由比敬介のブログ
水滸伝
水滸伝

水滸伝

 水滸伝というのは中国の小説だが、明の時代にまとめられたと言われる。中国の小説は、章ごとに分かれたものを数えて何回本という言い方をするが、水滸伝は版により70回本、100回本、120回本がある。70回本は登場人物が全員揃うところで終わっている。
 この登場人物こそが、「水滸伝」の「水滸伝」たる部分で、108人という膨大な数の好漢が物語を色取る。この好漢達が梁山泊という湖の中の山に集まっているから水滸伝なのだ。
 この108人には、その昔、洪という軍人が封じてあった魔物を解放してしまい、それが宿った108人なのだが、皆一癖もふた癖もあり、しかも元役人であろうと、山賊仲間なのだ。
 それぞれ名前にはあだ名が付いており、しかも順位がある。例えば順位の1番は及時雨の宋江、2番目は玉麒麟の盧俊義といったようにだ。これらの人物は天こう星、地さつ星に大きく分かれている(この「こう」と「さつ」はパソコンでは出ない)。天こう星36人、地さつ星72人で108人となる。
 まず話は官軍の棒術師範の王進が陥れられて都を逃げるところから始まる。この陥れる相手が、国を牛耳る高毬という高官で、梁山泊と敵する第一の男である。王進は好漢の一人ではなく、逃げる途上、史進(九紋竜)という男の家で世話になり、史進に稽古を付ける。この史進こそは、108人のうちで最初に物語に登場する好漢で、物語は王進から史進に移る。
 108人を登場させるには一人一人は無理なので、ここでも山賊として3人が仲間になり、一気に4人の好漢が登場する。
 史進に次いで、魯智深(花和尚)、林沖(豹子頭)というように、すこしずつ関連性を持ちながら新しい人物が登場し、まず林沖が梁山泊に身を寄せる。
 この時の梁山泊は王倫という男が仕切っているが、その後、晁蓋という男を首謀者に山賊行為をした7人の好漢がまとめて入ってきたときに、王倫は林沖に殺され、晁蓋が最初の山塞の主となる。
 晁蓋は途中で命を落とすので108人の一人ではないが、その後ただの人殺しや、悪徳商人、官吏、軍人など様々な職業の人間を迎え入れて108人が水泊に寄るのだが、人を殺しまくり、人肉をまんじゅうに入れて売ったりしながら、それでも義に篤く曲がったことの嫌いな、奇妙な道徳観に支配された男達が、最後には朝廷に帰順し、官軍として戦い、一人一人と命を落としていく、なんだか結果的にとても寂しさを感じさせる物語でもある。
 とにかく長大な物語の中心は108人が集まるまでの数々のエピソードで、こればかりは読んでみないと面白さは解らない。
 私は初めて水滸伝に接したのはゲームだったので、偉そうなことは言えないが、様々な翻訳で読み直し、漫画も読み、いろいろな人が自分たちでエピソードを書き換えている類の小説も読んだ。一番面白いのは普通の翻訳物で、なんてよくできているのだろうと、他の本を読むたびに思う。
 多分、ただの悪人は悪人に描かれ、それでも義に篤いとか、人助けをするとか、実際にその辺りにいたら、時にはいい人かも知れないが自分勝手で、とても野放しにはしたくない奴らなのに、書き換えられて別な性格付けがされた本よりも非常に生き生きした感じがいいのだろうと思う。
 壮大な歴史上のの事実も交えながら、三国志より大分時代が下っていながら、より幻想的で嘘くさいお話しは、それ故に破天荒でわくわくする。それぞれの好漢の性格付けなど、それほどされているわけではない。ごく数人に関してのみ、しっかり特徴づけられてはいるが、それ以外は実はかなり十把一絡げで、別の好漢と入れ替わってもいいだろうという程度だが、それでも108人はエピソードや得意分野、等で書き分けられているのだ。
「南総里見八犬伝」はこの水滸伝を元にしているが、この108という人物が縦横に飛び交う面白さというのはなかなか味わえないと思う。
 お読みでない方は是非ご一読あれ。

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