2006年3月28日
ある愛の詩
「ある愛の詩」といえば、ライアン・オニールの70年頃の映画と相場は決まっているわけだが、実は今日、TBSでDoCoMoドラマスペシャルと銘打って、同名のドラマが放送された。
タイトルから言っても、私が見るようなドラマではないのだが、実は、知人がエキストラで出るというので、観た。そして無為な2時間を過ごした。
テレビドラマの黎明期でもあるまいに、よくぞここまで頼りないドラマを作った!と言いたい。ドラマのTBSが泣く。「渡る世間・・・」でも観て、考察し直した方がいい。
ストーリー展開の甘さとご都合主義は、まるで日本テレビの「ベタなドラマ・・・」をそのまま観ているのではないかと思うほどひどい。
原作にどれほど、ドラマとしての作品が負っているのかは知らないが、私が原作者だったら、泣くに泣けない。いや、実は原作そのままだとしたら、それはそれで・・・・
何のために出てきたのか解らないNo.1ホストを始め、悪い父親ぶって、全くただの平板な父親でしかない神田正輝(いや、逆にあの妙な物わかりの良さは、悪い父親なのか?)
浅野ゆう子が、「いつ私がミラノって言った?」という台詞に至っては、もはや救いようがない。
しかも、田舎者のたくみ君に無理矢理DoCoMoのテレビ電話を持たせるという、スポンサーのためにだけ作られたこのドラマの、ありようがさらに腹立たしい。
そういう意味では、おぎやはぎのCMだけは面白かった。
声楽コンクールも、あれで一等賞はないでしょう。少なくとも私にはそう聞こえた。綺麗なだけの声で、ディーヴァは片腹痛い。
いっそのこと、主人公が沖縄に行った時点でたくみ君の死体が浜辺に流れ着きでもすれば、少しは昔の「愛の詩」に近づけたかもしれない。
それと、結局あの中越典子はどんな役回りだったのだろうか?小道具以上の役回りではない。あ、それはイタリア帰りのピアニストも一緒だが。
訊いてみたら、エキストラに加わった友人の部分は、一カ所はカット、もう一カ所はカメラからはけていたという。二重の意味で意味のない二時間だったわけだ。
TBS、水戸黄門の方が、100倍よくできているぞ。
投稿者 keisuke : 映画 | 00:33 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年3月19日
予想外の出来事
WBCでアメリカが負け、日本が準決勝に残った。棚ぼた、という感じだが、確かに世の中には、良きにつけ悪しきにつけ、予想外の出来事というのがある。
事実は小説よりも奇なりとか、そんな言葉もあるが、livedoorなども株を買った人たちにとっては、まさに予想外の出来事だったに違いない。
予想外という裏には当然のことながら「予想」がある。WBCでは、韓国が全勝し、日本は2敗していた。アメリカとメキシコを比べれば、アメリカの方がどう見ても強い。現に一次予選ではアメリカが勝っていた。
などの情報から、日本の準決勝進出は難しいという予想ができる。その予想が裏切られたことで予想外という。
これは言ってみれば、かなり可能性の高い確率の事象が、その通り来なかったと言うことだ。しかし確率というのはやはり蓋然性でしかなくて、必ずそうなるわけではない。「事実は小説よりも・・・」と同様、青天の霹靂とか、思わぬ事が起こることの喩えは、意外に多いようだ。
サイコロを振って、1から6までの目が出る確率は6分の1ずつだ。でも6回降っても均等には出ない。その不確実さが実は確率なのだな、と思う。ましてや人の意志や力の絡む世の中のことは、確率や予想だけでは全てをまかなうことができない。
アイザック・アシモフの小説に「銀河帝国の興亡(または「ファウンデーション」:Foundation)という小説がある。この中で、ハリ・セルダンという学者が、心理歴史学という学問を提唱している。個人個人では予想が付かない将来も、全体の歴史なら予測ができ、それに応じた対処もできるというような学問だ。
昔からこれは、非常に理にかなっていると思っていた。心理歴史学とまで言わなくても、集団心理や、国家間の問題は、実は個人の問題よりも扱いやすいのではないかという気がしたからだ。
だが、ベルリンの壁が崩壊し、ペレストロイカがあり等々、意外に集団の歴史というのも予想が立てづらいものなのだということを歴史が証明している。
20世紀の物理の2大発見と言えば、相対性理論と、量子論だが、量子論の世界では、素粒子の場所が特定できない。この不確定な素粒子がまとまって社会を構成しているとすれば、予想外ということの根本は、実は素粒子レベルでの何かに関連しているような気がする。あるいは、だからこそ世の中はうまく機能しているのかも知れない。
確率通りにしか事が運ばない世界では、多分進化もなかったのだろうな、と思ったり・・・
投稿者 keisuke : 日常的 | 00:00 | コメント (1) | トラックバック (0)
2006年3月17日
WBC
WBC2次リーグで、日本は韓国に負け、事実上準決勝への進出の道を閉ざされた。イチローが一人、なぜか感情を爆発させ、気を吐いた。
考えてみれば、アジア予選でも韓国に負け、2次リーグでも誤審があったにせよアメリカに負け、さらには再度韓国に負けた。
原因はきっといくつもあるだろう。大リーグで活躍する一流選手を中心にチームを作る韓国に対し、松井や井口が参加を拒否する日本チーム。理由はどうあれ、これは韓国と日本の国民性の違いが非常に大きいと思う。国際試合などで、おそらくは太平洋戦争の敗戦後、挙国一致ということへの反動が、日本という国家の牙を抜いたのは否めない事実であろう。
国家を称揚する韓国チームと、日本という御旗が非常に形骸化している我が国とでは、こういった国際試合などでの選手も、国民も意識は低い。もちろん、それが悪いというわけではない。
バレンタインが日本チームを応援するように、ところ変われば立場も変わるし、所詮はスポーツだ。
結果的に今江のエラーが敗北の最も大きな、直接的な原因に見えても、そんなことで今江を責める人は余りいない(おそらくいるのが事実で、そのことは個人的には悲しむべき現実、という気がする)。
あるいはヒットを打たれた藤川を責める人もいるかもしれない。また、9回裏にホームランは期待できても、安打可能性としてはそれほど高いとは言い難い新井をピンチヒッターに送った王監督を責める人もいるかもしれない。個人的には、松中の代走に青木ではなく、ピンチヒッターに青木を使ってほしかったのだけれど。
全体的に、手堅い野球ではなかった気はする。アジア予選は、韓国意外にはイケイケだったので、そのせいもあるのかもしれない。
スポーツだから、しかも団体戦だから、勝敗は自ずとある。楽天だって全敗するわけではないし、以下の強いチームでも全勝はしない。勝敗は兵家の常とも言う。
韓国チームはベスト4にはいると兵役が免除になるから必死だったという話も聞く。そういう側面も全くないわけではないだろう。
ただふと見ていて思ったのは、トリノオリンピックで金メダルを取った荒川と、必死で金を追い求め、転倒してしまったスルツカヤの姿が、地道な韓国と、最初から優勝優勝と言い過ぎる日本に重なって見えたのは、私だけだろうか?
投稿者 keisuke : スポーツ | 00:38 | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年3月13日
花粉症
花粉症なので、この季節はつらい。寒い冬が終わり、ようやく暖かくなる頃が、一年で一番つらい。
昨年は花粉が過去最大だとかで、非常に心配していたが、体質改善のためにヨーグルトを食べ続けていたせいか、何とはなしに軽くなっていた。例年の数倍飛んでいる中で、例年より軽いわけで、それはとりもなおさず改善したと言うことに違いない。
しかしそれからあまりヨーグルトに精進していない。それで今年は心配していたが、去年よりだいぶ少ない飛散量、しかも例年と比べても7割程度だという。ではまあ安心だ、と思っていたが、そこそこくる。
どうやらヨーグルトが中途半端ではなかったのかと、がっかりしていたら、どうやら去年より飛んでいるらしい。それでは、ヨーグルト効果は続いているのかもしれない。
以前は薬がなくてはいられなかったが、昨年からは薬を飲んでいない。マスクは手放せないが。
花粉症にツクシが効くと聞いた。効くなら試してみたいが、根が無精なのでまだ探していない。もちろん、ツクシそのものではないだろうから、エキスや、薬や飴と言うことになろう。そんなんで治るなら試してみたいとは思う。
いずれにしたところで、なんか遺伝子治療とかで、根本的にアレルギーを治せるようにならないものだろうか?21世紀というのはそんな夢のような時代だと、子供の時は思っていたのだがな・・・・
投稿者 keisuke : | 01:27 | コメント (3) | トラックバック (0)
2006年3月12日
県名のイントネーション
今日山手線で、夢うつつに「次はおおさき〜」というアナウンスを聞いていてふと思った。
大崎はおおさきと頭にアクセントが置かれる。以前、「にいがたと、頭にアクセントを置いて言ったときに、それはおかしい、新潟県は「にいがた」だと、言われた。平板なイントネーションのことだ。
ふとそれを思い出した。そこで、県名を思い浮かべてみると、おもしろいことに気づいた。
例えば、大分県は県をつけると平板な「おおいたけん」だが、県を外すと「おおいた」となる。
試みに北から県名を思い浮かべてみると、北海道は除き、「青森」「山形」「福島」「茨城」「埼玉」「千葉」「東京」神奈川」「山梨」「石川」「静岡」「岐阜」「滋賀」「和歌山」「奈良」「三重」「京都」「大阪」「鳥取」「岡山」「広島」「山口」「徳島」「福岡」長崎」「佐賀」「宮崎」「熊本」「鹿児島」「沖縄」は、県が付いても付かなくても平板なイントネーションが一般的。
「秋田」「岩手」「宮城」「群馬」栃木」長野」「富山」「福井」「愛知」「香川」「高知」「愛媛」は、県が付くのと付かないのでイントネーションに変化がある。
この違いは、実は、県名が3文字かどうかなのだが、3文字の県は「県」が付くと付かないとで違いがあるのだ。
さて、ここに漏れている県がいくつかある。「新潟」「兵庫」「大分」だが、小お3県は文字数で言えば、4文字だが、2音目が伸びるので実際には3音か3音半と言うことになる。「兵庫」は上の例の3文字と同じ変化があるが、残りの2県は変化してもしなくても使える。「にいがた」でも「にいがた」でもありだし、「おおいた」でも「おおいた」でもOKだ。ただし、一般的にはこちらの方が多いかな?というのはある。
しかし、宮城は「みやぎ」であり、群馬も「ぐんま」なのだ。県が付かない場合には平板なイントネーションは取らない。
ここまできれいに揃うと、これは日本語のルールなのかな?とも思えるが、確かに3文字は頭にイントネーションを置くケースが多い。これは、3拍子のリズムがそうだと言うことと関係があるのかもしれない。
もちろんこんなことは発見でも何でもないかもしれないが、たかが車内アナウンスで気づいたことが、ちょっとうれしい。あ、それだけのことだ。
投稿者 keisuke : 文学・日本語 | 00:42 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年3月 9日
PSE
最近テレビのニュースなどで話題になったので、初めて知った「電気用品安全法」という法律がある。
家電製品などにPSEというマークが付いていないと、個人取引は別にして、売買ができないというものだが、中古品販売業者などが、猶予期限の延長などを、経済産業省に求めている。
PSEマークがつけられるようになったのが2001年からだから5年間の経過措置ということになるが、例えばうちのテレビは94年製造だ。当然PSEなんていうマークは付いていないが、きれいに映る。電化製品の寿命など、長ければ10年以上は軽く持つはずだ。オーディオなんて、何十年も前のものが貴重がられたりする。
これらが公然とは売買できなくなるという法律だ。
うがって考えると、これからは中古業者を介さないで、ネットオークションで個人売買しなさいという法律だ。といって、冷蔵庫や洗濯機はどうもうまくそこにはまらない気もする。
物余りの時代みたいな表現はバブルの頃だったろうか?三種の神器とやらで冷蔵庫や洗濯機、テレビがもてはやされた時代から半世紀が経ち、リサイクルなの法律ができている裏で、こんな法律が施行されていたのだ。
家電が火を噴いたりする場合、それは中古か新品かはあまり問わないように思う。もちろん、PSEが付いているということは、メーカーが責任を持つということだが、では付いていなければ責任を持たないのかといえば、先日のナショナルの件もあるが、大手のメーカーは責任を取らないでメーカーの印象を悪くするよりも、きちっとした顧客対応をして好感度を上げる方を選ぶ時代だ。尤も、三菱ふそうのエンジンみたいな例もあるから、全てがOKな訳ではない。
ただいずれにせよ、中古業者を通じた商品は、あらかた誰かがしばらく使っていた物で、安全性は保たれている物が比較的多いような気もしないでもない。
何でも日でも一様に法律で縛っていくのは「構造改革」などと、わざわざ竹中直人を使って高いCM を流している政府としては、なにやら時代に逆行する雰囲気も漂う。
2001年以降の製品にはPSEが付いているから100%安全と、政府が保証しているわけでもない。であれば、その印の有り無しだけで、何かを規制するということは、どうやらお役所らしい非常に枠にはまった、お間抜けな対応のそしりを受ける部分もあろう。
経済産業省の担当が、「周知が十分ではなかった点は反省・・・」とテレビで述べていたが、彼らの反省はどう見たって口だけだ。この場合必要なのは、「反省」ではなく、「謝罪」でもない。
現実に即してどうなのかをしっかり再調査して、法律の適用を柔軟に対応させることではないんだろうか。
危険運転致死罪なんて、甘々の法律が、酒飲んで事故を起こした全員に厳密に適応されるならともかく、こっちは軽くて、せいぜいリサイクルで、ゴミを減らす役に立っている中古品の流通を否定して、さらにゴミを増やすような法律を、頑迷に遵守させようというのが、実はこの国のありようなのだ。
国会で賄賂を渡したメールが偽物だったかどうかなどという些細なことで議会が空転しているような、目端の利かない議員さんたち(自民党はうまく利用しているのかもしれないが)が、国を牛耳っているのだから、やむを得ないのかな・・・・・
こんな厭世的な気分が、実は投票率を下げているっていうことなんだがな。
個人的にはPSEが制定される以前の家電は、個人の責任で購入する限り、販売業者も扱っていいというのが、非常に論理的に見えるのだが・・・・
投稿者 keisuke : 政治・経済・行政 | 00:59 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年3月 5日
セキュリティソフト
パソコンを新しくしたのだが、DELLの製品は、比較的余計なソフトが入っていなくていいのだが、Corelのいらないお試し版のグラフィックソフトとか、Macfeeのやはりこちらも3ヶ月試用版のセキュリティソフトなどが入っていた。
グラフィックソフトの方は、2ヶ月試用版ならない方がいいので、こういうサービスはさっさとやめていただきたい。せめて選択方式にして、必要なお試し版を選べるか、基本的にはいらないので、アンインストールする手間を省いていただいた方がいい。
さて、そこでセキュリティソフトだが、こちらは好むと好まざるとに関わらず、必要なのでやむを得ない。
以前はシマンテックのアンチウイルスが入っていたが、今回はマカフィーのものが入っていた。
購入した直後、ネットに接続する際に、入っているのはいいことなので、購入するかどうかは別にして、何らかのウイルスソフトは必要だろう。
もっとも最近は、以前とは違ってウイルスソフトではなく、セキュリティソフトだ。ウイルスの駆除や防止ばかりでなく、ファイアウォール、アンチスパムなど、インターネットの様々な驚異からパソコンを守るための機能が満載されている。
一番売れているのはトレンドマイクロのウイルスバスターだと聞いたことがある。このウイルスバスターと、シマンテックの製品は、多くのパソコンに購入時どちらかが入っているに違いない。さらにマカフィーのものが、これはほかの二つと同じくらい古いと思うが、日本ではなじみが薄かったが、最近は台頭してきているということかもしれない。
実は私はこれまで古いパソコンではウイルスキラーというソフトを使っていた。比較的軽く、ほかのソフトに与える影響が少ないのと、あまり余計なメッセージが出ないためだ。
今回マカフィーのヴァージョンは、2週間だけ安いとか、余計な情報が右下にいきなり出てきて非常に煩わしかった。また、せっかくのお試しだったので、他のお試しも足して、パーフェクトな状態のセキュリティにしたところ、ネスケでメールが一切できなくなった。あわてて最後に足したのを削除するとまたできるようになったが、いかにセキュリティが万全であろうと、作業に差し障りが出たのでは困ってしまう。
この上位3社は価格も5千円前後で、しかも機能ごとに別料金なので、全てそろえると1万円程度はかかりそうだった。これは年間の額だ。自動車保険というのは、運転している人間というより、対人や対物といった被害者の救済に役立つために意味のある保険だが、ウイルス対策というのは、どうも得心がいかない出費である。
確かにそこにある危機なわけだから、防がなくてはいけないが、それが非常に大きなビジネス市場になっているというのが、いってみれば本末転倒というか、やるせない状況な訳だ。
ウイルスキラーというのはe-frontiaという会社から出ているもので、どんどん安くなり、他の会社が備える全ての機能を備えて、2年で1980円という商品だ。安かろう、悪かろうかもしれないが、なかなかこればかりは検証がしづらい。
導入して、何らかのセキュリティ上の事故があって初めて役に立たないということは分かるが、役に立っていることはなかなかユーザーサイドは判断しにくい。ただしこれは、全てのソフトに共通するので、一つウイルスキラーのみのことではない。
今日出かけたついでに、その新しいヴァージョンを購入しようとして、ヨドバシに行ったのだが、なぜか売り切れていた。数も少ないからというのは当然あるが、情けない。店員に説明を乞い、親切な説明の中でソースネクストのが軽いという風に聞き、それを購入した。こちらは1年で1980円。それでも圧倒的に安い。ファイルを暗号化するソフトが同梱されて2980円というのを買った。万が一を慮ったということだ。
ただ、パスワードを忘れるとファイルを元に戻せません。という恐ろしいメッセージがあったので、とりあえずでふぉるのの設定を外して使っている。意味があるのかないのか・・・・
いずれにしても高くて他のソフトに影響が出たり、煩わしいメッセージが出るセキュリティソフトは嫌いだ。
投稿者 keisuke : インターネット・PC | 00:17 | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年3月 1日
哀愁のヨーロッパ
いやあ、久しぶりだ。別に暇になったわけではないけれど・・・
このところ、なぜか「哀愁のヨーロッパ」が好きだ。もちろん、サンタナの「Europa (Earth's Cry Heaven's Smile)」のことだ。聴く人によれば、ムードミュージックというかもしれない。
最初の出逢いは、たぶん高校生の時だが、かっこよかった。
今でもテレビで、妙なシーンでたまに使われるので、この曲の評価というのが、日本ではこういう感じなのかな、とは思うが、「哀愁のヨーロッパ」とはよくつけたという感じだ。ある意味ネーミングの妙を感じる。ただし妙なシーンの妙とは意味が違う。ギターによる名曲の一つだと思うし、モデラートのメトロノームに導かれるような出だしから、最後のプレストで、フェイドアウトしていくところまで、余さず好きだ。
たまたまMDに入っていて、外出時に聴き、久々に虜になった。
サンタナはこの後、「Revelations(哀愁のボレロ)」「Moonflower」という似たような路線を書いていて、どちらもそれなりに楽しいが、Europaほどではない。哀愁のボレロに至っては、ネーミングセンスを疑う。
三つ子の魂百までというが、昔好きになった曲というのは、なかなかどうして捨てがたく、長く聞けるものが多い。
私は、自分自身が、クラシック、ロック、歌謡曲、ジャズ、と幅広く聴けることに感謝している。といって、キャパシティには自ずと限界があるので、ある程度の年齢になると、最近流行の曲の多くは、聴けないというよりどうでもよくなる。新たに探さなくても聴きたい曲がたくさんあるというのも一つの本音だ。
また、クラシックというジャンルはやっかいなもので、同じ曲を様々な演奏家で楽しむという喜びを与えてくれる。しかも曲が長かったりで、自ずとほかの音楽に割く時間は短くなる。
その中でこれだけ回数を聴く曲というのはやはり貴重なのだ。わずか5〜6分の曲だが、気分がいい。
数年前にグラミー賞を取り、復活してきたサンタナだが、往昔の輝きはない。
投稿者 keisuke : | 01:39 | コメント (0) | トラックバック (0)