由比敬介のブログ
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 インドで、スマトラ沖地震の救済を目的で立ち上げられたブログがすごいアクセスだそうである。
 今書いているこれもブログには違いない。ブログとは、Weblogが縮まった言葉だが、Weblogは、Web上のlogということで、インターネット上の記録といった意味だろうか。日記と限定してはいないわけだが、どちらかというと日記は、他人に読んでもらうことを目的とはしていないと思われる。「土佐日記」だって「更級日記」だって文学として成り立っているわけで、だとすれば、個人的だけど、やはり誰かが読むことを目的としているのだろうか?確かに、夏休みの絵日記は宿題だが、学校で先生が読むな。
 つまり日記には二種類あって、自己完結する日記と、第三者が読むことを前提としているものがある。ということか。
 Weblogは、毎日書くと決まっているわけでもなく、非常にフリーな日記のようなものであることは確かだ。トラックバックという特殊な機能があるが、それはどちらかというと、インターネットだから為し得た、日記の相互侵犯みたいなものかも知れない。いい意味で。
 しかしそのブログが、被災者救済や、行方不明者の確認などに役に立っているという。
 インターネットというのは最早世の中になくてはならないツールで、携帯電話が、無かった頃では想像できないくらい普及しているのと同様、生活の一部になっている。
 20世紀は高度成長期に三種の神器とまで言われた冷蔵庫や洗濯機やテレビなどの家電が、今ではなかった頃が想像できないくらいになっている。
 私も物心付いたか付かない頃というのはテレビが無くて、近所の家に見にいった記憶がある。洗濯機も、脱水は二つのローラーで挟んで搾るだけのものだった。
 世の中が便利になることを否定的に見る人もいる。
 もちろん文明は大局的に見れば、自然と対語であり、どんなに共存と言っても、相容れない何かを持っている。この世の中で意志と感情、そして知恵を持って動き回れるのは人類だけだし、ちょっと周りを見回しても近所にはいないようだ(宇宙人がUFOでやってきているなら話は別だが)。文明の発展は、それまでのビッグバンからついこの間までの悠久の自然の流れとは一線を画す事象なのだ。
 しかしもっと大きな視点で見ると、人類の文明や、あたかも自然の対極に位置するような文化的な「モノ」もまた、自然の流れの中で自ずと存在するものなのではないかという気がしてくる。
 インターネット犯罪は間違いなく増えているし、悪質化もしているに違いない。だがそれはインターネットだからではない。新しいお札が出れば、偽札が横行するのだ。
 ブログが増えれば、ブログがそもそもなんなのか判らないほど様々なサイトが生まれる。その中には素晴らしいものからどうしようもないものまである。普通は可もなく不可もない。多くはただの日記だ。まあ、そういう意味では私のところも、世の役に立っているとは到底言えない。またそれが目的でもない。
 ただそれでも月間に500近いアクセスがあり、検索してきて頂いている方もいる。
 そもそもリハビリと言って書き始め、100wo超えたら小説などと言っていながら、なかなか忙しさにもかまけて実現していない。リハビリそのものは、室内を出て外で、すなわちブログから創作へを示唆しているのだが、頭の中のリハビリが足りない。
 あ、ついでに言うなら身体のリハビリ・・・・これは単純に運動不足というのか。

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