屈の積み重ねであると思える。理屈と屁理屈の違いは、その理屈の価値の度合いで決まるわけで、あまり価値のないものを屁理屈というのだが、それでも理屈には違いないのだ。
 理屈は、物事を論理的に説明するための、いわば数学の証明のようなものなので、非常に明快だ。この世に理屈で割り切れないものなどない。あるとすれば、理屈の元を構成する、数学で言うところの公理の選択が間違っているだけのことだ。
 逆に言えば、理屈はあくまで、物事を説明する道具だから、結果から原因を導き出すという行為なのだ。すなわち、この世に因果律がある限り、全てのものは理屈で割り切れる。

 寿命が短くなるという表現は、本来それをしなければ生きられるよりも、短い人生で終わるかも知れないという示唆を表す言葉としては、いささか居心地が悪いような気がする。その前にまず、寿命を決めてくれという話だ。
 屁理屈は楽しい。

投稿者 keisuke : 無量大数 | 00:08 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月28日

マクドナルド

 今日、所用があって江東区の潮見というところへ行った。
 最初「汐見」だと勝手な記憶で、駅の検索をしたところ、飛行機を使っていくという順路検索になった。北海道の日高本線に汐見という駅があるからだ。結果的には京葉線の潮見駅だったのだが、思いこみというか、いい加減な記憶というのは、所詮いい加減なものだ。

 東京から三つ目の駅だが、海の方へ行くわけで、まさに湾岸の街だが、ビッグサイトや葛西臨海公園にも近い。地図で見ると、運河で囲まれた、いかにも埋め立て地という感じがするが、大きなマンションが建ち並んでいる。
 さてそこで実はマクドナルドが駅前のマルエツの一角にあり、ちょっと人待ちの間そこで時間をつぶした。実はそこで飲んだコーヒーがほとんどお湯のようでびっくりした。大きなサイズを頼み、たくさん入っていたのはいいが、飲みきるのはちょっとつらいかな?と思うほど薄い。冷めてきたら、多少緩和されたが、それでもいかがなものか。
 実際マックのコーヒーは、時折薄いことがある(いつもの薄差に比べても、さらに薄さの時があるということだ)。昔からマックのコーヒーは美味しいという評判は聞かないし、だからこそ、差別化ということでドトールやスタバが存在する訳なので、美味しいコーヒーを飲みたければ、同じファーストフードでもそちらへ行けばいいということになる。
 個人的には、スタバよりもドトールのコーヒーの方が好きだが、スタバは全店禁煙というすばらしい特典があり、禁煙席でも多少煙が気になる場合があるドトールよりも、店内で飲むならいい。
 他にもタリーズ・コーヒーとか、エクセルシオールとかあるが、さすがにハンバーガーショップよりもコーヒーは美味しいことが多い。

 かつて、大学生の頃、池袋などの喫茶店をよく利用していたが、よく「泥水」という表現を使ったものだが、最近はそこまでひどいコーヒーはあまりない。豆がよくなったと言うより、コーヒーメーカーが優れているからかも知れない。作り置きのコーヒーを温めて出すということは少ないのだろう。
 これから夏場になると、マクドナルドのホットコーヒーは、需要が減る分、夏でもホットを頼む私などにとって、時間が経って不味くなったコーヒーを飲む機会が増える。
 などと、別にマクドナルドへの不満を書きたいわけではない。

 たまたま今日飲んだコーヒーが薄かっただけで、少なくとも店員は感じよかった。
 私が住む笹塚にはマックがない。幡ヶ谷か、明大前まで行かないとない。代わりにファーストフードは、ロッテリア、ケンタッキー、ファーストキッチン、ドトール(2軒)、エクセルシオールなどがある。結構あるのだなと思うが、実はマックに出店して欲しいのだ。
 私は朝マックのメニューが好きで、以前から、昼間のメニューと朝メニューを交換して欲しいとさえ思っている。別にマックのハンバーガーは大して美味しくない・・・・いや、こどもの頃、まだマックも今ほどない頃、夢のように美味しいと思ったときもあったが、35年くらい前の話だ。

 ファーストフードという手軽なショップは、非常にありがたい。もちろん毎日食っていたら体に悪そうなイメージはいつまで経っても変わらないが、でもなんだかんだと利用するのだ。1杯500円とか、場合によって1000円を超える美味しいコーヒーもあるが、500円くらいの喫茶店のコーヒーでは、自分で淹れたブルックスの方が美味しいことはよくある。1杯19円で飲めるとすると、500円あまりに高い。
 それでも、1000円でもいいから飲みたいコーヒーは確かにあるのだ。しばらく行っていないが、新宿の但馬屋などもそうだった。きっと探せば100軒くらいは簡単に出てくるのだろうが、「わざわざ」そういうことをするのが性に合っていない。
 
 たまたま飲んだコーヒーが非常に美味しかった。これが私のスタンスなので。・・・・いったいマックの話なのかコーヒーの話なのか・・・

投稿者 keisuke : 料理・グルメ | 23:46 | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月25日

駅ナカ

 駅ナカというのは改札を通った後の駅構内の商業施設のことだが、上野や品川など、多くの駅で本屋から雑貨など、様々な商業施設が並んでいる。東京駅のJRの乗り換えなどの通路は、どちらかというと相変わらず、土産物店などの方が多いような気もするが、品川などは、結構いろいろな店があるように思える。本屋などをのぞくと、普通の本屋よりも圧倒的に混んでいる。立地という意味では、これほどいい場所もなかなかない。

 石原都知事が、こういう商売をしていながら、駅は公共施設ということで、固定資産税が他の施設よりも安いのは不公平だと発言した。約三分の一だそうな。
 それに対してJR側は、客の利便性とか何とか言っているようだが、今回ばかりは石原都知事の方が明らかに正しい。
 駅そのものは確かに公共施設だし、優遇されている意味も解るが、キオスクや一部の小さな施設を超えて、下手をするとそこで必要な買い物の多くがまかなえてしまうような場所であれば、それは普通の商業施設だ。しかも集客を鉄道がしてくれる、非常に高立地な場所だ。普通より高いくらいではないのかと思っていたくらいだ。
 しかも利用してみると、他より安いわけでもない。レストランの一部など、明らかに一品一品作っていると言うよりは、見えないバイキングのような気がする。味もまあ、駅だからこんなものだ、と言うところが少なくない。

 駅前商店街の反発ということもテレビでは言っていたが、それはそれ、これはこれだ。確かに駅前商店街は大変だろうが、ブックオフのできた近所の本屋とか、ネット通販の台頭とか、他にも大変な原因はあるだろう。しかしいずれにしても、ここの対立のみは、消費者の利便性や、有用性が最も大きな理由付けになるので、石原都知事の話とは次元が違う。

 石原さんという人は、私はあまり好きではない。実行力はあるし、これまでの都知事よりは目の付け所もいいが、記者会見などで見せる、あの人もなげな態度や、思想的に合わない部分があるためだ。
 だが、今回のようなことをびしっと言うあたりは、やはり評価しなくてはいけない。
 
 駅ナカが便利になったと言って、新宿や渋谷はそうでもない。新宿などずっと工事していて不便だし、埼京線のホームなど、どんどん南にずれているような気がする。乗り換えがめんどくさい。施設を多く作るのはいいが、乗り換えなどには影響して欲しくないものだ。

投稿者 keisuke : 社会的 | 00:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月22日

共謀罪

 国会で共謀罪の成立に向けてもめている。
 政府案に自民党の修正案を不安がるテレビニュースをよくやっている。曰く、マンションの建設反対で座り込みの謀議をしたら、それだけで捕まるとか。
 民主党案は、懲役4年という政府案の共謀罪適用犯罪を5年にしたり、国際犯罪に限るという修正案を出しているが、どうも通りそうにない。

 実はよく分からない法律の一つで、例えば、座り込みなんていうのは、それで工事を妨害したからと言って、刑法で4年もの懲役刑になるのだろうか?
 そもそも決めようとしている雰囲気の与党の強引さのうさんくささは、非常に我々の生活にマイナスになりそうな様子に充ち満ちているが、と言って、マスコミの報道も、非常に憶測に満ちて、しかも何か曖昧だ。
 居酒屋で上司が気にくわないから殺してやろう、と言ってどう等したら共謀罪の適用があるかもしれない、というのも放送していた。本当か?平成の治安維持法か?
 国際条約のためだけにやっているというような批判もあるが、相当数の国が参加する条約で、単純にアメリカ主導の条約でもないようだし、実際にテロの驚異はある。
 サリン事件は国際犯罪なのだろうか?そうでないとすれば、サリン事件のような犯罪が起こったときに、民主党案の共謀罪では適用範囲外になるのだろうか?そのあたりもよく分からない。

 NHKは、お笑いや歌番組などやめて、1チャンネル全てを使って現在決めている国会の法律や何かを、説明付きで放映するようなことをやって欲しい。できればデジタルのオンデマンドならなおさらいい。ネットで調べるの結構時間がかかるし大変だ。もっと気軽に知れればいいと思う。受信料で運営するのなら、視聴率なんてどうでもいいだろう。
 また国会も、あらゆる議論を、ネットで中継してもいいのではないか。本会議だけでなく、それぞれの委員会も全て。そうすれば少しは、今よりいろいろなことに触れる機会も増えるし、ありがたい。

 さて共謀罪だが、やはりよく分からない。そもそも共謀と言ったって、非常に曖昧で、「このミステリを読んで同じように人を殺しました」と言ったら、小説だって共謀しているように見える。・・・というくらいの曲解を、マスコミは国民にさせようとしているような気がして、おかげで自民党の、愛国心を声高に標榜するような議員さんたちが、一気に決めてしまうのを結果的に座視するしかないような気がしてくる。

 ま、きっとそれだけ曖昧なことを書いた法律だと言うことになると、あまり意味がないようにも思えてくっるな。

投稿者 keisuke : 政治・経済・行政 | 01:01 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月20日

 一天にわかにかき曇り・・・・というこてこての小説のフレーズがぴったりの雨だった。
 朝からいい天気で、気温も上がり、半袖でもいいような陽気だった。風だけが強く、窓を開けていると棚の上のものを吹き飛ばしそうな、ある意味、それだけが不穏な兆しだった。付近のマンションなども、洗濯物や布団を干している風景がちらほら。
 4時近くなり、気づくと外が暗くなっている。東の空は青空だが、西の空にはいやーな黒い雲がもくもくと・・・・雨が降るかなと思わせた、それからまもなく、最近では経験のない西風に乗って、雨粒が窓と網戸をたたいた。あわてて窓を閉めた。
 たまたま出かけなくてはならず、大粒のちょっと激しい雨脚に、商店街はあわてていた。特に店先に勝因を出している八百屋などは、半分諦め気味に商品を片付けたり、覆いをかけたりしていた。
 足下にもすぐに水たまりができ、靴とジーンズの裾をぬらした。

 天気予報とはたいしたものだと、普段は当たらないとよく言われるが、そうでもないと思い直す大雨だった。このところ雨が多く、日照が少ないが、今日の雨は割合気持ちのいい雨だった。
 外に引っ越し屋の車が止まっていて、朝からの晴天は、少々暑いが引っ越し日和であった。しかしこの雨はちょっとかわいそうな気がした。通り雨にしては時間も長かったし。

 そういえば先日、ふと思った。
 ロンドンなどは曇りの日が多いと言われるが、もし日常がほとんど雨というのだったらどうだろう?
 月に1日か2日しか太陽を見ることがなく、夜空にも星が見えなかったら、だいぶ違った日常になることだろう。
 アイザック・アシモフの小説に「夜来る」というのがあるが、これは何千年だか何万年に一度の夜が、ある惑星に訪れることを描いた小説だ。
 自然の営みというのは、人間の日常ばかりでなく、文明や文化に大きな影響を与えてきた。たかが雨、されど雨なのだが、毎日の中では単に、出かけるときは雨は降らないで欲しい、その程度のものなのだ。

 ともあれ、雨が降った後は少し気温も下がり、過ごしやすくなった。まずは重畳。

投稿者 keisuke : 日常的 | 23:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

キヨスク・・・ではないが。

 今日、ちょっと出かけたときに、駅で連れの女性が携帯用の充電器を買った。600円也。
 ところが買ってすぐ、パッケージを見て、FOMAで使えないと書いてあったので、返品を申し出た。その間、わずか10秒程度。すると売店のおばちゃんはにべもなく、「だめです」の返事。
 すぐに僕が出て行って、今ここで買ったばかりで開けてもいないのに何でだめなの、みたいなことを言ったら、おばちゃんは気圧されたのか、すぐに返金しようとした。・・・怖がられて、悪者になったような気分がしたが、商品が並んでいるところを見ると、別のが会って、彼女に聞くと、それで使えると言うことだったので、100円足して、それを購入した。

 結果的に、物理的な問題はなかったのだが、彼女は甘く見られたのか?と疑心暗鬼になっていた。
 現実問題として、もし僕がいなかったら、そのまま泣き寝入りしていたかもしれない。わずか600円だが、それでいいわけがない。

 そのおばちゃんに、個人的に含むところもないし、たまたまだと思いたいし、あるいはマニュアルに、「返品は受けない」ということでもあるのかもしれない。しかし、いやしくも商売をしようというのであれば、顧客のなんたるかは、たとえパートであれ何であれ、しっかり教育しておくべきだろう。
 確かに駅の売店だから、競争相手がいない。必要であればまたそこを使う。しかし、だからといって、客をないがしろにしてはいけない。
 ラッシュ時の忙しいときならいざ知らず、昼間で、さほど混んでもなかった。

 それほどいやな思いをしたわけではないが、釈然としない出来事ではあった。

投稿者 keisuke : 社会的 | 02:16 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月17日

ダーツ

 ダーツを買った。ダーツとか、ビリヤードとか、室内で比較的気軽にできる遊びは好きだ。ビリヤードはそれほど手軽ではないかもしれないが、ダーツは狭い場所でもまさに手軽にできる。
 かつてケーブルテレビを入れている頃、何回か海外のダーツの番組を見た。
 だから何となく解るような解らないような、というのがダーツのゲームに関する知識だ。

 購入したのは、電動でゲームの得点をカウントしてくれるタイプだ。英語でしゃべる。「ぷれーやーわん」とか、「ぶらぼー」とかだ。
 ダーツの経験など、お祭りか遊園地程度で、いわば射的みたいなものだ。
 テレビの番組のルールは、得点が減算されていき、0になった方が勝ちというゲームだったと記憶している。解説書に依れば、01というゲームの種類で、一番オーソドックスらしい。

 実際にやってみると、まず第一にダーツ盤を掛ける壁がない。賃貸なので、なかなか穴が開けづらいというのもあり、苦肉の策で、エレクターに引っかけた。どうにかなるもので、距離感も悪くない。

 TBSのフレンドパークでは、回転する板にダーツを投げて、商品をもらうというのをやっているが、家ではあれほどの距離を取るのは難しい。実際には、2.3mと解説に書いてあったので、畳1.5枚と言うところだろうか。そこまではとれていないかもしれない。

 投げてみると、なかなか難しい。刺さらない。
 このダーツは、盤面が格子状になっていて、その隙間にダーツの矢の先が刺さる仕組みなので、考え方に依れば、その格子の十字になった部分に、まともに当たれば、はね返される道理だから、普通の板のダーツよりも、わずかに刺さりづらいと言うことはあるかもしれない。
 ま、しかしそんなことは言い訳に過ぎない(言い訳の多い男なので)。所詮は上手くないということだ。

 論より証拠、数ゲームをやるうちに、少し慣れてきて、ほとんど刺さるようになってきた。
 要するに、強さと角度を間違えなければいいのだ。

 だんだん、いいところにも当たるようになってくる。が、なぜか未だに中央の赤い部分にはいっこうに刺さらない。その周辺の細い緑の部分には刺さり、サイレンみたいなおとを放つのだが、中央には刺さらないのだ。

 ゲームと言えば、テレビゲームがとにかく主流だが、おもちゃ屋に行けば、人生ゲームだって野球盤だって、まだ現役で、しかも積んである。それなりの人気があるということだ。
「はまる」ということが、意外に少ないので、ダーツもその例には漏れないと思うが、時折気づいたときに遊べれば、最もいい感じがする。

 そういえば、先日、ルービックキューブをもらった。1面は簡単に揃うのだが、それ以降、どうにもならない。かつてのブームの時でも、ほとんどさわったこともないので、ルービックキューブ・デビューなのだが、どうもこちらは、揃う気がしない・・・・

投稿者 keisuke : 日常的 | 02:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月12日

iAudio

 CowonというメーカーのiAudio-M3というのを購入した。いわゆるiPodもどきだ。
 私は本体で操作をしないし、ビデオも見ないので、液晶画面が付いていて価格が高くなるのなら、ということと、録音ができるのでこれを選んだ。
 こういうポータブル・オーディオと言えば、iPodというくらい、iPodの知名度は圧倒的で、かつてのソニーのウォークマン同様、商標が商品を表しそうな勢いである。
 尤も、かつてのポータブルカセットがソニーでもシャープでも松下でもウォークマンと言っていたのとは違って(メーカーは別の言い方をしてほしかったに違いないが)、現在はiPodは明らかにアップルの商品のみを指している。
 ソニーがAtracで、オーディオ圧縮のシェアと著作権保護の二つをねらってがんばっていたときに、大容量のiPodは普通にシェアを持っていたMP3とMacで培ったデザイン製で、さっさと市場を席巻してしまった。おかげで、iPod用のアクセサリは山のように販売されているが、多メーカーの商品はほとんど出ていない。
 ポータブルオーディオと言って、その機能は、メモリタイプで128Mb程度のものから、60GBのハードディスクタイプまで様々だが、5GB程度のハードディスクタイプは最もコストパフォーマンスが低いように思える。そこそこ値段が高い割に、ハードディスクタイプとしては、容量が小さいからだ。
 ハードディスクは、基本的にフォーマットが必要だから、なんだかんだで、容量の数パーセントをシステムに取られてしまう。
 標準的なMP3であれば、およそ1分1MBだから、128MBで、約2時間、アルバムにすれば2枚くらいが収納できる。60GBのものだと、60000分はいる計算だから、アルバム1枚60分で計算すれば、1000枚が収納可能だ。
 そもそも何曲はいりますというメーカーのうたい文句はよく分からない。1曲1分かからない曲から、ジョン・ケージの曲や、ニーベルングの指輪などは別にして、1時間くらいかかる曲はいくらでもある。

 まあ、そんな話はいいとして、私が買ったのは20GBのハードディスクタイプだ。現在、パソコンに取り込んだ音楽は、最近、MP3のVBRという方式で取り込み直しをしているので、ファイルが非常に大きく、100GBを超えている。実際にはCDの音質よりもよくならないはずだし、自慢のオーディオは、パソコンに付いている小さなスピーカーなので、さほどビットレートで音質が変わるとは思えないので、気休めだ。
 だがさすがにそれでコピーしたのでは、せっかく20GBを買っても、あまり収録できない。
 そこで、これはハードディスクタイプにしてよかったところだが、パソコンから、MP3Proに変換して、収録している。これだと、通常のMP3よりも、小さなサイズですむのでありがたい。ただし、さすがに時間がかかる。仕事や何かをしている間、こつこつと、もう1台のパソコンで、取り込みをしている。
 もちろんそれでも全部はいらないので、同じ曲は、極力演奏一つにするとか、ロックやポップスは、必要な曲だけに絞っている。

 ポータブルで1テラくらいの容量があるか、圧縮をさらに10倍くらいにできるようになれば、確かに自分の持っている音楽のほとんどを携帯できる。・・・・どこで聞くんだ?という感じだが、家にいても、それで再生できる。非常に便利だ。

 それにしても、マーラーだけで8GBある。どうせ聴かない音楽をたくさん持っていると言うことなので、やはりランダムにして、思わぬ曲の再生をねらうしかない。
 しまった・・・・毎日書いていないのに、また音楽の話だ・・・

投稿者 keisuke : 音楽 | 01:36 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月10日

千円札

 印刷局の印刷ミスで、自販機に通りづらい千円札が4万枚ほど流通したという。印刷局の人が謝っている場面をニュースでやっていた。
 とはいえ回収しないと言うところを見れば、お札として流通上の瑕疵があるわけではないようだ。
 4万枚というと、人口を割ると、3000分の1くらいの確率で手元にくることになる。まあ、ほとんど来ない可能性の方が高い。さらにその中から、自販機で使用する確率となるとさらに低くなる。

 現実問題として、自販機にはね返されるるお札は、意外に多いのではないだろうか。折れていたりしなくても、なぜかはいらないという経験を、多かれ少なかれ持っている人は、非常に多いと思う。これは紙幣だけではなく、硬貨でもそういうことがある。自販機というのは、そういうものだと思っていたりする。

 何度かやってだめなら、他のお札を使う。せいぜいその程度だ。
 とすれば、印刷ミスはよろしくないとしても、今回の効果というか、影響は、ほとんどないと言ってもいいのではないだろうか。
 
 確かにニュースでやるようなことなのだが、ニュースでやるほどのこともないという、不思議なニュースだった。

投稿者 keisuke : 社会的 | 01:00 | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年5月 6日

iTunes

サントリーのウーロン茶のキャップに付いている懸賞に応募したら、iTunesからの1曲ダウンロードというのが当たった。サントリーはウーロン茶が売れて、アップルは廉価でiTunesの広告ができるという、なかなかうまい宣伝だ。

 iTunesから曲をダウンロードするには、そもそもiTuneのソフトをダウンロードしなくてはならず、それをインストールした。1曲なので、何をダウンロードしようかと、リストを見ていたのだが、ニュースで聞いたiTunesのDLの回数からすると、少なくとも日本向けの内容はお粗末なものだ。結果的に欲しい曲が見つからなかった。
 以前、so-netに入会して、こちらもキャンペーンでsonic-stageというソフトのサイトから10曲ダウンロードできるというサービスでは、10曲ダウンロードした。実は今回のiTunesが持っている曲の多くは、どうもSonic-Stageと非常に近い気がする。今時、水原弘の全曲集がどちらにもあるというのは、他の品揃えを考えても、おかしい。まずは、ダウンロード販売にOkを出すアーティストやメーカーが限られているということだろうか。
 尤も、クラシックはSonicの方が充実していたような気がする。
 曲名を入れても何も出てこないので、クラシックは何も出てこないと言ったら、「ジュピターとか、そんなのしかないんだよ」と言われたので、「木星」と試しに入れてみたら、海上自衛隊・・・と出てきた。????何で?という感じだ。

 音楽配信という、あたかもCDが明日にでもオンラインに駆逐されそうなお話を時々聞くが、現状を見ると、Top100ばかりを聞いている人には、あるいはそうなのかもしれないが、そうでない人間にとっては、永遠の向こうにそれはあるような状態だ。
 しかも、クラシックのダウンロードを見て笑えるのは、オペラのものだ。例えば、「フィデリオ」なんかがあったりしてびっくりするわけだが、通常オペラは、ポピュラーの1曲1曲に当たる部分が、場面や曲の展開に応じて、ケースバイケースで区切ってあるが、この全てで音楽が切れているわけではない。
 確認したわけではないが、そのそれぞれのトラックがばら売りされているような印象を受けた。少なくともアリアだけではなさそうだった。

 ダウンロードで手に入れた曲は、CDがないわけだから、パソコンがクラッシュしたり、ファイルが壊れたり、誤って削除してしまったらそれで終わりだが、その割には少々お高い。
 また、iPodなどのポータブル・オーディオにコピーできる回数も決まっていたりする。どうも顧客の都合はあまり考慮されないままに、新しいテクノロジーだけが前に進んでいるいい例のような気がする。しばらく前に書いたが、DVDのリージョンというのと同じだ。

 確かに違法コピーなどは、著作者にとっては、頭の痛い現象ではあろう。しかし、例えば漫画や雑誌の貸し借りは日常茶飯だし、それはCDなどにしても普通である。この程度は私は著作権侵害だとはとうてい思えない。著作物の販売というのは、そのあたりのことを加味して販売されるべきだし、友人同士の貸し借りなんていうのは、とても安価な宣伝に過ぎない。
 著作権者の権利や収入は守られるべきだが、あまりにそちらに重点が置かれ、顧客の便利が阻害されるようでは、本末転倒である。著作物に限らず、収入源の全ては、それを利用する顧客あっての物種なのだ。スポーツであれ芸術であれ、行政であれ、コンビニと根っこは一緒だ。

 話は逸れたが、iTunesはまだまだ使えないというのが本音だ。今のところ、CDを買ってパソコンにコピーして、というのが、私にとっては順当な使い方だ。輸入盤も、ネットでかなり自由に手にはいるようになったし。

投稿者 keisuke : 音楽 | 02:07 | コメント (1)

2006年5月 3日

新庄の襟

 先日の日本ハムとソフトバンクの一戦で新庄がシャツの襟を大きく出して出場し、王監督やソフトバンク側からクレームが出た。結局審判団が「マナーの問題」という、何ともオールマイティな言葉を使って今後はだめという判断を下した。
 元々新庄は、続けて同じことをするつもりはなかったかもしれないが、「もうやらない」ということになったらしい。審判団は「違和感」を感じたらしい。

 私の印象は、「髪を黒く染めてこい」という高校生と教師の会話のように見えた。
 曰く、「青少年に与える影響・・・・」
 などというあたりがどうにも解せない。どちらかというと、新庄めあんなことばかりやりやがってという、単なる腹立ち紛れにしか見えない。
 新庄のファンサービスが、野球をショーにしてしまっている部分は確かにあると思う。定めし星一徹なら、「男たる者、浮き足だって、ちゃらちゃらした女みたいなことをする出ない!命をかけた男と男の勝負、試合が全てぞ」とでもいうかもしれない。

 今度のことは、ネクタイをしないで、評論家の怒りを被ったかつての堀江と似ていなくもない。
 私は野球をしないし、ほとんどしたこともこれまでない。しかし観るのは好きだし、ヤクルトファンだ。そして少しだけアンチジャイアンツ。巨人阪神戦を伝統の一戦などというのを聞いていると、古けりゃなでも伝統かい、とヤジを飛ばしたくなるような、心の狭い男だ。
 だが、今回の新庄のスタイルは、個人的には「違和感」は感じないし、シャツの襟のボタンを外し、なぜかきんきらのネックレスをしている選手などよりも、「きちっと」して見えた。
 しかしそもそも、そんなことが大事なのではなく、あんなことで青少年への悪影響をいうなら、この世の報道などは、なべて悪影響を及ぼしている。

 球場で両軍選手が入り交じって乱闘をしたり、相変わらず巨人中心主義の野球放送や、細かいところはともかく、体質そのものは何も変わったようには見えない野球界こそ、糾弾されてしかるべきだ。
 むしろ新庄の様々な(やり過ぎがあったとしても)パフォーマンスは、日ハムに関する限り、ファン獲得の大きな動力源であるし、それに簡単に水を差してしまう世界の王が、少し小さく見えた。

投稿者 keisuke : スポーツ | 02:41 | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月 1日

焼きラーメン

 永谷園から「焼きラーメン」が出て、何度かCMを見、食べたくなって買った。醤油味とソース味があるが、個人的な好みは圧倒的にソース味で、これは旨い焼きそばだ。CMで一度食べたら癖になると言っていたが、確かに癖になっている。
 乾麺の焼きそばは日清とか何社かから出ていて、これも好きなのだが、焼きラーメンソース味の方が圧倒的に旨い。尤も値段がまるきり違うので(通常で倍、安売り時を考えると、7倍くらいする)、から、当然と言えば当然だ。
 ソース味の焼きラーメンは、中華屋の水分の多い焼きそばだと思っているのだが、実際のところ、焼きラーメンの発祥は博多の屋台だということらしく、東京でも食べられるところは何カ所もあるらしい。
 例えばカップ焼きそばが、普通の焼きそばとは違うように、焼きラーメンも、お店で食べるのとは違うのだろう。機会があれば必ず食べてみたい。

 ところでこの焼きそばという代物、ソースだったり、塩だったり、あんかけだったり、そもそもは何なのだろう?元々中華麺だから、中国発祥と言うことであれば、塩炒めかあんかけのどちらかのような気がする。塩炒めは焼くというより炒めなので、面を実際に焼いているあんかけが、オリジナルかもしれない。
 ソース焼きそばは日本オリジナルのようなのだが、事典を見ると、焼きそばで町興しをしているところがあるという。秋田県の横手市、群馬県太田市、静岡県富士宮市がそうなのだそうだ。
 まだ最近のことのようなので、昔横手に行ったときにはそんな雰囲気は全くなかったように思う。
 宇都宮が餃子で有名になったのにヒントを得たらしい。それぞれ食べてみたいものだ。

 今回食べた焼きラーメンは、私個人としてはあくまで焼きそばで、なぜそういうかというと、かつて荻窪の教会通りの中華屋で食べたソース焼きそばを思い出すからだ。今は閉店してしまって食べられないのだが、その店に行くと、8割方焼きそばを食べていた。20年以上も前の話だ。
 荻窪から千歳烏山に引っ越し、再び荻窪に来てしばらくしたあたりで、いつの間にか営業をやめていた。残念だ。今のところ、新たな住まい、笹塚には美味しいソース焼きそばの店はない。あ、あくまで私の好みでだが。
 今回の焼きラーメンはその好みに近い味を体験させてくれるのでうれしいわけだ。
 あ、醤油味はいまいちだ。

投稿者 keisuke : 料理・グルメ | 01:59 | コメント (0) | トラックバック (0)