2005年11月28日
皇位継承権の問題
少し前に有識者会議(何とも怪しい名前だ)で、皇位継承問題について一定の方針が出された。
今後は女性でも長子であれば皇位を継げるし女性の後続は外に出ないでもいいというようなことらしい。
男系とか女系とかいうことで、皇室は男系による皇室の歴史を、ここで簡単に変えていいのかという趣旨で、女性天皇がいけないのではなく、女系を認めることがいけない、これは女性差別ではなく、歴史と文化だ、みたいなことをのたまう。
本当にそうか?男系の正当性を主張する人が、あたかも男系であれば一本筋が通るというように言っているが、それはそもそも、これまで女性天皇が出たときの、その後の天皇を男系で決めてきたことに由来するわけだが、女系になったら何が変わるのかが、私にはよく理解できない。
誰だかが染色体の話を持ち出していたが、それはきっと冗談だろう。冗談でなければ、そもそも染色体のセの字も知らなかった当時の歴史や文化とは相容れない理屈だ。
いずれにしても、男系でなければと言うのは、男を家の中心とするものの考え方が根底にあるからで、先祖のたどり方が、常に一方向だと言うことである。現在の皇太子が天皇になれば、皇后の祖先も天皇の祖先となるわけで、男系であろうが女系であろうが、常に近親相姦を繰り返さなければ、妙な伝統などは守れるわけもない。
天皇が国民の象徴であるなら、誰がなるかというのはそれほど問題ではないような気がする。
いつも書いているが、伝統や文化というのは守ろうとする人と壊そうとする人の相克で、どちらにせよ、常に変化しているのだ。昔のように、天皇を政争の道具にしたり、そもそも天皇が戦ったり、暗躍したり、歴史の中では一様ではない。神武天皇がどんな人だったか、存在したのかさえ、私はよく知らないが、そもそも戦いで勝ち取った君主の座であるに違いないし、中国の帝や西洋の国王と大差はない。運良く伝統がなぜか長く続いたというだけのことだ。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言ったのは福沢諭吉だが(但しどんな文脈でこの言葉が出てきているのか、私はよく知らない)、天皇もいつの間にか象徴という位置に置かれ、昔のように国民の上に君臨しているわけではない。
この君臨という言葉は、まさに君主が国民を睥睨している感じが良く表れた言葉だ。
おそらくは伝統を守るか、変貌させるかの二者択一論なのだ。であれば私はほとんどの場合、後者に与する。何でも変わればいいとは言わないが、こと「伝統」という言葉に裏打ちされたものは、変化こそ相応しいと思っている。
個人的には天皇制に賛成でも反対でもない、非常にニュートラルと言えば聞こえがいいが、どちらでもいい人なので、結果がどちらに転んでも文句は言わないだろうが、「有識者」が出した結論は、十分に支持に足るものだという気がしている。
多分、勉強不足の部分はたくさんあるだろうが、元々国民の総意がこのことを決めるとすれば、国民の多くは、天皇制の意味や意義、ありようなどに対しては、それほど不快知識を持ち合わせているわけではない。そしてその総意が、天皇を象徴して支えていることだけは間違いない。
投稿者 keisuke : 政治・経済・行政 | 00:21 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年11月22日
ものを書くセンス
生協の白石さんが話題だが、話題になるだけに、なかなかいいセンスでものを書いていると思う。というより、これは切り返し、とかの分野かも知れないが。
文章というのは読者に何かを伝えるための手段だが、上手い下手や、技術的な問題の他に、いわゆる美文とか、味とか、様々な意味で個性とセンスが要求される。
もちろん、万人に受けるセンスなんていうものがあるとは到底思えないし、ある程度きちんと書かれた文章であれば、少なからず共感を受けられるとも思う。
しかしその中で、より多くの支持を受ける文章というのがあって、特にエッセイ的な文章はそれが大切だ。小説のように、そこにストーリーや設定など他の要素が大きくかかわってこない分、内容よりもむしろ、センスそのものが重要なポイントのように思える。
何となく興味を引きそうな文章とか、読んでいるだけで時間をつぶせる文章とか、いずれにしても、読者をいい気持ちにはさせているのだ。
確かに、それだけではない、もっと深いとか、難しいエッセイやコラムも多々あるが、文章の洒脱さとか、同じことを言うにしても、その持って行き方、言い回しなど、様々な側面から、センスのいい文章書きというのはいるものだ。
何にせよそういう人には憧れるわけで、私のように理屈でしか物事を判断できない人間にとって、そういうセンスは願っても得られない天性のものなのかなあ、うらやましいなあと思うばかりなのだ。
投稿者 keisuke : 文学・日本語 | 02:14 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年11月18日
釈迦
瀬戸内寂聴の「釈迦」という文庫を読んだ。
瀬戸内寂聴自体が初めてで、多分今後も読まない予感はあるが、「釈迦」は面白かった。
元々仏教関係の書物や、キリスト教関係の書物は好きで、よく読む。当然今回もタイトルで買った。
弟子のアーナンダの一人称を中心に釈尊の最後の旅を描きながら、仏典にある釈迦と仏教教団のエピソードをうまく織り込んでいた。特にエンディングはよく書けていて、ああ、この人はこういう作風なのだ、と思わせてくれた。
この作品は、まだ最近の作品のようなので、瀬戸内寂聴が出家して大分経ってからの作品だ。恐らく満を持して、という表現が当たるような作品なのだと思う。尼僧が釈迦を描くというのはそれなりの思いがあるだろうから。
釈尊教団の中での女性の位置というのは、あまり正当ではないと思う。元来、人間社会は多くの場面で、女性は男性よりも一段下だったり、汚れていたりという扱いを受ける。
女性の持つ色香が、その持ち主の価値を下げるものなのか、それに惑う男がいけないのかは難しいところだが、確かに宗教的な側面から見れば、修行の妨げになるのは間違いない。仏教的にいうなら、煩悩の最たるものであろう。
私は手塚治虫の作品の中で最も好きなのは「ブッダ」と「ブラックジャック」だが、ブラックジャックが好きなのは、いつものスーパーヒーローが好きな、私のステレオタイプの漫画嗜好に過ぎないが、「ブッダ」の方は若干違っている。「ブッダ」の中で、特にタッタとパンダカという、手塚のオリジナルキャラクターが、好きではないのだ。つまり、あれは非常によく描けてはいるが、仏典が持つエネルギーを手塚が超えられなかったのだと私は思っている。そして、仏教譚としては非常にエネルギッシュなのだ。
寂聴の「釈迦」は、非常に静かで、悟りに近い雰囲気が非常に良く伝わってくる。
釈尊が、この世を苦しみといい、この世は美しいという。この二律背反の中にこそ、生き方の神髄があるように思える。
仏典の中に、自分の子供を亡くした母親が、仏陀に生き返らせて欲しいとすがる場面がある。仏陀は、誰も死んだことのない家から芥子の実をもらってくるようにいい、そうしたら生き返らせてあげると告げる。母親は必死で探すが、誰も死んだことのない家など存在しない。人の死は誰にでも訪れるものだと言うことを理解した母親は仏陀に帰依するという下りだが、昔から私はここがどうも納得できない。
確かに死は誰にも訪れるし、この本の中にあるように、人は死するために生まれてくるのだ。生まれた瞬間から死への行進を始めるのだ。だが、そうだとしても、この世に姓がある限り、その長短は意味がある。少なくとも、赤子で死ぬか、成人するかだけでも大きな違いだ。
それを、死は誰にでもという、いかにも共通のプラットフォームである最後の瞬間だけに集約させて諭すというのは、神の国に生まれ変わるという論旨で、この世の生を儚いものにしてしまう多くの宗教と同じように、欺瞞にしか見えない。
もちろん、実はそこを超えて、別の意味はある。この世が苦に満ちていると説く仏教の教えは、そこを原点とし、だからこそこういう生き方が正しいという筋道を立てることに成功しているので、それは、人の死を諦観ではなく、静謐という心の動きで受け止めることを可能にする。
前段の話も、実は死んだ子供は返ることはないという受け入れを、母親にさせるための方便でもあるわけだ。この世が苦に満ちているのは、一軒平等であるような人間が、実は不公平に生まれ、育ち死んでいくことも含めているに違いない。誰にでも共通に訪れる生老病死だが、その様相は個人差があるのだ。
だが人が獲得した考える能力は、その中から悟りを生むこともできる。
「この世は美しい」という仏陀の言葉は、まさに、この世を美しいものと捉えるも、苦に満ちていると捉えるも、実は往々にして表裏一体であることの謂いであると、私には受け取れた。
投稿者 keisuke : 文学・日本語 | 23:44 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年11月17日
保険
テレビのCMというのは、どのくらいかかるのだろうか?
保険会社のアリコはほとんどテレビを見ない日でも、確実に1回以上見ている気がする。全CMの1割くらいがアリコではないかと思うくらい、よくやっている。しかもそこそこな芸能人を沢山使っている。
あれだけCMを流して、なおかつ、保険料が戻ってきたり、健康ボーナスがあったりと、いったいどうなっているのかと思うほどだ。
少なくともあれだけのCMを流すほどには非常に儲かっているわけで、普通に考えれば、結果的に支払う額の方が、受け取る額よりも少ないからだという風に推測できる。あるいは、よっぽど運用益が上がっているかだが、そうなのだろうか?
先日人から聞いた話では、50才から80才まで入れる保険は、テレビでは医師の診断もいらなくて、誰でも入れるようなことを言っているが、断られたそうだ。テレビは嘘なのか誇大広告なのか、どこかに小さく書いてるのかどれかだろう。
まあ、保険というのは何も入っていないと不安なものだが、かといってあまり高い保険にも入りたくないというのが人情だ。
地震で起きた火災は、火災保険では下りないというのは有名な話だが、そもそも保険というのは、まず第一に、保険会社が設けるためにこそ存在していると言うことだ。これはあらゆる職業がそうであって、まず第一に利益を上げるために企業は存在しているのだ。
利益が上がらなくては、サービスなどできるはずもないし、保険だって支払いができるわけもない。まずは会社と社員の利益(村上ファンド流であれば株主の利益も)、があって、その後に保険料の支払いが来るのだ。現実問題はその逆で、経費を差し引いたのが利益であろうと、ものの考え方は、そうではない。
だがそれでも、あれだけのCMを流す金があるのなら、健康ボーナスを40万円から50万円に上げるとか、月々の払いを安くするとかに使って欲しいと思うのは人情だ。
あ、でも私はアリコの保険には入っていないのだが。
投稿者 keisuke : 社会的 | 01:33 | コメント (1) | トラックバック (0)
2005年11月16日
電気カーペット
今日電気カーペットを買った。ソファの前に小さいのが欲しかったのだ。
店でホットカーペットはどこにと訊いたのだが、ホットカーペットはどうやら商標のようらしい。店の人にも十分通じるが、商品には電気カーペットとある。電気絨毯というとなんだかしびれそうだが、電気カーペットなら温かそうだ。
1畳用からあり、大きいものもあるが、買ったのは1畳用、それでも少し大きいくらいだった。自分の足下にも時けばいいのだが、上を、キャスターの付いた椅子でごろごろするのは具合が良くないということで、大きいものは断念した。
1畳用のものは、その多くがセンスが悪い。子供の頃着ていたセーターの柄のような模様が付いているものが多い。何でなのか解らないがそうなのだ。
結果的には無地のものが変えたので良かったが、あの、一部の趣味を代表したような柄はどうにかならないものかと思う。
暖房器具も昔に比べると多彩だ。昔は暖房と言えばストーブだったし、子供の頃、学校ではコークスをくべるストーブだった。一人暮らしをするようになった頃には、石油ファンヒーターを使っていたが、それもこの15年くらいは使わず、もっぱらエアコンだった。
エアコンはどうしても電気代も高く付くし、なんだかあまり身体にいいように思えないので、去年、カーボンヒーターというのを買った。一人暮らしなので、自分の周りだけ温かければいいからだ。今年のカーペットは、やはり同じ理由だ。
先日まで暮らしていた家は、床が絨毯仕様で、しかも1階が大家さんの部屋だったのだが、そこが前面床下暖房だったためだと思うが、冬場でも意外に暖かかった。今度の家はフローリングなので、そのままだと冬場は寒い。そんなことでカーペットなのだ。
だんだんと冬らしい気配が近づいている。寒い冬に家でぬくぬくしているのは、非常にぐうたらで大好きだ。自分の人生のようだ・・・
投稿者 keisuke : 日常的 | 01:35 | コメント (1) | トラックバック (0)
2005年11月15日
COSTA BRAVA
うちの近所にCOSTA BRAVAという名のスペイン料理店がある。
時々ランチを食べるが、なかなか美味しい。ランチでパエリアが食べられるのもいいが、個人的には沈金のサンドイッチが好きだ。尤も、そう回数多く行ったわけではないので、全部のメニューを食べたわけではない。
プレート料理はパンが食べ放題というのもありがたい。
席数は少ないが、テーブルが広く、落ち着いて食べることができる。
調べてみたら、Yahoo!グルメにも載っていた。
こういう店が近くにあるというのがうれしい。
ところで、笹塚には昔好きだった中華屋があった。しばらく前にそこは潰れて、別のラーメン屋になってしまった。そのラーメン屋も悪くないが、ちょっと残念だ。そしてもう一軒、駅の近くにあった中華屋も、意外に好きで、前の中華屋が無くなった後、何回か行った。先日見たら、インド料理の店らしくなっていた。
どうやら私の好きな中華屋は、つぶれる運命にあるのだろうか・・・・寂しい。
そんなことを書いた後に書くのは何だが、昨日西武線の桜台駅近くの中華屋で夕飯を食べた。非常に好みの味で、美味しかった。この味の中華屋は、今のところ笹塚にはないんだよな。また行くにはちょっと桜台は面倒だ。
すむ土地土地によって、なかなかいい面、そうでない面、あるものだ。あ、でも笹塚の他の中華屋が嫌いなわけではないのだ。だが微妙に好みとはずれているのだな。
投稿者 keisuke : 料理・グルメ | 01:38 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年11月14日
カード
財布の中はカードが一杯になっている人は結構多いと思う。キャッシュカードだけでも何枚にもなるし、クレジットカードやら、ポイントカードやら、どうにかして欲しい。
携帯電話にお財布機能が付いたり、様々な機能が付加されている。
これはこれで便利だが、どちらかというと、カードをどうにかして欲しい。
銀行のキャッシュカードなど、一つのCD機でどこのカードでも使えるのが便利に見えるが、であれば、1枚のカードで、全ての銀行のカードの役割を果たすようにしてくれた方がありがたい。その上で、CD機を指紋や静脈、虹彩など何でもいいが身体的特徴による認証方式をとってくれれば、非常にありがたい。
あ、この場合、カードもいらなくなるのかな?
そうなれば、クレジットカードや、ポイントカードなども、それでいければいい。
世の中個人情報個人情報とかまびすしいが、所詮個人情報などというのは、ある程度漏れるもので、問題はそれを悪用されるのをいかに防ぐかの方が大切なのだ。
情報が複数の銀行やクレジット会社に分散していようと、統合管理されていようと、危険度にそれほど変わりはないし、むしろ個体認証をうまく取り込めば、その方が安全だ。
指紋だけだと、万が一指を切り落としたら使えなくなるなんていうことも発生しそうだ。
ローダンシリーズでは個体放射という怪しいものが使われているが、DNAとか、まず盗まれても使いようがないものを認証に使えばいいように思う。
とにかく、カードの枚数は減らしたいが、引っ越しをし、無駄な手数料を払わないために、またぞろ、東京三菱に口座を置かなくてはならない。ああ、めんどくさい。
投稿者 keisuke : 社会的 | 02:06 | コメント (1) | トラックバック (0)
2005年11月12日
色々な詐欺や窃盗
UFJ銀行で小型カメラがATMに仕掛けられていたり、岐阜の十六銀行では、カードの挿入口にスキミングの機械が仕掛けられたりと、あの手この手の犯罪が横行している。千葉銀行のオンラインの修正プログラムなどもそうだ。
一頃、オレオレ詐欺が横行していたが、様々な手段で、一般人から金を巻き上げようとする彼らのエネルギーは、どこかもっと他に使えないものなのだろうか?
いずれにしても、人を騙して金を振り込ませたり、暗証番号などを盗んで金を引き出したり、クレジットカードで勝手に高額商品を購入したり、手口をあげつらったらきりがない。
しかしこれらの犯罪は、捕まっても、それほど大きな罪にならないらしい。せいぜい何年か刑務所に入ればいいようだ。
確かに、人を殺しても無期の手前は15年。飲酒運転で死亡事故を起こしても、必ずしも危険運転致死罪にはならないようだから、金を盗んだくらいではそれほどの罪にはならないのかも知れない。
一生懸命こつこつ貯めたお金を取られたお年寄りなどは、命あっての物種とはいえ、今後の生活を考えたとき、目の前が真っ暗になる人も少なくないだろう。場合によってはそれが自殺に追い込む場合もあるだろう。
どんな事件でも、罪を償い、構成という道は残されている。
しかし、罪を償うというのはどういう事なのだろうか?
罪とは果たして何らかの形で償えるものなのだろうか?
過失であれば、償いは被害者をある程度慰安することも可能だろう。だが、意図的な犯罪は、その罪の軽重にかかわらず、償いというのは、あくまで加害者の立場からのもので、被害者を救済するわけではない。
拉致問題が解決したとして、全ての拉致被害者が帰国できても、彼らの人生が戻らないように、被害者と加害者の立場というのは本質的に違う。多かれ少なかれ、被害者には一部泣き寝入りするしかないのだ。
端的な例は、殺人事件の被害者だ。何をどうもってしても、その命は復さない。
犯罪というのは、単純に加害者と被害者と二分できなかったり、よく推理小説でお為ごかしのように持ち出される復讐というテーマが持つ、非常に判断に困るものも多くある。
だが殺人事件を持ち出すまでもなく、ネット上の詐欺や、最初に書いた様々の窃盗事件は、逆に殺人事件ほどにことが重くないだけに、その罪の意識も非常に希薄だったりする可能性が大きい。
結果的に捕まっても、数年でまた出てくる。再犯率がどの程度かは解らないが、これだけそういった犯罪が増えている背景には、罪の意識の軽さと、罰の軽さも原因しているように感じる。
詐欺や窃盗でも10年、20年と刑務所に入れられると解れば、犯罪は少し減らないだろうか?
そういう方法が最もいい解決法ではないかも知れないが、昨今の状況は、なにかこう、人の世の殺伐とした儚さを非常に感じさせるのだ。
投稿者 keisuke : 社会的 | 01:55 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年11月 8日
ゴルフ
我ながら、世の流れに逆らえないのだなと思うことがよくある。
それまでほとんど見なかったゴルフを、特に女子ゴルフを、最近週末はよく見る。不動と宮里の賞金争いなどに興味を持ちながら見ていたりする。もちろん、見ていて楽しいからこそ、人気も出るし、自ずと画面の向こうのギャラリーの数も増えるわけだ。
宮里藍や、横峯さくらがアイドル扱いされているが、彼女たちよりも美人で見栄えのするゴルファーは沢山いる。それでも若くて実力があるというので彼女たちはクローズアップされるわけだ。とすれば、不動裕理の恐るべき実力は、群を抜いてすごいのだなと思う。
先週のミズノクラシックでのソレンスタムのプレイは別格として、何となく3日間が終わったとき、3位にいる不動というのは名前通りの安定したゴルフをする人だ。
と、そんな感じで、ゴルフに興味が出てきた。と言って、いわゆるおつきあいのゴルフがやりたくなったわけではない。元々社会的なおつきあいとしてのゴルフは嫌いだし、今もその気持ちに変わりはない。
しかも、あらゆるスポーツに関して、最初から上手くないとイヤになってしまう性格なので、あまり向いているとは思えない。よっぽど時間とお金に余裕でもできればやってみてもいいかもしれないが、荘でもない限り、ゴルフゲームでお茶を濁しているのが性に合っている。
ボールを打ってカップインさせるという、単純だが、非常にゲーム性は高いように思う。しかも簡単ではない。合わせて運動になる。しかし金がかかりすぎるのが難点だ。日本では、あまり気軽さはない。
打ちっ放しならともかく、ボーリングなどのように、駅前でフルプレイができるわけでもない。いやはや、私の目から見ると、なんて敷居の高いゲームなのだろう。
しばらくは観戦だな。
投稿者 keisuke : スポーツ | 23:42 | コメント (1) | トラックバック (0)
2005年11月 6日
回線速度
引っ越しの時に困るのがインターネットの接続だ。
昔のように電話回線でモデム接続であれば、どこでもすぐに繋がるから、ほとんど困ることはない。
同様に、もともとADSLであれば、スプリッタとモデムさえあれば、即日使えるようになるはずだから問題はない。問題は、ケーブルテレビだったり、光だったりした場合だ。特にNTTのフレッツ以外の光会社、USENやTEPCO等は、まず引っ越し先に回線を引くところから始まるが、結局これは工事を伴うので、引っ越したその日から使えるというわけにはいかない。
まして賃貸だったりすると、回線の引き方が問題になる。
光もケーブルも、賃貸住宅用の契約があって、マンションなどに一括して導入すれば、一戸あたりの月額が安くなったりする。但しこれは、契約が何個以上見込めなければいけないとか、例えば、TEPCO等の個別100Mbサービスの光も、マンション当たり100Mbとなって、場合によっては相当遅くなる可能性もある。
今回契約したのはTEPCOのホームタイプという個別に線を引く100Mbタイプだ。so-netの、工事費無料と4ヶ月無料といううれしいサービスがあったので、申し込んだ。
元々引っ越した当初は、40MbのADSLサービスで開始したのだが、スピードテストなどを行うと、これがまた、2Mb程度しか出ていない。これは最早、ベストエフォートなどという言葉で済まされない、誇大広告や詐欺の部類に属すると思う。
もちろん、光だからと言って100Mbは出ない。いいとこ50Mb平均だ。だがそれでも半分は出ている。40Mbがベストエフォートだからと言って、2Mbでもやむを得ない等というのとは訳が違う。なので乗り換えた。
もちろん、ISDNやその前の288、あるいは9600bpsの頃から通信を行っていた者には、2Mbは夢のような速度だが、1.44Mbのフロッピーでデータが済んでいた時代から、100Gb程度のハードディスクをパソコンが標準搭載する時代に変わった今、2Mbという速度は、それほど速くない。
テレビでは録画用の機械に1テラバイトのハードディスクを内蔵したのまで発売されている。
かつて韓国は、国を挙げてADSLの普及に努め、日本などよりもよほどインターネットのインフラをしっかりと整えてきたらしい。道路や橋も必要だろうが、日本国中に光を這わせることも、国家の事業としては、決して無駄な公共事業ではないと思うのだが。
1Gbのサービスはそう遠くない時期に実現するだろうが、インフラである程度整えていかないと、この速度の格差は、意外に問題を多く含んでいそうな気がするのである。漠然とだが。
投稿者 keisuke : インターネット・PC | 02:11 | コメント (0) | トラックバック (0)