フィッシャー=ディースカウの声を最初に聴いたのはいつのことだろうか?もちろんレコードを通してだが、多分、25年以上前のことだろう。場合によっては学校で聴いているかも知れないが、記憶にはない。曲はきっとシューベルトの歌曲だったりするかも知れないが、マーラーの歌曲であった可能性もある。
 抑制のきいたすこぶる知的な印象を割と最初の頃から持っていた。地声に近いピアニッシモと、「抜き」とでも表現したいような歌い方は、他のバリトンとは違うと思っていた。
 ディースカウというとオペラよりも歌曲という印象がどうしても強いし、しかもドイツリートだ。シューベルト、シューマン、マーラー、ヴォルフというのが私にとってのフィッシャー=ディースカウと言うところだ。私はマーラーからクラシックに入ったので、とりわけマーラーには重きを置きがちだが、ディースカウの場合はシューベルトとヴォルフだ。もちろん、「子供の不思議な角笛」や、フルトヴェングラーとの「さすらう若人の歌」など、マーラーの歌曲の中にあっても、特筆すべき名演奏をCDに残してはいるが、ヴォルフに関してはディースカウがいなかったら、私はこれほど好きになっていたか解らない。
 シューベルト、シューマン辺りの歌謡性の高い歌曲は普通に聴いて楽しく聴けるが、ヴォルフはその曲自体に知的(痴的)とも言える難しさを内包している。さすがに19世紀末の音楽であり、マーラーなどに比べても、非常に現代的である。マーラーとヴォルフは浅からぬ因縁のある関係だが、ヴォルフの非常に流麗なタイプの曲でも、どこか調性のあやふやさを宿しているし、長大な曲になると、メロディという切り口ではなかなか入り込めない、そして沈潜し鬱屈した雰囲気を持った曲もたくさんある。その辺りを実にディースカウは丁寧に、まじめに歌い、その雰囲気を伝えてくれる。
 メーリケ歌曲集などがよく他の歌手も録音しているが、私はゲーテの歌曲集が好きだ。特に「プロメテウス」とか「人間の限界」などという物々しい内容の、しかも時間的にも長い曲がのめり込んで聴ける。ここらの曲のディースカウは、荘重で感動的だ。
 マーラーなどで見せる諧謔的な(この辺りの表現は少々オーバーなくらいに感じるが)ものとは違って、しかもシューベルトやシューマンのように、さらっと聞き流しても聴けるのとは違って、常にまじめに向き合わされる。
 シューマンの「詩人の恋」などはディースカウよりも、ちょっと脳天気とも言えるヴンダーリッヒ版の方が好きで、そちらをよく聴くが、ヴォルフは他の歌手のを聴いても、結局はディースカウに戻る。
 一つには全集に近い内容のものが発売されているということにも依ると思うが、それは裏返してみれば、自信と愛着の表れで、ヴォルフの多くの歌曲を愛していたに違いない。
 そろそろまじめにディースカウのシューベルトを聞いてもいいかなと思っている。私にとっては「冬の旅」よりも「水車屋の娘」と「魔王」だったので、他の曲もきちんと聴いた方がいいな、という感じだ。それでも、自分の好みから言えば、ヴォルフのようにはならないだろうな。
 ヴォルフってもっと評価されてもいいと思うのだが。

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