2005年10月31日
国語のクイズ
最近、クイズ番組が非常に多い。分けても国語をテーマにした番組の多さに驚かされる。
曰く、漢字が読めるか、書けるか、ことわざ、言い回し、定型句等々・・・主に芸能人の知識を試すような内容になっている。
こういったクイズが好きな私にとっては面白いし、場合によっては難しかったり、始めて聞く言葉もある。一部は非常識なくらいに難しいので、トリビアと言っていいような場合もある。
しかし、流行とはいえ、番組改編期の10月中旬くらいにはどこもかしこも同じようなクイズで、問題が重複しているケースもあった。
元々漢字は書けない方だが、改めて書けないことを思い知らされたし、表現についても、意外に難しいことに驚いている。
というのも、おそらくは言語の変遷というのは、言語が伝聞などにより間違った伝わり方をしながら、変化していく中で、実は正しくない表現でも、多く耳にすることで慣れ、違和感を覚えなくなっているからだと思う。
言語学者や国語の先生には寂しい事かも知れないが、時代が過ぎゆくにつれ、定着する言葉も多いに違いない。
「ら抜き言葉」等は、ワープロが指摘してくれるが、裏返せば、それだけ多く使われていると言うことだ。ら抜き言葉でも十分生き(ら)れるのだ。
的を射るなどという言葉は、言葉の意味を考えれば「的を得る」など意味が通らないが、使う人は多い。
国語力の低下ということが言われるが、言語の最低限の意味というのはコミュニケーションの道具で、そういう意味では、これだけグローバル化した世の中で、世界情勢や未来を見たとき、国語よりも英語ができた方がいいと言うことも言えなくもない。
尤も、国語が持つ歴史や文化というものは別にあるわけで、それを憂うことは必要なことだ。
個人的には、漢字というのは非常に複雑多岐に渡るがために、日本語に多彩な表現力を与えているし、パズル的にも芸術的にも美しい言語だと思うので、できれば精緻に生かして欲しいと思う。
ただその中でも、書き順だけはどうでもいいなと思ってしまう。もちろん、学問的な意味では、例えば意味論とか、その起源や生成という意味で必要かも知れないが、小学生に覚えさせて試験でその記憶を等という意味では非常に無意味に思えてしょうがない。
こういったことが国語をつまらなくしている一つの要因にも思える。
私は国語はずっと嫌いだったが、最近のクイズは面白い。つまり、日常的に使っている言語であるから、興味を喚起することは必ずしも難しくないのだと思う。子供の頃から国語に興味を持たせることができれば、国語力の低下や衰退も実は防げるように思えるのだが・・・・
投稿者 keisuke : 文学・日本語 | 00:47 | コメント (1)
2005年10月30日
寄らば大樹
先日自民党の郵政反対派の処分が行われた。
単純な感想を述べれば、だから組織というのはイヤだ、と言うことの一言に尽きる。
組織というのは組織であるだけで、秩序を求める。規律を求める。それ自体が悪いとは思わないが、往々にして、秩序や規律自体が組織やその中の個人を束縛し、本末転倒なことになる。
衆参のそれぞれの議員に対する処分が違うなんていうのは典型的な例で、組織が組織のために存在している所以だ。
そんな中で、前回の選挙の辺りから思っているのだが、野田聖子や亀井静香、小林興起と言った議員が口々に言っていたのが、自分こそが自民党を最も愛している根っからの自民党員だみたいな発言が、個人的には非常に解せなかった。
自民党等という器は、立党以来、50年体制も含め、様々に変節し、現在に至っている。多くの時代で第一党であった以外に、自民が自民である証左など、あってなきがごとき物だ。
右か左かという議論の中で、共産党の対局にいるように見えるが、戦後自民が右翼であった試しはないと思っている。そういう意味では、日本の政党は右も左も、非常に中庸を歩いてきたのではないかと思う。ちょっとした発言が右寄りに感じられるのは、日本の政治が中庸を旨としてきたせいだ。
中庸は儒教の言葉だが、仏教でも中道といい、アリストテレスも似たようなことを言っている。いわばバランス感覚と言うことだと思う。
ちょっと話はずれるが、ニュースなどで見る限り、中国や韓国、あるいはもっと広くアジア圏の多くの民族では、時折バランス感覚が悪いなあ、と思わせる映像が届く。いわばしばらく前の中国の反日本のデモ行動などはそれを象徴している。もちろん全国民がそうではないと思うが、得てしてピックアップされる映像ではそういう印象を強く受ける。
今回の自民圧勝の選挙戦なども、実はその国民のバランス感覚の悪さが実は日本人、というよりは人間には常に内在している証拠のようにも思えて、いささか居心地が悪い。なぜなら自分も自民党に投票したからだ。
さて、自民党の議員が勝手に自民党に誇りを持ったり愛着を持ったりするのは結構だが、所詮は政党というのは、政治を行うための一つのツールにしか過ぎない。私個人的に、元々郵政民営化賛成だし、いずれにしても変化ということを、旧態依然ということのもう一方の極として肯定するので、中身の如何に依らず、まずは改革という点で、以前から支持してきた。
だからといって自民を支持しているかというと、多くの面でむしろ反自民だった。いまだに第一党であるというだけで自民は好きになれない。・・・いや、これは理屈も何もないが・・・・
ただ政治というのは、私の大嫌いな言葉「清濁併せのむ」が象徴するように、きれい事ばかりではない。但し、きれい事を常に目標に掲げていて欲しいし、少なくともそこに向かって進む努力をして欲しい。
1億円もらって記憶がないと言っているのは、ロッキード事件を彷彿とさせるし、時代は変われど人間の資質などさほど変わらないと言うことなのだと思う。
されば、自民に執着する多くの議員が、世から悪しかれ「寄らば大樹」を指向していることは紛れもない事実で、よかれというのは、そこにいなければ、政治の前面で何かをしていくことに非常に困難が伴うばかりか、理想を実現することも叶わないわけで、悪しかれは、文字通り「寄らば大樹」が持つ、安定志向だ。
有史以来(というのがいつからのことなのか、アルタミラ洞窟なのか、シュメール文化なのかは別にして)、人間がたどってきた道を見ていると、確かに20世紀を経て若干の変化はある。地域的な問題は非常にグローバル化し、地球規模での平和や環境問題など、恐らく意識は高まっているはずだ。しかしその一方で、毎日のようにどこかで爆弾が破裂し、多くの人間が命を落とすという、戦いの歴史に終止符が打たれることもない。
アニメで未来が描かれると、決まって巨大なロボットが戦っていたりする。過去から現代、そして未来を見据えても戦いという場から逃れられないと思っているようだ。
必ずしも、個々人が堅持する正義を貫くことが、世の中をよくするとは限らない。正義を旗印に自爆テロを行うことだってあるだろうから。しかし、であっても、大樹に依らず、自分の思いを貫くことが、ささやかな正しい生き方の一つでもあると思う。
今回の、特に参議院議員の前回郵政に反対して今回は賛成した議員達こそ、国民の意思か何かは知らないが、情けない議員と言うべきである。
投稿者 keisuke : 政治・経済・行政 | 01:15 | コメント (1) | トラックバック (0)
2005年10月29日
100円ショップ
引っ越して以来、100円ショップが近所になった。荻窪に住んでいたときには、近所になかった。
この一ヶ月で何度も行って、ちょこちょこと買い物をしている。特に日常雑貨系は、スーパーの雑貨売り場へ行くほどもなくここで揃うものがかなり多い。文房具もそうだ。
元々100円以下でも変えそうな物から、1000円以上しそうな物まである。今では、都心の真ん中に、ビル全体が100円ショップだったり、先日は銀座にもできたというのをニュースでやっていた。
これが100円だとすると、他の店で売っている商品は、流通のどこで利益が消えているのだろうか、と思えるような物もあるが、ものの売買にかかわらず、お金の流れというのはそういう物だろう。
100円で食べられる寿司と、千円かかる寿司があるのと同じだ。実は寿司も、900円程度の差であれば、同じくらいの味のものが食える場合があるのと同様、雑貨も一緒なのだ。
金銭の価値と、物の価値は、比例してスライドしているわけではない。もちろん、100円ショップで何でも揃うわけではないし、安かろう悪かろうという物がないわけではない。
ただ何となく、今更だが、これまでほとんど行かなかった100円ショップが物珍しいと言うこともあり、多分まだしばらく行くことになるだろう。
投稿者 keisuke : 日常的 | 01:37 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年10月26日
悠久の銀河帝国
アーサー・C・クラークの初期作品に「銀河帝国の崩壊(Against tha Fall of Night)」という小説がある。創元推理文庫で、非常に薄い厚さの本が出ていた。後にこの作品は作者自身が長編に書き換えて「都市と星(The City and The Stars)」という長編になる。
今回、グレゴリー・ベンフォードが、その続編を書いたもの翻訳が文庫で発売になり、読んだ。そのタイトルが「悠久の銀河帝国(Beyond The Fall of Night」、つまりクラークの処女長編(長さ的には中編くらい)の続編だ。「都市と星」ではない。
前半がクラークの作品で、第2部がベンフォードの作品だ。
かつて、多分中学生の頃、「銀河帝国の崩壊」は読んだ。しかしそもそもこの原作が世に出たのは1946年、私が生まれる遙か昔だ。今となっては、確かに古びた部分もないではない。しかし改めて読んでみて、実はそれほど歴史が勝ったと言うことはない、素晴らしい輝きを持っている。
そもそもクラークは小説家としてはある意味評価が低い。私はそれがなぜだか解らない。どうしてかと言えば、クラークの作品が好きだからで、とても面白いからである。
いまだに私にとってのベストSFは「幼年期の終わり」で、これを超える作品には出会っていない。よくSFはセンス・オブ・ワンダーだと言われてきた。クラークの作品には、正確な科学知識に基づきながら、実はアシモフなどよりもセンス・オブ・ワンダーがその中に含まれている。と私は思う。
「銀河帝国の崩壊」にはまさにそれが詰まっている。何億年も先の地球を舞台に、宇宙に飛び出していくアルヴィンの話は、小学校以来SFを読み始めた私には、センス・オブ・ワンダーの固まりだった。
今書店で、ハヤカワの復刻が並んでいる。この中でもベストワンに「幼年期の終わり」が入っているのがうれしかったが、それ以外の作品も、SFが楽しかった頃の作品がたくさんある。
科学の発達とともに、最も変質を強いられたのがSFだと思う。SFのSがスペキュレーションと言われた時代はまだいい。ハードな物ハードな物となっていき、サイバーとか、非常に専門的でコンピュータ的になることで、世の流れと自分の好みが必ずしも一致していないことに気づいて、読書量が減った。
グレゴリー・ベンフォードは苦手な作家の一人だ。今回も、無理矢理半分過ぎまで読んだが挫折した。個人的にはちっとも面白くなかったからだ。
確かにクラークが布石を敷いたテーマの延長上にあるのだが、クラークがそこに秘めていた物とは違い、何か今の時代にべったり足が着いたような印象を受ける。それは古今キャラクターが、遙か未来の生物で、それなりの今とは違う価値観や行動様式を持っているように描かれながら、逆にそれが妙に寓話的に見えてしまい、好きになれない。アメリカの作家の多くは、1語いくらという原稿料のせいかどうかは知らないが、話が長い。描写が緻密すぎて疲れる。ベンフォードはその代表格だが、それ以上にくどい表現だと感じたDUNE・シリーズがそう思えなかったから、所詮は好みとか相性の問題かも知れない。
とにかく、しばらく間をおいて、また読んでみようと思う。・・・・でも「都市と星」を読み返すのが先かな。
投稿者 keisuke : SF | 23:37 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年10月20日
ロッテリア
ロッテがパ・リーグのプレー・オフを制して優勝した。
なかなかいい試合で、全部ではないが楽しんで見ることができた。巨人ファンの友人が、巨人戦より遥に面白いと言っていた。
さて、ダイエーが優勝すると全国のダイエーが安売りするとか、西武が優勝すれば・・・とかいろいろあるが、ロッテが優勝すると何があるのかな?と思っていたが、テレビで、ロッテアリアはテリヤキバーガーとエビ何とかが100円高半額になるというようなのをちらっと見た。
ファーストフードのCMで思い浮かべるのは、マクドナルド、ケンタッキー、ミスタードーナツ、モスバーガーなどだが、最近ではロッテリアのCMと言って思い出せない。
かつてはマクドナルドとロッテリアはファーストフードの1位2位と思える時代があった。・・・相当昔の話だが。
ロッテリアは笹塚にもあるのでてりやきの半額は、優勝前からやっていたサービスであるのは見ていて知っていた。
ロッテとロッテリアの関係は、単純ではないだろうが、何とも心臓の小さい優勝セールだと思わざるを得ない。30数年ぶりに優勝し、次回いつ優勝するかだって判らないのに(と言ったらロッテファンは怒るかな?)、もう少し盛大な優勝セールをしたらどんなものだろう?全品半額とかね。
なんだかやはりローカルな印象は否めない。ダイエーが安売りをするのは、優勝しなくてもするわけで、それでもそのことがキーになって、野球も見ないおばちゃんたちが、だからダイエーを応援すると言ったりするわけだ。
ロッテが球団として努力して、強さだけでなく、今年の球団人気と活性化を達成したのなら、グループの企業として、貢献と便乗をもう少し考えてみては道だったのかな、と思う。
いかんせん活気がない。
投稿者 keisuke : 料理・グルメ | 23:51 | コメント (3) | トラックバック (0)
2005年10月16日
北京マラソン
今日北京国際マラソンがあり、テレビでも昼間中継していた。知っている選手もあまりいなかったのもあり、見ていたわけではないが、あとでニュースを見て、優勝したケニアのチェロノという選手が、最後のところで近道をして、記録が無効になったと報じていた。
どうやら800mくらい近いコースを取ったらしい。しかし大会の運営委員会は、後続のランナーに5分ほど差を付けていたので、記録を無効にして優勝としたらしい。
Yahoo!のニュースによれば、日本の関係者からは、失格にすべきだという意見が出ていたと載っていた。日本人選手の順位に影響するので抗議すべきだという事らしい。
しかし、ゴール近くで順位が拮抗していたのならともかく、後続との時間差を考えて運営サイドが取った処置は、非常に妥当だと、多くの人が思うだろう。
ドーピングなどとは違って、既に歴然とした当日の実力差があるのに、敢えて抗議しようという発想は、この場合は飲み込んで発すべきではない。
スポーツマンシップと勝負の結果論というのは、よく言われる2つの考え方だ。あらゆるスポーツが、単なるきれい事で成立しているわけではない。ゴール前でPKを取られれば、審判のせいにすることだって往々にしてあるし、かつて「巨人の星」で巨人2軍の紅白戦で、審判が見逃していた落球を自ら申告した星飛雄馬みたいな選手はあまり見たことがない。
とはいえ、その折に漫画が川上監督に言わせた正論は、一つのスポーツマンシップの(若干意味は違っているかも知れないが)ありようではないかと思う。
結果に抗議すべき時とケースを間違えると、かっこわるいものだ。
ナベツネが、タイガースの上場問題で発した、上場が八百長の温床だというような発言は、そもそも違っていて、八百長の温床は、元々が勝負事という世界にあって、その部分にこそ内包しているのであり、それ故に関係者は矜持を持たねばならないのである。
むしろファンだファンだといいながら、監督の首をすげ替えることを会社の人事だと言ってはばからないような、独善的なオーナーの方がありがた迷惑だ。上場がいいかどうかはしてみなければ解らないようにも思えるが、少なくとも今のプロ野球界には、球団をファンのものだと本気で思っている経営者がいるようには見えない。
スポーツと栄誉やお金というのは切っても切れないもので、それはどんなスポーツも結果的に例外ではない。スポーツが持つどこか清々しいスポーツマンシップという潔癖姓と、それが時折生み出す莫大なお金は、本質的には相容れないように見えて同居しているので、だからこそ様々なところで問題が起きたりするのだ。
ま、観る側にとっては、面白ければそれでいい、極めて無責任なことではあるのだけれど。
投稿者 keisuke : スポーツ | 23:37 | コメント (1) | トラックバック (0)
2005年10月15日
サービス
昨日飲み会があった。新宿のWansaKansaという比較的リーズナブルなイタリアンの店に行った。
広い店なので、大人数の時などは予約が取りやすい。
店員さんの応対などもなかなか気持ちがいい。
ところで、宴もたけなわの頃、大皿で運ばれてくる何品目かの料理、まださらには残っていたのだが、女性店員が、さっと下げてしまった。
友人と二人顔を合わせて、「まだ残っているのにね」と、これはいかがなものかという心境になっていたところ、小さなお皿に盛られてその料理が戻ってきた。つまりは、次のお皿がテーブルに載らないので、前の料理を小皿に移して持ってきてくれたのだ。
むしろ素晴らしいサービスではないか。
よく、少しだけ残った料理を、次の料理が来た段階で、慌てたように誰かの皿に移したり、別の料理の皿の隅に置いたりと言うことはよくある。しかし、今回のように店員が気を利かせて小皿に移すというサービスは、今まであまりお目にかかったことがない。
多分行きつけの店だったりすれば、そういうこともあるかも知れないが、一見の、しかもチェーン店のような店ではなかなか無い。
顧客主義というのは、こういうことを言うのだなと思う。料金のサービスなどもうれしいが(この店もそれはあった)、こういったサービスという言葉の持つ根源的な部分での気の使い方こそがサービスの本質なのではないかと思う。
最近の店は、競争も激しいのだろう、客の気分を害するような店は減っていると思う。特にチェーン店などでは、昔に比べてかなりいい。
しかし、こういった細かい、いわば痒いところに手の届くようなサービスというのは、マニュアルよりも、日頃から心がけていなければなかなか難しいのではないかと思う。
勉強になった。いい店だ。
投稿者 keisuke : 社会的 | 23:36 | コメント (2) | トラックバック (0)
2005年10月14日
コンピュータってやつ
友人から久しぶりに電話があった。むしろ私の方が不義理をしていた友人だった。
パソコン調子が悪く、リカバリーというのをしたら、何とか言うファイルが見つかりませんというエラーが出たきり、先に進まなくなってしまったのでどうしたらいいかと言うことだった。
NECのVALUESTARで、リカバリーはCDではなく、本体に入っているらしい。
最近こういう機械が増えたようだ。どう考えても、なんかの形で本体が損傷したら、ハードディスクの入れ替えなどを自分でしても、復旧できない仕組みになっている。これはどんなものか。
かつては大体CD-ROMで提供してくれていたので、そういう事態があっても、再インストールが可能だった。WindowsXPは単体で購入すると15,000〜40,000程度かかる。これを改めて購入するなど以ての外だ。
NECも修理をしてくれるだろうが、有料で安くはないはずだ。サポートでは、ハードがいかれているかも知れないというようなことを言っていたらしい。その判断をする前に、自分でどうにかしたいというのが人情というものだ。
デスクトップパソコンの場合、最近はFD無しとFD有りがあり、FD無しの場合はCDから起動できるが、FDがある場合は、大抵FD起動だ。しかも多くのXPはWindowsからの起動を要求してきたりする。
なかなか上手くいかない。
そこで、昔持っていたパソコンの98をインストールし、そこからXPを入れるという手段を考案した。無事98は入ったが、ちょっとした失念。ドライバが一つもないのだ。ドライバすら付属のCDなどで付いてきていない。
パソコンが簡単になったなどといいながら、その実決してそうではない。
ハードが完全に壊れない限り、復旧する手段を残しておくべきだ。
それすらもできないパソコンなど、高い金を出して購入する価値もない。NECばかりではない。他の会社でもそういうメーカーが増えた。
また、リカバリーという形で、それまで入っていたソフトも全部入れて復旧するタイプもいかがなものか。
いらないソフトが一杯・・・・というのはよく言われることだが、最初にいらないものは一掃できたり、復旧時にはOSのみが選択できるくらいの度量が欲しい。
Vaio等は、最初から妙なパーティションが切ってあって、使いづらいことこの上ない。私はいまだにパーティションの意味が分からない。1台のハードディスクを2台以上に見せることに、何か価値があるのだろうか?せめて選択できるようにして欲しい物だ。いちいちパーティションマジックのお世話になりたくはない。
USBなどは非常に好ましいシステムだ。同じ形状のコネクタで何でも使えるわけだから。速度の問題などもあるだろうが、SCSIだ、シリアルだ、パラレルだ、等というめんどくさい違いなど、ない方がいいからだ。
汎用性とか、フレキシビリティとか、ユビキタスとか、使う側の意志に応じて自由度が高く、なおかつわかりやすしステムを作るべきだ。あたかも誰でも電源を入れれば使えますみたいなものだけを売りにしたところで、却って犠牲にされた部分が大きいように思える。
だからDELLとかが躍進するのだろうな。
投稿者 keisuke : インターネット・PC | 02:16 | コメント (2) | トラックバック (0)
2005年10月12日
笹塚2
笹塚に越してきて20日あまり。
今日ようやく判明したことが一つ。
うちの建物は世田谷区との区界にあるのだが、なぜかそのせいで、ゴミの収集を渋谷区ではなく世田谷区が行っているという。
不動産屋でもらったゴミの収集日と、渋谷区でもらったそれが食い違っていたので、不動産屋に問い合わせたところ、変わったのだろうということで、区の表示に合わせて出していたが、どうもおかしい。
そうしたら今日、同じ建物の方がやってきて教えてくれた。
ただ、不動産屋でもらったものも、微妙に違っていたので、結局20日間してやっと解ったという次第。
しかし以前から思うが、ゴミの分別というのは、解るようでよく分からない。これが燃えるのか燃えないのか、どこで判断すべきか、微妙なものもたくさんある。缶や瓶も、資源ゴミだというが、ものによっては資源にならないのだ。
販売するときから、これは資源ゴミで出せとか、燃えないゴミで出せとか書いてあると助かる。
しかしこれはできないのだろうな。きっとゴミの処理が地方の自治体ごとに行っているからだ。
でもこんなものの基準は、国で決めて、処理だけ地方にやらせれば、いらぬ混乱もなくなると思うのだが。
まあそれでも、洋服や靴や、あらゆる物に表示するなど、所詮無理だな。
こつこつと、自分で考えて分別しましょう。
投稿者 keisuke : 日常的 | 23:49 | コメント (1) | トラックバック (0)
2005年10月10日
MDプレイヤー
最近、ひょんな事から中古のMDプレイヤーを手に入れた。
今時MDとも思っていたが、餅は餅屋という表現が正しいかどうかは知らないが、最近流行のポータブル音楽プレイヤーは、録音機能が付いているものがあまりない。これはパソコンからや、音楽機器からのダビングを指すのではなく、いわゆるマイクで音を拾う意味での録音だ。
たまに付いていても、ボイスメモだったり、ハードディスクタイプでは1種類しかない。
MDは実は最近は、MP3も扱えたりするし、1GBタイプも出ているので、ポータブルオーディオの機器としてはある意味命脈を保っている。但しこのタイプはソニー1社しか発売していない。いずれ消えゆく運命だろう。
どの程度遠い将来かは別として、1テラバイトくらいのデータを扱え、録再可能で、ネット接続でき、なおかつ電池寿命が長いポータブルストレージが発売されるだろう。
電池寿命が半永久的みたいなものが早く開発されるといいな。空気から発電みたいな。
投稿者 keisuke : 日常的 | 23:40 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年10月 7日
笹塚
先月、笹塚に引っ越してきた。
杉並から渋谷、区としては隣り合っているので大きな移動ではない。しかも笹塚は、渋谷区とはいえ新宿の方がキー・ステーションとしては近い。まあ、大分都心に近づいたが、家賃が下がったので、それはそれでいいことだ。
さて、笹塚へ来て2週間ほど経った。私の住んでいるのは駅前の観音通りという古い商店街を抜けた辺りなのだが、この商店街が非常に面白い。昔ながらの八百屋が短い商店街に3軒、美容室と床屋が、入り口から出口まで、わずか3〜4分という中に9軒あるのだ。確かに駅前に美容室みたいなものは多く集まっていることは多いが、この短い商店街に9軒は以上ではないだろうか?
八百屋は3軒あるが、肉屋は一軒もない。これも面白い。
大きな百貨店や、あらゆる店が集まっているかというとそういうわけでは決して無く、マイクロソフトはあるが、商店街は時代を感じさせる街並みだ。
これからしばらくは住む街の訳だが、短期間でも愛着の湧く街ではある。
意外にのんびり暮らせる感じがいい。
投稿者 keisuke : 日常的 | 23:12 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年10月 3日
高校生ドラフト
高校生のドラフト会議が開かれ、はんこの問題で勘違いが起こったことが報道された。誰がどこへというより、そちらの混乱の方がニュースだったようだ。
150キロを投げる辻内なども2度記者会見で別チームの印象を語ったらしい。
昨年のプロ野球のスト問題以来、何かと高い金だけ取って何もしていない印象の強いコミッショナーが、笑顔で、若い選手に迷惑をかけたと言っていた。
実際問題は大したことではなく、勘違いを起こさせるくじに問題があっただけだ。がっかりしたのは、オリックスとソフトバンクで、この2球団だけがぬか喜びをさせられた感がある。
ドラフトで希望球団に行けに生とはたくさんあるはずだが、プロ野球にいけるだけでもありがたい部分はあるし、会社の中での配属だと思えば、それほどのことはない気がするが、改革元年といいながら、交流戦だけで何が変わったのか解らないプロ野球業界で、視聴率だけが低迷している。
それでも尚、辻内に、「昔からファンだ」と言わせる巨人がすごいのか、野球界だけが、いまだに昭和の「巨人、大鵬、玉子焼き」を引きずっているのが寂しい気がしないでもない。
あ、この玉子焼きはきっと、卵焼きではいかんだろうな。
投稿者 keisuke : スポーツ | 23:01 | コメント (4) | トラックバック (0)
2005年10月 2日
国会議員の資質
選挙が終わり、1ヶ月近くが経つ。その間、小泉チルドレンという名で呼ばれる自民党の新人議員達のことが、連日報道されている。分けても、杉村太蔵を始め、数人の議員にスポットが当たっている。
杉村氏は当選後にはしゃぎ、先日それを詫びた。
週刊誌を始め、国民はこんな議員を通したんだぞという記事もちらほら目に付く。
さて、そこで国会議員の資質、あるいは政治家の資質という点について考えてみた。
政治家というのは、政治のプロだという見方がある。しかし、多くの政治家は、むしろ政治学を勉強してきたなどと言うことはなく、官僚上がり、政治家の秘書上がりと言った人たちの方が「プロ」なので、政治学を一生懸命やってきた人たちは、政治学者や評論家になったりしている。・・・ように見える。
そもそも政治というのは、非常に日常に根ざしたもので、決して誰にも無関係ではない。むしろプロと称する妖怪のような政治家達の方が、これまで行政との癒着やら、何やらで批判の的になってきたはずだ。何にせよしがらみが少ない素人のような人たちが増えたことは、一面期待できないこともない。
但し、森派の会合などで、森元総理が、議員の品位だとか、資格だみたいなことを言っているのをニュースで見たりすると、少なくとも彼が総理だったときのことを思い起こすと、「あんたが言うな」と思ってしまうのは私だけではないはずだ。
杉村氏を始めとする議員は、衆議院宿舎の改築が終わるまで、都心の素晴らしい立地の、100平米以上もあるマンションに5万円程度で住めるというニュースをやっていた。
1000千兆に及ぼうとする借金を抱えた国家の、議員のために50万円前後はするマンションをあてがう事が政治であるならば、新人議員の教育をする前に、自身の襟を正せよ、と言いたくなる。
無駄をなくすなくすと国会で答弁を繰り返す首相から、野党議員に到るまで、その多くは、そんな簡単後頃から変えることのできる無駄遣いを、止めようともしないわけだ。
道路だって造るし、社会保障制度だっていいかげんなものだ。
昨今話題になっている福島県の何とか言う村ではないが、議員の数を減らすところから始めなくては、何も始まらないと思うのだが。
投稿者 keisuke : 政治・経済・行政 | 23:44 | コメント (1) | トラックバック (0)
MovanleType 3.2
うちでのこづちを書いているブログ、すなわちMovableTypeがヴァージョンアップした。1.7から唐突に3.2に上がったのだが、これがまた、Netscapeでちゃんと表示されない。おかげで非常に苦労した。
このところ、コメントとトラックバックで、カジノとポーカーの非常に腹立たしいサイトからのものが多いので、それの対策にもならないかな、とも思ってアップデートした。
まあとにかく、アップデートで疲れたというお話。
投稿者 keisuke : インターネット・PC | 02:46 | コメント (2) | トラックバック (0)